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Posted by のらんば長崎運営事務局 at

2013年08月14日

放浪の旅 11日目 岡山




昨日の3時間睡眠のおかげもあり、今日はぐっくり眠れました

それでも、4時半には起きましたけどね

じじぃか、笑




身体もおかげさまで、もうすっかりいいようです

今思えば、9日間も煩っていました

特にひどくなってからだけでも、7日間

おかげさまで、新しい気づきに出逢いました




話は昨日の続きになります

三種の神器、鏡、勾玉、剣




自分の内なる鏡と勾玉は、この一年で身につけています

今想えば、その気づきも昨年夏の放浪の旅にありました




そして昨日、うちなる剣がみつかりました

この道のりには、多くのご縁と多くのメッセージがありました

全てが連綿と紡がれていて、その全てを書き表すのはむずかしいんです

記憶できないほどたくさんのことが起こりましたから

そんな中ですが、大きな流れを書きたいと思います




この旅の始まりで、素戔嗚尊と剣というメッセージを受けとめていました

話は遡ります




素戔嗚尊は去年の放浪の旅で、この隣町にあたる福山市で始まっていました

そのご縁は、桑名晴子さん繋がりでした

そして今回の出雲のご縁、岡野さんと國友悠ちゃんもまた、晴子さん繋がりです




その出雲でも、素戔嗚尊と剣にまつわる話に多く触れ

また、その所以となる地を旅しました

そのどちらもが、求めたどり着いたのではなく

自然な流れで出逢います




その要所要所で、自分の直感が働いています(右脳の働き)

それに刺激され色々歩き回りながら、またはひとの話を聴きながら

勉強を重ねてゆきます(左脳の働き)




そんな中、出雲で病を発症し旅の流れが大きく変わります

そして、岡山に流れつきます




岡山のご縁も実は、晴子さんで繋がりました

そして、そのご縁を頂いた方

去年素戔嗚尊神社へちゃまを連れていってくれた方と

何と、お友達であったことを後で知ります

そして、その両方の方が、晴子さんとも、岡野さんとも繋がっていました




その岡山の方と知り合ったのは、旅のひとつき程前

うちの古民家「ちゃまさんち」に、泊まって頂きました




そしてその日か前日がたまたま、うちの神棚を開いた日でした

神棚には、建御名方神(諏訪大社)がいらっしゃいます

ちなみに今回の旅で、諏訪と出雲(大国主命)と、素戔嗚尊が結ばれます

その三柱の神様は、父、子、孫の関係です




そしてその岡山の方の導きで、ちゃまさんちの土地のお清めをおこないました

お清めの後の家の中の気の変わりようは、正直驚くものがありました

感じるだけでなく、その変化を視覚的に捉えることもできました




そんな中、その方とちゃまにはいくつかの共通点があることを知ります

ひとつは、レイキマスター(ヒーラー)であること

もうひとつは、龍との深いご縁があること

しかもそのご縁の現れ方までもが、酷似していました




後日その方から、ちゃまと素戔嗚尊のご縁を知らされます

それと同時に、「白蛇さまが、ちゃまさんのところに行きます」という連絡を頂きます




その日の午後、たまたま訪れていた友人宅の庭で、1m20cm ほどある蛇の抜け殻を見つけます

その友人もまた深い縁を感じるのですが、ちゃまは「そんなもの要らない」と云っているのに

その友人は、そんなこと全く聴こえていないかのように

その蛇の抜け殻を丁寧に草むらから取り出して、「持ってきな」と手渡してくれました

抜け殻なので白いんですね、その蛇




実はその後に、その岡山の方から

「白蛇さまがちゃまさんのところへ行ったよ」というメールが、届いていたことを知ります




ちなみに今お世話になっている岡山の家の氏神様、車で2分程度のところにあるんですが、素戔嗚神社なんです

また、その家に方に教えて貰って最初に行った道通神社には、白蛇さまが祀られていました

偶然なんですか?

そして出雲のでの発症にもどります




山梨の家と遠く離れた旅先(出雲)でどうしよう、と困っていたところ(実は何も心配していませんでしたが、笑)

その岡山の方のご縁で、今住まわせてもらっている家にたどり着きます

そして昨日書いた、突然の剣山になるわけですが

実はここ、岡山に来てからも、剣のメッセージが繰り返し届いていました





その中のひとつは、6月に富士いのりのセレモニーで出逢った方とのご縁でした

その場にも、晴子さんと岡野さんと悠ちゃんがいましたね

その方ともまた、不思議なくらいにゆるやかな繋がり方をしたんですが

おとといその方とやり取りしている中で、剣のことが更に意味を持って現れてきて

そのインスピレーションから、剣山が出てきました




でもその時点では、まさか6時間以上もかけて

ましてやその日に、剣山まで行くとは思っていなかったんですけれどね

はい、そして昨日のブログに書いた流れで剣山にたどり着きます




朝までは、剣山に登る気でいました

目がさめてすぐに、登山口にある劔神社にご挨拶に伺いました

劔神社の写真(iphone 撮影)

















拝殿の前でしばし手をあわせていると、下から5人くらいの中年のおじさん集団が登ってきました

中年のおじさんと云っても、ちゃまより年下かも知れませんが、笑




そのひとたちの神社での振る舞いをみていて、悲しい気持ちになりました

ちゃまは、神社は聖なる領域だと思っていますが

そのひとたちにとっては、只の神社という名前の場所なのかな




遠足気分でわいわいがやがや、形の問題ではありませんが

自然とか、宇宙とか、つまりそれが神だと思うのですが

そういうもにに対する畏敬の念を、感じることができませんでした

そしてそのひとたちは、これから剣山に登るところでした




既に早朝から、登山口には剣山登山をまちかまえたひとがとても大勢いました

こういう気のひとがこれから大勢集まる剣山に登るのが、急に空しくなりました

6時間以上かけてたどり着いたここでしたが、あっさりと登るのをやめました




でも、腹立たしさや、登山をやめたことに対する空しさはありません

その時の直感に従った自分が、只在っただけでした



そう書くと、凄いことのようですが

そういう時のちゃまのノリ、かなり軽いんです

その時の胸の中の声は、「ま、それもいーんじゃね」 です、笑




その時劔神社の参道の真下、鳥居の正面に鳥の死骸がありました

無惨な死骸が、そこにひと目にさらされています

手にとって、草むらに動かしました

そしてその中から、立派な羽根を頂きました




いつも胸につるしている鹿の角も、鹿の死骸を火葬した時

最後に残った部分を頂いたのですが

今回もまた、それと同じ流れ

お守りとして車に吊るしました




羽根は、去年の旅でも神社でたくさん拾いました

それをお守りとして車に吊るしていたんですが、それが更に増えました

これも何かのご縁だと思います(iphone 撮影)








そんなこんなで、山を下ります

昨夜は真っ暗闇を走ってきましたが、今度は全ての景色が輝いています




走ってきた道には、とても美しい渓流がより沿っていました

そんな中の一ヶ所に、突然惹かれました

車を止め、バックでもどります




そこにはとても綺麗な流れがあり、下に降りることができる場所でした

そこに降ります




川に足を入れ清流をひとりで楽しんでいると、ぴょん、ぴょん

足下で蛙が飛んでいます

よく観るとその蛙、白いんです(iphone 撮影)







こんなの初めて見ました

そして逃げないんです

手にのせると、その上でじっとこっちを見ています

めっちゃ可愛い(iphone 撮影)







その時、その岡山の方からメールが来ます

そこに書いてあったこと、それは




ちゃまさんちには龍神様が護られていました

そして、白蛇さまも来られました

ということと、もうひとつ




古神道の剣の型をつかってやる「あるもの」の、ことでした

ここでわかったのです、うちなる剣の意味が




このタイミングで白い蛙が現れたことにも、意味を感じました

なので、その「あるもの」をやることに決めました




その「あるもの」がどんなものかもよくは知りません

どこで、どれくらいの期間をかけ、いくらかかるのかも知りません

でも、やることは決まります




実は6月の終わりに東京で見た、岡野さんと悠ちゃんが出演していた「魂振りNight」

ここで真剣をつかった剣舞なるものを見ましたが、その気は今までに感じたことがない響きでした

もしかしたら自分でもそれをやるのかな、なんて思ったりもしていたのですが

答えはそっちではなく、その「あるもの」だったようです




只、あの時に実感した「気」があったからこそ、ここにたどり着いたのもまた事実です

「あるもの」が何なのか、今は意味を知らないので深く触れませんが

ちゃまのうちなる剣は、これだったのです





話は、その川にもどります

その後暫く川で遊んでいました

またふと惹かれ、50m ほど上流に歩いていくとこれがありました

なんだか凄く感じるんです




あまりに感じるのでなんなんだろうと想い、わざわざスマホをとりにもどり

撮影したのが、これです(iphone 撮影)







龍神様がいる場所だとなんとなく感じたので、そんなコメントと共にFacebook に掲載したところ

「たしかにいる!」って反響がいくつか返ってきて、こっちがびっくりしました




これをどうとらえるかは、ひとそれぞれの問題です

そのひとにとっての真実が、そのひとの人生に映ります




事実というものごとの価値を重んじる、近代社会に生きるのか

うちなる自分の真実をたいせつに暮らす、宇宙との調和に生きるのか

その選択もまた、自由です




今回、病床で感じました

身体の不自由が、魂を自由にすると




これは自分の未熟さの現れでもありますが、よい気づきを拾えました

気づけたから、今度は身体は自由でも、魂も自由になれますよね、きっと




はい、ここは、「もともとおまえは自由じゃないか!」と突っ込むところではありません、笑

自由の次元が違う話ですね




そんなこんなで、長〜い話になりましたが

今日のこの話を楽しみにしてくれている方々が、いてくれました

その方々の想いが、これを書かせてくれました

ありがとうございます、インラケチ




最後に、剣山の中腹で撮影したペルセウス流星群の宇宙(時空)です

天の川と、流れ星が見えますか







宇宙大調和 ONE LOVE
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たくさんの予定がありましたが

病状のなりゆきに合わせで変更してゆきます


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Posted by 放浪太郎 at 14:29Comments(0)