2016年02月04日
想い出
今朝
旅の途中で大変お世話になっていた方が天に召されたと
お友だちから連絡があった
天に召されるにはまだ早いと思われる年齢だけれど
そのようなお別れは突然にやってくる
父との別れも母との別れもそうだったように
俺がお別れする日もそのように訪れるのかも知れない
数年前にその方とそのご家族とお友だちの紹介で出逢い
それからというもの旅の途中で何度もお世話になっていた
家にも泊めて貰ったり
貴重なものをいただいたり
一緒に山を歩き神社仏閣をお参りしたり
一緒にご飯を食べにいったりした
最後に逢ったのは昨年の夏だった
また旅の時に逢えると思っていた
涙は溢れてくるけど
そこに残念な想いや悔いなどはないよ
だってこれまで短い時間だったけれど
一緒にいい時を過ごすことができたんだもの
お世話になりました
どうもありがとうございました
次の旅で線香あげにゆきまーす
そこでまたゆっくりお話ししようね
<夏の想い出の写真>
これを俺が手にしたことを喜んでくれたね
一緒にラーメン食べに行ったね
俺の左側にいたんだよね
合掌
Posted by 放浪太郎 at
17:19
│Comments(0)
2016年02月03日
魂の意味と位置
将棋だか囲碁だか
人とコンピューターで対戦をして
コンピューターが勝ったという記事を最近目にした
恐らくコンピューターの中には様々な
勝ったときのパターンと
負けたときのパターンが記録されていて
その中からその局面のベストを探りながら対戦を進めるのだと思う
人間の脳も同じようなプログラム機能を持っていて
そのプログラミングをするのが経験だ
単に知識としてインプットしたものは
現実に起こる様々な外乱要因を経験していないため
その効果を発揮し難い
つまり
経験が人間の行動のプログラムをインプットする
しかしここで大切なのは
そのプログラムではない
大切なものは
そのプログラムを動かず動機だ
それを目先に置けば目的となり
その深淵を見れば意識となる
将棋や囲碁の対戦プログラムの動機は勝利にある
そこに向かいその機能が発揮されている
経験の全てはプログラムされてゆくので無駄はないが
その経験を如何に活かすかはそのひとの意識による
そしてその意識の置き方そのものもまた
経験によってそのベクトルと深度を変えてゆく
意識探求と経験のサイクルが
生命力そのものかも知れない
そしてどれだけ経験を重ねても
そのプログラムでは想定できないことが起こる
想定できないことへの対処ほど
冒険的でわくわくするものはない
ここへの向き合い方に関わるものが
魂の逞しさであり
魂の逞しさが
生命力でもある
そして
右脳と左脳の橋渡しをするもの
それが
魂だと思う
右脳でキャッチ(インプット)し
左脳が行動に変換(アウトプット)する
右脳でキャッチしたものを左脳へ橋渡しする時
脆弱な魂はその伝達を弱める
従って行動がインプットにダイレクトに対応せず
起こす現実からまた学びが起こる
逞しい魂がその伝達をするとき
インプットに対しより自然なアウトプットが叶う
結果として
そのアウトプットは自然やひとに優しいものとなる
これは今俺が感じていることだけれど
論理的根拠があるわけではない
その感覚のまま在り経験を重ねることで
自ずとまた見えてくるものがあるだろう
それでいい
人間とはそんな生き物なんじゃないかな
Posted by 放浪太郎 at
09:47
│Comments(0)