2018年06月23日
巡礼記-17
今日は 「人の目」 のお話。
巡礼は山伏姿の白装束と法螺貝という出で立ちで臨んだ。
一般の方にとっては普段目にしないその姿。
宗教と捉える人も中にはいるだろう。
奇異の目で見られることは珍しくない。
人其々の捉え方があるため、中には明らかに嫌悪感を示すひともある。
道ですれ違う人にはこちらから挨拶をするが、目を背け挨拶を返してくれない人も多い。
成る程、人はこのようにして自分の思い込みでジャッジし差別することも多いのだなと改めて知った。
生きる限りこの出来事はいつどこにいても、たとえ普通の格好をしていても起こっている。
避けられないものであるし、避ける必要もないものだ。
人に誤解された時、人はわかって欲しいと思うのは常だろう。
しかしそれは必要なことなのか。
俺は必要としない。
だって、その人がどう思おうと自分はなんら変わりなく、このままの自分なのだ。
わかってもらうことに時間を割き心を乱すより、自分の一歩を出すことに生きたい。
その一歩一歩が自分を磨いてくれる道を歩ませてくれるのだ。
目の前に起こる出来事は、制御できない。
地震がそうであるように、人と人の関係も然り。
制御しようと思う思考が心を苦しませる。
出来事は起こるのが然り。
ならばその出来事を観察し、思考と迷いは忘れよう。
その出来事から起こる自分の心の揺らぎをよく感じてあげよう。
なぜ自分はその出来事に対し、心を揺るがせるのか。
そこに自分がまた一歩前進するためのヒントがあるのだから。
人の目は存在しない。
人も目を氣にする自分が存在しているだけなのだ。
自分を生きやすくなれるといいね。
巡礼は様々な自分と向き合わせてくれた。
貴重な体験だった。
さて、いよいよ巡礼記も最終回もに近づいて来たように思う。
次回は、巡礼の爪痕のお話。
そして最終回は、長崎の平和公園にたどり着いた時のことを書こうと思う。
写真は、友だちが連れて行ってくれたファミレス。
ドリンクバーが飲めて嬉しい山伏。
人の目なんて氣にしてらんないよね(笑)

Posted by 放浪太郎 at
10:18
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2018年06月22日
巡礼記-16
ジャッジ(分離意識)の次のお話です。
巡礼では頂く食べ物や飲み物は命の綱なのでとても有り難い。
しかし、全身痛みを伴いながら歩いている我が身にとってその重量は非常な負荷となる。
頂き物も過ぎれば逆にその重さが命取りになる。
だから持ちきれないものは、次に出会った人に貰ってもらう。
生きるためにその微妙なバランスをとっていたわけだ。
その状況下で食べ物を手放すのには恐れが生まれる。
次にいつ食べ物を頂けるかわからないから。
それでも手放すことを決心する。
それは、分かち合うことの喜びの本質かも知れない。
巡礼が進むにつれ、お布施(お金)を時々頂くようになってきた。
そして不思議なことにお布施は後半になればなるほどその額が増えていった。
そのような状況の中、お金の有り難さを身に沁みて感じるようになる。
貨幣経済の弊害を暮らしの中で感じることもあったけれど、巡礼の時はお金ほど有り難いものはない。
何故なら、軽い。
そしてその時必要なものに変えるlことができる。
当たり前のことなんだけれど、こんなに有り難い仕組みはないと思った。
お金は必要ないなどとジャッジしそうになる自分があったことに、ここでまた改めて氣が付けた。
人は二種類に分かれる。
ジャッジする生き方か、ジャッジしない生き方か。
ジャッジしない生き方とは、全てを受け入れることとは違う。
只、人に手出しをしないということ。
只、観察していられる人ということだろう。
よかれと思い口を出す。
これは大きなお世話なんだ。
人それぞれに、その人なりの考えがある。
あなたはそうなんだね、と只観察する。
否定もしないし肯定もしない。
人は自分の考えで行動して初めて氣が付ける。
そしてその氣付きが自分を育んでくれる。
その邪魔をしてはいけない。
観察するとは、見守るということだ。
見守るには、勇氣が必要だ。
見守れないのは、見守る勇氣がないからだろう。
愛とは見守られる勇氣のことだと思う。
手出し、口出しをせず、見守る。
ジャッジしない。
平和の叶え方はそれに尽きると思っている。
次回は「人の目」について書いてみたいと思います。
では、また。

Posted by 放浪太郎 at
10:12
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2018年06月17日
巡礼記-15
" No Judge "
「ジャッジしない」 と言うこと。
いつくか前に巡礼中にゴミを拾っていて、ジャッジしている自分に氣が付いたという話を書いた。
今日はその二つ目の事例を書いてみようと思う。
この巡礼に向け、毎月大和の我が家をベースとして4日間の自己修行を行っていた時の話。
その日は山々は白く雪に覆われていた。
朝目覚め、一杯の緑茶を入れ飲んだ。
修行中は、軽く一杯の玄米飯と、軽く一杯の味噌汁と、梅干しふたつ。
これを夕飯として食べるのみで、その他に口にするものは緑茶と水と塩だけ。
※ これはこの日の夜のご飯(あまりにヘロヘロでご飯多めにしてしまった)

この日はその月の修行の三日目で、大和から国道を下り大善寺から山に分け入った。
初めての道、この先どうなるかは知らない。
尾根伝いに1時間ほど歩いた頃、喉が渇いた。
水もお金も持っていない。
雪を食べ乾きをしのいだ。

尾根伝いに更に歩き峠に着いた。
選択肢は戻り降るか、反対側の谷へ降りるか。
空腹も喉の乾きもあったが、反対側の谷へ降ることにした。
尾根伝いの山道も雪が残っていたが、谷側の北斜面は全面が雪に覆われアイスバーンもあった。
地下足袋の足は雪に埋もれ濡れて感覚がない。

アイスバーンの下りは、いつもの倍以上に体力を消耗する。
その状態で2時間ほど歩き、街へたどり着いた。

喉の乾きは雪では満たされないことを知った。
また街へ入ると山からの氣の巡りが絶えるため、身体的にも精神的にも限界に近かった。
しかしお金はない、水もない。
家まであと2時間ほど歩くしかない。
それから1時間半ほど歩き、心身ともにもはや限界。
そんな時、自動販売機が目に入った。
そこには温かい甘い缶コーヒーなどがあった。
普段その手のものは身体にあまり良くないから飲まない。
しかしその時はその缶コーヒーが命を潤してくれるものに思えた。
自動販売機の下をしゃがんで覗き込み、お釣りが出るところに手を入れてお金がないか探した。
でも無かった。
結局諦め、ヘロヘロになりながら倒れこむように家に戻った。
普段「身体に良くないもの」という目で見ていた缶コーヒー。
同じ缶コーヒーを何が何でも飲みたいと思った自分。
缶コーヒーは同じなのに、自分の状態ひとつでその見方が変わる我が儘。
こんな些細なことろにジャッジしている自分がまだ残っていたことに氣がつけた。
そして飲めないと諦めてからは、少しだけ力が戻って来てたどり着くことができた。
諦める力、それは執着が力を失わせることの裏返しなんだけれど、そんなことにも氣がつくことが出来た。
頭で知ること(知識)と身体で知ること(体験)は別物。
知識は知恵と共にあって初めて生かされる。
知恵は体験から学べる。
知識だけを持ちすぎるとそれは重荷になる。
知識とは使えないお金のようなもので、お金をいっぱい持ってその重荷で歩けなくなるのに似ている。
体験が先で、そこから知恵を授かる。
授かった知恵で知識を活かす。
巡礼という過酷な体験にまつわる氣付きは色々と訪れた。
次回、もうひとつのジャッジの話を書こうと思います。
次回のジャッジはお金というテーマです。
「ジャッジしない」 と言うこと。
いつくか前に巡礼中にゴミを拾っていて、ジャッジしている自分に氣が付いたという話を書いた。
今日はその二つ目の事例を書いてみようと思う。
この巡礼に向け、毎月大和の我が家をベースとして4日間の自己修行を行っていた時の話。
その日は山々は白く雪に覆われていた。
朝目覚め、一杯の緑茶を入れ飲んだ。
修行中は、軽く一杯の玄米飯と、軽く一杯の味噌汁と、梅干しふたつ。
これを夕飯として食べるのみで、その他に口にするものは緑茶と水と塩だけ。
※ これはこの日の夜のご飯(あまりにヘロヘロでご飯多めにしてしまった)

この日はその月の修行の三日目で、大和から国道を下り大善寺から山に分け入った。
初めての道、この先どうなるかは知らない。
尾根伝いに1時間ほど歩いた頃、喉が渇いた。
水もお金も持っていない。
雪を食べ乾きをしのいだ。

尾根伝いに更に歩き峠に着いた。
選択肢は戻り降るか、反対側の谷へ降りるか。
空腹も喉の乾きもあったが、反対側の谷へ降ることにした。
尾根伝いの山道も雪が残っていたが、谷側の北斜面は全面が雪に覆われアイスバーンもあった。
地下足袋の足は雪に埋もれ濡れて感覚がない。

アイスバーンの下りは、いつもの倍以上に体力を消耗する。
その状態で2時間ほど歩き、街へたどり着いた。

喉の乾きは雪では満たされないことを知った。
また街へ入ると山からの氣の巡りが絶えるため、身体的にも精神的にも限界に近かった。
しかしお金はない、水もない。
家まであと2時間ほど歩くしかない。
それから1時間半ほど歩き、心身ともにもはや限界。
そんな時、自動販売機が目に入った。
そこには温かい甘い缶コーヒーなどがあった。
普段その手のものは身体にあまり良くないから飲まない。
しかしその時はその缶コーヒーが命を潤してくれるものに思えた。
自動販売機の下をしゃがんで覗き込み、お釣りが出るところに手を入れてお金がないか探した。
でも無かった。
結局諦め、ヘロヘロになりながら倒れこむように家に戻った。
普段「身体に良くないもの」という目で見ていた缶コーヒー。
同じ缶コーヒーを何が何でも飲みたいと思った自分。
缶コーヒーは同じなのに、自分の状態ひとつでその見方が変わる我が儘。
こんな些細なことろにジャッジしている自分がまだ残っていたことに氣がつけた。
そして飲めないと諦めてからは、少しだけ力が戻って来てたどり着くことができた。
諦める力、それは執着が力を失わせることの裏返しなんだけれど、そんなことにも氣がつくことが出来た。
頭で知ること(知識)と身体で知ること(体験)は別物。
知識は知恵と共にあって初めて生かされる。
知恵は体験から学べる。
知識だけを持ちすぎるとそれは重荷になる。
知識とは使えないお金のようなもので、お金をいっぱい持ってその重荷で歩けなくなるのに似ている。
体験が先で、そこから知恵を授かる。
授かった知恵で知識を活かす。
巡礼という過酷な体験にまつわる氣付きは色々と訪れた。
次回、もうひとつのジャッジの話を書こうと思います。
次回のジャッジはお金というテーマです。
Posted by 放浪太郎 at
16:29
│Comments(0)
2018年06月15日
巡礼記-14
巡礼、17〜19日目のこと。
身体はとっくに限界を超えていたと思う。
しかし氣持ちは晴れやかに歩いていた。
街を歩くと疲れるが、田舎道になると少しは氣が満ちてくる。
そんな状態の中、この3日間は長崎の大村湾沿いを歩いた。
そこで氣がついた。
24年を長崎に生まれ育った俺だけれど、大村湾は好きではなかった。
波乗りや素潜りが好きだった俺にとって、内海である大村湾は淀みだった。
ところが大村湾沿いを歩いていて、身体に氣が満ち入る感覚を覚えた。
車で一周すると4時間ほどかかる大きな湾の外海との出入り口は狭く絞られていて
そこは潮の満ち干きによって渦を巻くほどの激しい流れとなる。
空氣もそこで取り入れられるし、それ以外の周波数のエネルギーもここで調整される。
大村湾がそんな感じだったと初めて知った。
そしてテクテクあるくうちに、氣になるお店があった。
一文も持たず歩き始めた巡礼なので、立ち寄る勇氣はなく通り過ぎた。
実はそこが今回の移住先のすぐ近くの「竹の家」だった。
春引越しを始めてから、ここの店主ご夫婦と仲良くなった。
しかもこのご夫婦には全国でLIVEをやっているミュージシャン仲間の十輝もお世話になっていたのだった。
そしてその先にまたテクテクと歩き進むうちに、俺はもしかしてここ琴海(きんかい)に住むんじゃないかと直感した。
しかし俺には長崎には空き家の実家がある。
思い違いかな、なんてその時は歩き続けたのだが、それから1年後には琴海に住むことが決まっていて今に至る。
人生は巡礼と同じ、たどり着けるかどうかなんてわからないし、先を思い悩むこともない。
只々、今の一歩を踏み出すだけだ。
しかしその一歩の先に初めて訪れるものが来る。
おかしな日本語に聞こえるかもしれないが 「訪れるものが来る」のだ。
大切なことは、今の一歩。
それ以外にはないことを、この巡礼で身体で知ることができた。
そして今、琴海の古民家への移住を進めている。
かなり修理が必要で、秋までにリノベーションを完成させる予定。
それもまた、一歩一歩。
廃材集めたり、DIYで色んなものを造ったり。
ワクワクが絶えることはない暮らし。
琴海あたりを歩いている時の写真

琴海あたりで新聞社の取材を受けた、その記事

Posted by 放浪太郎 at
13:03
│Comments(0)
2018年06月07日
巡礼記-13
今回も九州に入ってからのことを書こう。
それは糸島から唐津へ歩いていた時のこと。
20日間に亘る巡礼の中で唯一精神的にも身体的にも苦しかった日。
この日は雨に降られていた。
体温も奪われ足元もずぶ濡れ。
この状態ではいよいよ長崎へたどり着けないと感じながらも
取り敢えず一歩一歩を踏み出すことだけに意識を置いていた。
唐津の手前には虹の松原(元は二里の松原と言われていた)がある。
大きな松の樹で鬱蒼と覆われた 8km(二里) に及ぶ泥と砂の道。
身体が痛むので迷わず国道を離れその中へ。
足元は水溜りだらけで白い地下足袋をぐしゃぐしゃにして歩いた。
暫くしてすーっと身体が楽になり痛みを和らいだ。
心も軽くなった。
驚くほどの変化だ。
虹の松原はその地形的成り立ちを見ても氣の巡りは高い。
その効果だと思っていたんだけれど、それから数ヶ月後アーシングと出逢った。
アーシングとは、人体を大地にアースする(電気的地絡)ということ。
人体は常時静電気を帯びていて、これが様々な不具合を身体に生む。
身体的な病や精神的な病の原因にもなる。
このアーシング効果で楽になったんだろうと言うことを後になって氣がついた。
というのも、身体はびしょ濡れで足元も薄い地下足袋の底を隔てびしょ濡れ。
全身一氣に地絡通電しないわけがない。
この状態で2時間程ただでさえ氣の巡りがいい虹の松原を完璧なアーシングをしながら歩いたわけだ。
アーシングの効果は様々な国々の医者や学者が論じており確からしいと思えるが
これをこれほどに体験できたのは、心も身体も限界まで追い込まれていたからこそ。
とても貴重な体験をすることができた。


それからアーシングを積極的に暮らしに取りいれるようになった。
各地でアーシングイベントを行ったり、移住先の長崎琴海の家の広い敷地には
Barefoot Park (裸足公園)を造る計画を進めている。
家の敷地から4歩で海というロケーション。
更にすぐ近くに無人島もある。
大地と海の両方を繋いだ裸足体験を多くの人にして貰えたらいいなあと思っており
この夏から本格的なリノベーションを始める。
Posted by 放浪太郎 at
17:18
│Comments(0)
2018年06月06日
巡礼記-12
そもそも何故巡礼をしようと思ったのか。
その話を今回は書いてみようと思う。
理由はシンプルで「やってみたいと思ったから」
その一言につきる。
俺の行動の動機は比較的いつもシンプルで
やりたいからやる。
やりたくないからやらない。
こんな当たり前のことだけれど、それが出来る暮らしをしていない人が殆どのこの社会。
人間の病みも社会的な病みも、ここから生まれているというのに。
それはさておき、では何故やってみたいと思ったかということになるんだけれど
それは二人の先人の巡礼者の体験を本で読んだからなんだ。
ひとりは、サティシュ・クマール氏。
もうひとりは、エハン・デラヴィ氏。
二人とも世界的に活躍をされている方々だけれど、運命とは数奇なものでエハンさんと仲良くなった。
そしてエハンさんは俺が全国で開催している 「山伏と山を歩こう」 に参加してくれた。
その日我が古民家に泊まってくれて、色んな話をする中でサテイシュさんの話になった。
俺がサテイシュさんの提唱する 3つの s(soil, soul, society = 土、魂、社会) を好み
知らず知らずのうちにそんな暮らしをしていたという話の流れになった。
それでエハンさんが 「ちゃま、サテイシュさんに逢わせてあげるから」 という話になり
それはそれから僅か半年後に現実のものとなった。
その時に撮影したもの
エハンさんとサテイシュさん

サテイシュさん

そしてサテイシュさんの前で、華宮夜KAGYAの演奏と舞を見て頂いたり
サテイシュさんと直接巡礼体験の話などをすることができ、サテイシュさんも興味深く耳を傾けてくれた。
俺の巡礼体験を "wonderful, wonderful " と大きく頷きながら讃えてくれた。
とても嬉しかった。
我々三人が巡礼者として共通の認識を持っていることがある。
それは地球そのものが宇宙の巡礼者だということだ。
それは頭で理解されているのではなく、心でも身体でもそれを知っているという点だろう。
これからの社会はその感覚へ帰依してゆくための枠組みができてゆく感じがしている。
そしてその一端を俺自身の暮らしが担ってゆくものと感じている。
エハンさん、サテイシュさんに、深いリスペクトと感謝を贈ります。
これはエハンさんと山を歩いた時のもの

エハンさんにその日渡した杖(修行の後サインして貰ったもの)

サティシュさんからのメッセージ
https://youtu.be/MPz69RFC92s
サティシュクマールの今ここにある未来
(PV)
https://youtu.be/ueOh7ioXrX8
サテイシュさんの昨年の日本公演(この数日後にサテイシュさんと逢えた)
https://greenz.jp/2018/02/26/satish_kumar_forum/
その話を今回は書いてみようと思う。
理由はシンプルで「やってみたいと思ったから」
その一言につきる。
俺の行動の動機は比較的いつもシンプルで
やりたいからやる。
やりたくないからやらない。
こんな当たり前のことだけれど、それが出来る暮らしをしていない人が殆どのこの社会。
人間の病みも社会的な病みも、ここから生まれているというのに。
それはさておき、では何故やってみたいと思ったかということになるんだけれど
それは二人の先人の巡礼者の体験を本で読んだからなんだ。
ひとりは、サティシュ・クマール氏。
もうひとりは、エハン・デラヴィ氏。
二人とも世界的に活躍をされている方々だけれど、運命とは数奇なものでエハンさんと仲良くなった。
そしてエハンさんは俺が全国で開催している 「山伏と山を歩こう」 に参加してくれた。
その日我が古民家に泊まってくれて、色んな話をする中でサテイシュさんの話になった。
俺がサテイシュさんの提唱する 3つの s(soil, soul, society = 土、魂、社会) を好み
知らず知らずのうちにそんな暮らしをしていたという話の流れになった。
それでエハンさんが 「ちゃま、サテイシュさんに逢わせてあげるから」 という話になり
それはそれから僅か半年後に現実のものとなった。
その時に撮影したもの
エハンさんとサテイシュさん

サテイシュさん

そしてサテイシュさんの前で、華宮夜KAGYAの演奏と舞を見て頂いたり
サテイシュさんと直接巡礼体験の話などをすることができ、サテイシュさんも興味深く耳を傾けてくれた。
俺の巡礼体験を "wonderful, wonderful " と大きく頷きながら讃えてくれた。
とても嬉しかった。
我々三人が巡礼者として共通の認識を持っていることがある。
それは地球そのものが宇宙の巡礼者だということだ。
それは頭で理解されているのではなく、心でも身体でもそれを知っているという点だろう。
これからの社会はその感覚へ帰依してゆくための枠組みができてゆく感じがしている。
そしてその一端を俺自身の暮らしが担ってゆくものと感じている。
エハンさん、サテイシュさんに、深いリスペクトと感謝を贈ります。
これはエハンさんと山を歩いた時のもの

エハンさんにその日渡した杖(修行の後サインして貰ったもの)

サティシュさんからのメッセージ
https://youtu.be/MPz69RFC92s
サティシュクマールの今ここにある未来
(PV)
https://youtu.be/ueOh7ioXrX8
サテイシュさんの昨年の日本公演(この数日後にサテイシュさんと逢えた)
https://greenz.jp/2018/02/26/satish_kumar_forum/
Posted by 放浪太郎 at
10:36
│Comments(0)
2018年06月03日
巡礼記-11
巡礼から一年以上が経った。
巡礼記も途中まで書いてそのままになってしまった。
改めて自分が書いたものを読み返してみて、この巡礼がどれほど大きい体験だったかを改めて知った。
続きを書こうにも、あの時のことを思い出せない自分が居る。
でも、記憶としては残っていなくても、この身体が覚えていることはきっとあるだろう。
その体内記憶はきっと今の暮らしにも息づいているだろう。
あ、ひとつ思い出したので書いてみよう。
九州に入って福岡を歩いている時のことだった。
舗装路を歩くと足も身体も痛いので、歩道の植え込みがあるとそこを歩くようにしていた。
そこは高速道路の下の植え込みで、一面にシロツメグサが生えていた。
そこを歩いている時、ふと 「あ、四葉のクローバーが見つかる」 と思った。
しかしそこに座り込んで探すでもなく、トッコトコットコ結構な勢いで歩いている。
なのに「見つかる」というその思いはだんだんと確信になってゆく。
なんなんだろう、この感覚は。
そして歩き続けるうちに、実際に四葉のクローバーを見つけたシーンが見えた。
頭の中のスクリーンにその映像が見えたのだった。
確信はますます深まった。
そしてトットコトットコ歩きながら、その時は訪れた。
不意に四葉のクローバーが目に飛び込んで来たのだった。
これは説明のしようがないのだけれど、確かに体験したこと。
この感覚は今も身体に残っている。
そして同じような体験をその後も普通の暮らしの中でしている。
これにはコツがあって、それはその直感に執着しないこと。
でもその直感をしっかり感じ取ってあげること。
感じ取ったらもうそれで十分なんだ。
結果が起ころうと起こるまいと、それはもう今とは関係のない過去なんだ。
そうやって暮らしていると、見逃していた直感をだんだん拾えるようになってくる。
そういうものなんだってことが、わかってしまうんだね。
つづく

Posted by 放浪太郎 at
22:39
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