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2018年06月03日

巡礼記-11


巡礼から一年以上が経った。

巡礼記も途中まで書いてそのままになってしまった。

改めて自分が書いたものを読み返してみて、この巡礼がどれほど大きい体験だったかを改めて知った。



続きを書こうにも、あの時のことを思い出せない自分が居る。

でも、記憶としては残っていなくても、この身体が覚えていることはきっとあるだろう。

その体内記憶はきっと今の暮らしにも息づいているだろう。



あ、ひとつ思い出したので書いてみよう。

九州に入って福岡を歩いている時のことだった。

舗装路を歩くと足も身体も痛いので、歩道の植え込みがあるとそこを歩くようにしていた。

そこは高速道路の下の植え込みで、一面にシロツメグサが生えていた。



そこを歩いている時、ふと 「あ、四葉のクローバーが見つかる」 と思った。

しかしそこに座り込んで探すでもなく、トッコトコットコ結構な勢いで歩いている。

なのに「見つかる」というその思いはだんだんと確信になってゆく。

なんなんだろう、この感覚は。

そして歩き続けるうちに、実際に四葉のクローバーを見つけたシーンが見えた。

頭の中のスクリーンにその映像が見えたのだった。



確信はますます深まった。

そしてトットコトットコ歩きながら、その時は訪れた。

不意に四葉のクローバーが目に飛び込んで来たのだった。



これは説明のしようがないのだけれど、確かに体験したこと。

この感覚は今も身体に残っている。

そして同じような体験をその後も普通の暮らしの中でしている。



これにはコツがあって、それはその直感に執着しないこと。

でもその直感をしっかり感じ取ってあげること。

感じ取ったらもうそれで十分なんだ。

結果が起ころうと起こるまいと、それはもう今とは関係のない過去なんだ。

そうやって暮らしていると、見逃していた直感をだんだん拾えるようになってくる。

そういうものなんだってことが、わかってしまうんだね。


つづく





巡礼記-11

Posted by 放浪太郎 at 22:39│Comments(0)
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