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Posted by のらんば長崎運営事務局 at

2018年09月22日

身体と暮らし

身体と暮らし
 
 
ビジネスマンだった35歳の頃、俺は重度の椎間板ヘルニアを患った。

きっかけが何であったかはいくつか思い当たるが、それはいずれも学生時代の度の過ぎたる肉体酷使だった。海山と激しく身体を使い、またアルバイトと言えば重労働ばかりを好んでやっていた。そのアルバイトのひとつで、重たいものを繰り返し何百も大きなトラックに積み込んでいる時にそれは来た。腰の激痛だった。すぐにしびれも来た。しかし当時の俺は肉体的には強靭であり、その痛みも筋肉が支え大事には至らなかった。

それがビジネスマンとなり、朝から晩まで椅子に座って仕事をしている。筋力の低下、精悍だった身体つきはいわゆる中年のそれに向かい始め、精神的な重荷ももしかかり、腰が爆発した。椎間板ヘルニアの発症だった。

一歩も歩けない、足を3cm出すことすらできない。病院や整体院などのお世話になった。それから何年間かは、季節の変わり目になると数日歩けない日々があった。その数日以外であっても腰には常に痛みがあり、足の太腿から足首にかけての外側線は常に痺れがあり硬直していた。

それは会社を退職する48歳の時もまだ続いていた。当時の俺は小走りすることも出来なかった。小走りするだけで腰が酷く痛む。スポーツ万能と言われ続けた自分にとってそれは思いの外辛い事だった。
 
 
 
会社を辞め放浪の旅を始めた。そして間も無く音楽が仕事になった。全国あちらこちらでLIVEをやって欲しいと声をかけて貰えるようになったのだった。アンプ、ミキサーから楽器まで車に積んで自前でPAも演奏もやるスタイルとなった。しかしその機材搬入と搬出は当時の俺にとっては腰の痛みを伴った。狭い階段を2階、3階まで何往復もして運ぶことも珍しくない。しかしそれは俺にとってはかけがえのない仕事だ。痛みを堪え笑顔で頑張った。

一方山梨の古民家暮らしも始まり、草刈りや薪造り、土造りから始めた畑など、重労働ばかりだった。しかしそんな暮らしが充実して楽しかった。只、痛みは常に共にあった。
 
 
 
そんな暮らしが何年も続き、50歳を過ぎ何年か経った頃。犬の散歩で近所のグラウンドに入り、犬と走った。なんと全力で走ることができた。多少の痛みはあるが全力で走られたその時、腰を患ってから20年が過ぎようとしていた。

思いがけず目から涙がボロボロこぼれた。

そうか。俺は走ることができないということにこれほど悲しみや悔しさを長年自分の中に抑え込み、時が経つにつれ抑え込んでいることすら気がつけなくなっていたのか。ということに、この時初めて気がついた。自分に可哀想なことをしてしまったと思った。

これからは、もっと自分に優しく、素直に暮らそうと思った。
 
 
 
そんな矢先、修験道に出逢う。

修験道って何だろう?修行って何をするんだろう?50歳になっても色んな事への興味が尽きない、すぐにワクワクしてしまうこの性分。たまたま東京の高尾山で1日の修行体験ができるというので、それに参加してみることにした。星野先達との出逢いだった。

山を歩き始める。最初は延々と登りが続く。15分ほど歩いた頃、これはやばいと思った。息は苦しいし、足が上がらない。腰も重たい。しかし尾根伝いの道に出て山と己が混ざり始めた頃、少し楽になってきた。

結局、7、8時間歩いた。最後は高尾山の頂上から一気にこの日初の舗装路で里へ降る。この時膝に激痛が走った。やばい。直感的にそう感じた。激痛と共になんとか山を降りたが、腰の痛みと膝の痛みで駅の階段の昇り降りも手すりにつかまってやっとだ。24年間のビジネスマンの暮らしの中で、身体をこんなに駄目にしてしまった。情けなかった
 
 
 
結局この、年に一度の高尾山の修行体験に3年続けて参加した。しかし3年目もまだ膝の激痛と腰の痺れを克服することは無かった。

そんな中、ひょんなご縁から東京で星野先達と『魂振りナイト』という大きなイベントに出演することとなった。先達は御神事とトーク、俺は演奏で出演した。その他に、既にこの時親交のあった岡野弘幹氏、國友悠一朗氏も出演。そしてハワイ島のシャマンであるクムエフラニとの出逢いもここだった(このご縁でエフラニとは一昨年、昨年と、ハワイ島で儀式を催行することになる)

そしてこの時先達から「ちゃま、うちの神社に奉納演奏に来てくれよ」と言われる。そして数ヶ月後、山形の出羽三山神社へ奉納へ出向く。無事奉納も終わり、先達の宿坊である大聖坊に泊めて頂いた翌朝。縁側で先達とのんびり過ごしていた時、「ちゃま、お前山伏になれよ。山伏になったら人生かわるぞ」と言われた。そしてその翌年、山伏行「秋の峰」を満行し山伏となった。
 
 
 
しかし、この行に入る時点でも膝と腰には大きな不安があった。高尾山の1日修行体験ですらあの状態なのに、1週間に及ぶ過酷な行に耐えうる身体ではないと思った。しかし先達の言葉に背中を押され行に入り、無事満行することが出来た。

それからは自分ひとりで地元の山を行場と見立て、行を積んできた。旅も続いていたので、先々で山に入っては祈った。

今もまだ膝と腰には少し痛みがあるが、当時からすればほぼ健常な身体に戻った。あれから7年歳をとり今年55歳になるが、身体は当時より内臓器官含め若返った。
 
 
 
健常な心身は、暮らしが整えてくれるものだと今は知っている。

健康だけを取り出して何かをするのは不自然。

自分らしく手足身体を使って暮らしていれば、健常でいられるもの。

寿命が来るまで、そう暮らし続けようと思っている。
 
 
 
椎間板ヘルニアは完治には至っていないが、人より身体は動く。

これと向き合いながら暮らすことで、また色んな気づきが訪れることだろうと思う。

心身の不調はとり省くものではなく、気づきの種。

自分で蒔いた種をちゃんと育て、摘み取ってゆけたらいいなと思う。

ここ華宮夜海風での暮らしは、その実践道場でもある。
 
 
 
山伏の世界には「山の行より里の行」という言葉がある。

ここはまさに里の行場。
 
自然に恵まれた素晴らしいところ。

有り難い。
 
 
 
 

 
 
 
 
 





  
Posted by 放浪太郎 at 11:20Comments(0)

2018年09月17日

華宮夜海風

 
 
ここ 「華宮夜海風(カグヤウミカゼ)」 は関わる方々の 「やる気を起こす場所」 として、今後の暮らしを造ってゆきます。
 
 
 
ここでまず 「三気」 というものがあります。
 
俺がビジネスマン時代に担当事業 (日本、アメリカ、中国、タイ、総勢5,000名という規模) の品質の総責任者を任された時、当時のボスが書いて渡してくれました。

それは、 「見る気、聴く気、やる気」 の三気。

「茂生、いいか。人はこの三気で動くものだ。よく覚えておけ」 と。
 
 
 
人は 「見る気」 にはなり易いもの。

しかし 「聴く気」 になると、少し難しくなります (自己主張はするけれど人の話は聴かないパターンなど)

そしていざ、自分自身が行動する 「やる気」 となるとなかなか動けない習性があります。

しかしそれは単に 「やる気があるかないか」 と言うだけのことで難しく考える必要はありません。

やりたくないものは、やらなくていいんです。

やりたいものを、とことんやればいいんです。
 
 
 
人は 「私には出来ない」 と口にします。
 
しかしそれは嘘です。

やる気がないだけなのに、それを出来ないという言葉で自分に嘘をつき誤魔化します。

人はなかなか自分に正直になれない生き物です。
 
 
 
みなさん、自分に正直に生きられるようになりましょう。

これからの社会は、そのような人たちが物、金、地域、社会を生み出してゆくのです。

そしてそれは文化となり、本当のニッポンという国が生まれます。
 
 
 
華宮夜海風で、まずは 「見る気」 に触れて貰います。

来て見るだけで、何かを感じられるでしょう。

自然を見る、暮らしを見る、アートを見るなど、多角的に見て貰えます。
 
 
 
次に、 「聴く気」

見て興味を持ったら、遠慮なく質問してください。

ここで聴く気が生まれます。
 
 
 
人の話を聴かないのは、興味がないからです。

興味を持てない自分がいるからです。

様々に興味を持てる自分になることは、大いなる財産になります。

それは自分の価値観だけで即座に、物事を判断してしまわないということ。

チャンスを自ら逃してしまわない、了見の狭い人間にならないことと繋がっています。
 
 
 
そして、 「やる気」

本当にそれをやりたいと思ったら、まずはやって見ましょう。
 
 
 
これが、自分らしく生きるスタートです。

そして、本番はその後です。
 
 
 
人は体験からのみ学び、人として深まることが出来ます。

知識は只の知識に過ぎず、それは道具のひとつに過ぎません。

ここ 「華宮夜海風」 での体験で 「自分の使い方」 を思い出しましょう。



それは 「生き方を思い出す」 ことと同じ。

息をしているのが生きているのではないでしょう。

命を燃やし「やりたいことに果敢に挑戦できるやる気と行動」こそが、生きるということなのではないでしょうか。



そのように生き始めた人は、フリーエネルギー発生装置です。

その人が起こす行動や、その後に残る何か(人に与えた共感や学び)は水面に広がる波紋のように伝わってゆきます。

支え合うとはそのような形で、単にお金や物や労力を提供することではありません。

1+1=10 にも 100 にもなる形こそが、支え合うという姿の本質です。
 
 
 
興味を持ってくださる方は、どうぞお越しください。

ここ華宮夜海風は

・カフェのようでカフェじゃなし

・居酒屋のようで居酒屋じゃなし

・プールバーのようでプールバーじゃなし

・海の家のようで海の家じゃなし

・ゲストハウスのようでゲストハウスじゃなし

そんな場所です。



10月末までに古民家のリノベーション (修復再生) を終わらせます。

11月から本格稼働しますが、それを待たずして全国から何十人もの人が既に来てくれています。
 
 
 
そして俺のここでの暮らしは、来てくれた皆さんのお気持ちで運営されます。

ドネーション、ハートマネー、お布施、呼び方は色々ありますが、皆さんが感じた分を分けて帰って貰えることで継続的に深化してゆけます。

継続的深化こそが、地球が、宇宙が、そして人類が目指すところなのではないかと思うのです。

何事も焦らず、恐れず、体当たりでやるのが俺のスタイル。

皆さんに来ていただけるのをお待ちしております。
 
 
 
華宮夜海風は、長崎市琴海にあります。

目の前すぐに海があり、その海越しに太陽と月が昇ってきます。

Facebookで日々の様子がご覧になれます。

「 鈴木茂生 chama 」 と検索してください。
 
 
 
では、これからの暮らし造りを楽しみたいと思います。

長文へのお付き合い、どうも有り難うございました。
 
 
 
しばらくお休みしていたこのブログ。

総アクセス件数も28万件になりましたがタイトルも新たにし、ここでの暮らしなどを時々書いてゆきたいと思っていますので、よかったら読者登録しておいてください。
 
 

「 華宮夜海風 KAGYA umi KAZE 」 家主、 chama
 
 



 
  
Posted by 放浪太郎 at 07:24Comments(0)

2018年07月22日

巡礼記-19



さて、巡礼記もいよいよ最後になりました。

ここに至るまで本当に多くの方々の支えがありました。山伏の修行も楽ではありませんがこの巡礼とは大きな違いがありました。それは、寝食の保証が何もなかったこと。それは、命の保証がなかったことと言っても良いでしょう。



その道のりを振り返った時、長崎にたどり着くのに必要だった大切なふたつの事を挙げてみます。



ひとつは「辿り着けなくても良い」という赦しを自分に与えられたことでした。諦めと言っても良いでしょう。

「絶対につかねばならない」 「必ず着きたい」 という想いは、自分を責め続けるものです。この責めがあったなら、たどり着くことは出来なかったと思います。

所謂努力程度のものであればその想いで成し遂げることは可能です。自分の人生の中でもそのような努力で成し遂げた過酷な経験があくつかあるので 「やれば出来る」 自信は最初からあります。自信があると言うよりも、 「出来る自分を知っている」 と言った方が感覚的には合います。

しかし今回の巡礼は努力だけではどうにもならないものでした。ある意味 「運を天に任せる」 というか、そういうものだったんですね。

赦して貰える背景にある時、ひとは安心感と共にいられるようになります。勿論努力出来る人で在ることはとても大切なことで、努力出来る人に成ることが先だと思いますが、努力出来る人になったら次は赦せる人として在ることだと思います。己を赦せるのが先で、それが出来るようになると人も赦せるようになります。

これがひとつめのポイントでした。



次にふたつめの大切なことは、未来を想わないことです。巡礼において言えば、 「今夜眠る場所はあるだろうか?」 とか、 「この激痛の身体は長崎まで持ってくれるだろうか?」 とか、 「長崎にたどり着くことは出来るだろうか?」 とか、そのような先のことを考える行為をしないということが大切でした。

普段の暮らしからそのようなことをしない方なのですが、流石に命が関わってくるとついそのような想いを作りだしている自分を知りました。 「おっと、まだそんな恐れを抱く程度の自分だったのか」 ってね。

様々な感情は人それぞれの思考パターンから生まれるものです。それら生まれた、怒り、妬みなどの感情の奥底を辿ってゆくと常にに死の恐れにたどり着きます。一見生命維持のためにそのパターンは重要かのように思いがちですがそうではありません。本能的に死を避ける能力はそれなりに備わっています。しかし必要以上に思考が想定を作りだし、そこから感情が生まれ、その感情で行動する場合が多く見受けられますが、その殆どは不要なものだったはずです。その過程で人は自分を必要以上に傷つけています。そして本来自分が持っている能力の10分の1も使えないまま自分を制御し人生を終わります。

どうせ今出来ることはひとつしかないのです。巡礼において出来ることはとてもシンプルでした。

それは右足を一歩出すこと。右足を出したら左足を出し、そうしたらまた右足を出す。激痛の身体で出来ることはそれしかなかったのです。激痛であったからこそその今を感じ、行動出来るようになったのです。トータルで20日間465kmを66万歩で歩いたのですが、それは一歩一歩を積み重ねた単なる結果であり、全ては一歩の中に在りました。

このように、ふたつめの大切だったことは 「未来に想い煩わされることなく、今出来ることを今やる」 ということでした。






そうやって長崎の平和祈念像の前にたどり着きました。歩き始めた頃は凍え、手足の感覚がなくなるような日々も何日にありましたが、その日は汗ばむ暑さでした。季節は冬から春へ、西から東に駆け抜けていましたが、俺は東から西へ歩きました。普段よりも速いスピードで冬から春に変わって行ったということです。歩き始めた頃は、長崎にたどり着いたら感動して泣くだろうと想っていたし、事実その状況を思い浮かべるだけで涙ぐんだりしたものでした。

ところがどうでしょう。平和祈念像の前に立った俺が思ったのは 「あ、着いちゃった」 という、たったそれだけでした。そこには微塵の感動もありませんでした。

そしてもう一つ、実家は平和公園から徒歩15分かならないくらいの場所にあるのですが、 「もう歩きたくない。誰か家まで車で送ってくれないかなあ」 でした。20日間過酷な環境下で歩き続けた俺が、そのたった15分を歩きたくないと確かに思いました。

20日間は過酷なものでしたが、歩きたくないと思ったことは一度もありませんでした。それは自分が歩くと決めていたからで、決めたということは 「それをやりたい」 と自分が望んでいるのだから当然なんですがね。



この巡礼を通し沢山の人が 「私にはちゃまさんの真似は出来ない」 と言いました。しかしそれは違うと思うんです。それは 「やれない」 のではなく最初から 「やりたくない」 だけでしょう。そのようにして人は本当に正直な己の心を言葉に出来ていないことが多くあり、それを繰り返してゆくと本当の己の声が聴き取れなくなってしまうのです。そして自分を見失ってしまうのです。これはとても辛いことです。

どうか己の声を聴きとってあげられる自分であってください。平和への道はそこにあるとこの巡礼で氣付くことが出来ました。

そしてそんな折奇遇にも、マハトマガンジーのこの言葉に出逢ったのです。



" 平和は道の先にはない
平和は道そのものである "



巡礼を終え1年以上経ちましたが、この言葉が俺の暮らしのど真ん中にいつも在ります。本当に多くの方々に支えられ、貴重な体験をさせて頂きました。

最後に、なぜ平和祈念像の前で微塵の感動もなかったのかというお話なんですが、これは巡礼を終え暫くして氣がつきました。

それは、こういうことです。



俺は、その今の一歩に全てを注いでいたんです。つまり、一歩で俺のストーリーは完結していたんですね。未来を想わず今を生きていると、そうなるんだということに氣が付きました。物語にすれば感動的な巡礼ですしたが、実は感動は全くなかったのです。

俺は自分で言うのも何ですが、かなり感情豊かな方です。その感情が、音楽や写真にも現れますし、映画など観ると感動してすぐ泣きます。おいおい泣くこともあるほどです。そんな俺だけれど、巡礼に関してはこのように在ったというのは本当に大きな氣付きでした。





さあ、これで巡礼記は終わりにします。

読んでくださった皆さま、どうもありがとうございました。



自分でも時々読み返してみたいと思います。

「また巡礼をするか?」 と訊かれれば、今は 「しない」 です。

したくないです。絶対に!笑







  
Posted by 放浪太郎 at 10:32Comments(0)

2018年07月11日

巡礼記-18



巡礼記-18

今日は巡礼の爪痕のお話。


広島の平和公園から長崎の平和公園に向かい、465kmを無一文で何も持たず、66万歩歩くということは恐らく想像できないものだと思う。

実際にやった自分でさえ、時の経過と共にその時のことがまるで夢のように朧氣にしか思い出せない。



そんな中、これは現実のものだったんだと身体に刻み込まれた痕があった。

それは、足の親指の爪にくっきりと一本の筋が入っていたことだった。







この痕は爪が伸びて消えるまで10ヶ月ほど残っていた。

写真は巡礼から5ヶ月後くらいに撮ったものだと思う。

そしてこの時のダメージは身体にもあって、はやり10ヶ月ほど坐骨が痛くて横向きに寝ることができなかった。



66万歩を地下足袋で歩く時、そのタメージはダイレクトに身体に残る。

66万回負荷がかかった爪はその位置で変形するしかなかったということだ。



これに関してはこれ以上の話はないのだけれど、その爪痕を見れば人それぞれ何か感じることがあるかも知れないと思い載せてみました。

どうだったかな。



さて、次回はいよいよ最終回。

長崎の平和公園に着いた時のお話。

そしてこの巡礼を通し、平和とは何かを自分なりに悟ったというお話です。

  
Posted by 放浪太郎 at 21:49Comments(0)

2018年06月23日

巡礼記-17



今日は 「人の目」 のお話。



巡礼は山伏姿の白装束と法螺貝という出で立ちで臨んだ。

一般の方にとっては普段目にしないその姿。

宗教と捉える人も中にはいるだろう。



奇異の目で見られることは珍しくない。

人其々の捉え方があるため、中には明らかに嫌悪感を示すひともある。

道ですれ違う人にはこちらから挨拶をするが、目を背け挨拶を返してくれない人も多い。



成る程、人はこのようにして自分の思い込みでジャッジし差別することも多いのだなと改めて知った。

生きる限りこの出来事はいつどこにいても、たとえ普通の格好をしていても起こっている。

避けられないものであるし、避ける必要もないものだ。



人に誤解された時、人はわかって欲しいと思うのは常だろう。

しかしそれは必要なことなのか。

俺は必要としない。



だって、その人がどう思おうと自分はなんら変わりなく、このままの自分なのだ。

わかってもらうことに時間を割き心を乱すより、自分の一歩を出すことに生きたい。

その一歩一歩が自分を磨いてくれる道を歩ませてくれるのだ。



目の前に起こる出来事は、制御できない。

地震がそうであるように、人と人の関係も然り。

制御しようと思う思考が心を苦しませる。



出来事は起こるのが然り。

ならばその出来事を観察し、思考と迷いは忘れよう。

その出来事から起こる自分の心の揺らぎをよく感じてあげよう。

なぜ自分はその出来事に対し、心を揺るがせるのか。

そこに自分がまた一歩前進するためのヒントがあるのだから。



人の目は存在しない。

人も目を氣にする自分が存在しているだけなのだ。

自分を生きやすくなれるといいね。



巡礼は様々な自分と向き合わせてくれた。

貴重な体験だった。



さて、いよいよ巡礼記も最終回もに近づいて来たように思う。

次回は、巡礼の爪痕のお話。

そして最終回は、長崎の平和公園にたどり着いた時のことを書こうと思う。






写真は、友だちが連れて行ってくれたファミレス。

ドリンクバーが飲めて嬉しい山伏。

人の目なんて氣にしてらんないよね(笑)






  
Posted by 放浪太郎 at 10:18Comments(0)

2018年06月22日

巡礼記-16


ジャッジ(分離意識)の次のお話です。



巡礼では頂く食べ物や飲み物は命の綱なのでとても有り難い。

しかし、全身痛みを伴いながら歩いている我が身にとってその重量は非常な負荷となる。

頂き物も過ぎれば逆にその重さが命取りになる。



だから持ちきれないものは、次に出会った人に貰ってもらう。

生きるためにその微妙なバランスをとっていたわけだ。

その状況下で食べ物を手放すのには恐れが生まれる。

次にいつ食べ物を頂けるかわからないから。

それでも手放すことを決心する。

それは、分かち合うことの喜びの本質かも知れない。



巡礼が進むにつれ、お布施(お金)を時々頂くようになってきた。

そして不思議なことにお布施は後半になればなるほどその額が増えていった。



そのような状況の中、お金の有り難さを身に沁みて感じるようになる。

貨幣経済の弊害を暮らしの中で感じることもあったけれど、巡礼の時はお金ほど有り難いものはない。

何故なら、軽い。

そしてその時必要なものに変えるlことができる。



当たり前のことなんだけれど、こんなに有り難い仕組みはないと思った。

お金は必要ないなどとジャッジしそうになる自分があったことに、ここでまた改めて氣が付けた。



人は二種類に分かれる。

ジャッジする生き方か、ジャッジしない生き方か。



ジャッジしない生き方とは、全てを受け入れることとは違う。

只、人に手出しをしないということ。

只、観察していられる人ということだろう。



よかれと思い口を出す。

これは大きなお世話なんだ。

人それぞれに、その人なりの考えがある。

あなたはそうなんだね、と只観察する。

否定もしないし肯定もしない。



人は自分の考えで行動して初めて氣が付ける。

そしてその氣付きが自分を育んでくれる。

その邪魔をしてはいけない。

観察するとは、見守るということだ。

見守るには、勇氣が必要だ。

見守れないのは、見守る勇氣がないからだろう。

愛とは見守られる勇氣のことだと思う。



手出し、口出しをせず、見守る。

ジャッジしない。

平和の叶え方はそれに尽きると思っている。





次回は「人の目」について書いてみたいと思います。

では、また。






  
Posted by 放浪太郎 at 10:12Comments(0)

2018年06月17日

巡礼記-15

" No Judge "

「ジャッジしない」 と言うこと。



いつくか前に巡礼中にゴミを拾っていて、ジャッジしている自分に氣が付いたという話を書いた。

今日はその二つ目の事例を書いてみようと思う。

この巡礼に向け、毎月大和の我が家をベースとして4日間の自己修行を行っていた時の話。



その日は山々は白く雪に覆われていた。

朝目覚め、一杯の緑茶を入れ飲んだ。

修行中は、軽く一杯の玄米飯と、軽く一杯の味噌汁と、梅干しふたつ。

これを夕飯として食べるのみで、その他に口にするものは緑茶と水と塩だけ。



※ これはこの日の夜のご飯(あまりにヘロヘロでご飯多めにしてしまった)






この日はその月の修行の三日目で、大和から国道を下り大善寺から山に分け入った。

初めての道、この先どうなるかは知らない。

尾根伝いに1時間ほど歩いた頃、喉が渇いた。

水もお金も持っていない。

雪を食べ乾きをしのいだ。








尾根伝いに更に歩き峠に着いた。

選択肢は戻り降るか、反対側の谷へ降りるか。

空腹も喉の乾きもあったが、反対側の谷へ降ることにした。



尾根伝いの山道も雪が残っていたが、谷側の北斜面は全面が雪に覆われアイスバーンもあった。

地下足袋の足は雪に埋もれ濡れて感覚がない。







アイスバーンの下りは、いつもの倍以上に体力を消耗する。

その状態で2時間ほど歩き、街へたどり着いた。







喉の乾きは雪では満たされないことを知った。

また街へ入ると山からの氣の巡りが絶えるため、身体的にも精神的にも限界に近かった。

しかしお金はない、水もない。

家まであと2時間ほど歩くしかない。



それから1時間半ほど歩き、心身ともにもはや限界。

そんな時、自動販売機が目に入った。

そこには温かい甘い缶コーヒーなどがあった。



普段その手のものは身体にあまり良くないから飲まない。

しかしその時はその缶コーヒーが命を潤してくれるものに思えた。

自動販売機の下をしゃがんで覗き込み、お釣りが出るところに手を入れてお金がないか探した。

でも無かった。

結局諦め、ヘロヘロになりながら倒れこむように家に戻った。



普段「身体に良くないもの」という目で見ていた缶コーヒー。

同じ缶コーヒーを何が何でも飲みたいと思った自分。

缶コーヒーは同じなのに、自分の状態ひとつでその見方が変わる我が儘。

こんな些細なことろにジャッジしている自分がまだ残っていたことに氣がつけた。



そして飲めないと諦めてからは、少しだけ力が戻って来てたどり着くことができた。

諦める力、それは執着が力を失わせることの裏返しなんだけれど、そんなことにも氣がつくことが出来た。



頭で知ること(知識)と身体で知ること(体験)は別物。

知識は知恵と共にあって初めて生かされる。



知恵は体験から学べる。

知識だけを持ちすぎるとそれは重荷になる。

知識とは使えないお金のようなもので、お金をいっぱい持ってその重荷で歩けなくなるのに似ている。



体験が先で、そこから知恵を授かる。

授かった知恵で知識を活かす。

巡礼という過酷な体験にまつわる氣付きは色々と訪れた。



次回、もうひとつのジャッジの話を書こうと思います。

次回のジャッジはお金というテーマです。




  
Posted by 放浪太郎 at 16:29Comments(0)

2018年06月15日

巡礼記-14


巡礼、17〜19日目のこと。

身体はとっくに限界を超えていたと思う。

しかし氣持ちは晴れやかに歩いていた。



街を歩くと疲れるが、田舎道になると少しは氣が満ちてくる。

そんな状態の中、この3日間は長崎の大村湾沿いを歩いた。



そこで氣がついた。

24年を長崎に生まれ育った俺だけれど、大村湾は好きではなかった。

波乗りや素潜りが好きだった俺にとって、内海である大村湾は淀みだった。



ところが大村湾沿いを歩いていて、身体に氣が満ち入る感覚を覚えた。

車で一周すると4時間ほどかかる大きな湾の外海との出入り口は狭く絞られていて

そこは潮の満ち干きによって渦を巻くほどの激しい流れとなる。

空氣もそこで取り入れられるし、それ以外の周波数のエネルギーもここで調整される。

大村湾がそんな感じだったと初めて知った。



そしてテクテクあるくうちに、氣になるお店があった。

一文も持たず歩き始めた巡礼なので、立ち寄る勇氣はなく通り過ぎた。

実はそこが今回の移住先のすぐ近くの「竹の家」だった。

春引越しを始めてから、ここの店主ご夫婦と仲良くなった。

しかもこのご夫婦には全国でLIVEをやっているミュージシャン仲間の十輝もお世話になっていたのだった。



そしてその先にまたテクテクと歩き進むうちに、俺はもしかしてここ琴海(きんかい)に住むんじゃないかと直感した。

しかし俺には長崎には空き家の実家がある。

思い違いかな、なんてその時は歩き続けたのだが、それから1年後には琴海に住むことが決まっていて今に至る。



人生は巡礼と同じ、たどり着けるかどうかなんてわからないし、先を思い悩むこともない。

只々、今の一歩を踏み出すだけだ。

しかしその一歩の先に初めて訪れるものが来る。

おかしな日本語に聞こえるかもしれないが 「訪れるものが来る」のだ。



大切なことは、今の一歩。

それ以外にはないことを、この巡礼で身体で知ることができた。



そして今、琴海の古民家への移住を進めている。

かなり修理が必要で、秋までにリノベーションを完成させる予定。

それもまた、一歩一歩。

廃材集めたり、DIYで色んなものを造ったり。

ワクワクが絶えることはない暮らし。




琴海あたりを歩いている時の写真






琴海あたりで新聞社の取材を受けた、その記事









  

Posted by 放浪太郎 at 13:03Comments(0)

2018年06月07日

巡礼記-13



今回も九州に入ってからのことを書こう。

それは糸島から唐津へ歩いていた時のこと。

20日間に亘る巡礼の中で唯一精神的にも身体的にも苦しかった日。



この日は雨に降られていた。

体温も奪われ足元もずぶ濡れ。

この状態ではいよいよ長崎へたどり着けないと感じながらも

取り敢えず一歩一歩を踏み出すことだけに意識を置いていた。


 
唐津の手前には虹の松原(元は二里の松原と言われていた)がある。

大きな松の樹で鬱蒼と覆われた 8km(二里) に及ぶ泥と砂の道。

身体が痛むので迷わず国道を離れその中へ。



足元は水溜りだらけで白い地下足袋をぐしゃぐしゃにして歩いた。

暫くしてすーっと身体が楽になり痛みを和らいだ。

心も軽くなった。

驚くほどの変化だ。



虹の松原はその地形的成り立ちを見ても氣の巡りは高い。

その効果だと思っていたんだけれど、それから数ヶ月後アーシングと出逢った。

アーシングとは、人体を大地にアースする(電気的地絡)ということ。

人体は常時静電気を帯びていて、これが様々な不具合を身体に生む。

身体的な病や精神的な病の原因にもなる。

このアーシング効果で楽になったんだろうと言うことを後になって氣がついた。



というのも、身体はびしょ濡れで足元も薄い地下足袋の底を隔てびしょ濡れ。

全身一氣に地絡通電しないわけがない。

この状態で2時間程ただでさえ氣の巡りがいい虹の松原を完璧なアーシングをしながら歩いたわけだ。

アーシングの効果は様々な国々の医者や学者が論じており確からしいと思えるが

これをこれほどに体験できたのは、心も身体も限界まで追い込まれていたからこそ。

とても貴重な体験をすることができた。














それからアーシングを積極的に暮らしに取りいれるようになった。

各地でアーシングイベントを行ったり、移住先の長崎琴海の家の広い敷地には

Barefoot Park (裸足公園)を造る計画を進めている。

家の敷地から4歩で海というロケーション。

更にすぐ近くに無人島もある。

大地と海の両方を繋いだ裸足体験を多くの人にして貰えたらいいなあと思っており

この夏から本格的なリノベーションを始める。



  
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2018年06月06日

巡礼記-12

そもそも何故巡礼をしようと思ったのか。

その話を今回は書いてみようと思う。



理由はシンプルで「やってみたいと思ったから」

その一言につきる。



俺の行動の動機は比較的いつもシンプルで

やりたいからやる。

やりたくないからやらない。



こんな当たり前のことだけれど、それが出来る暮らしをしていない人が殆どのこの社会。

人間の病みも社会的な病みも、ここから生まれているというのに。






それはさておき、では何故やってみたいと思ったかということになるんだけれど

それは二人の先人の巡礼者の体験を本で読んだからなんだ。

ひとりは、サティシュ・クマール氏。

もうひとりは、エハン・デラヴィ氏。



二人とも世界的に活躍をされている方々だけれど、運命とは数奇なものでエハンさんと仲良くなった。

そしてエハンさんは俺が全国で開催している 「山伏と山を歩こう」 に参加してくれた。

その日我が古民家に泊まってくれて、色んな話をする中でサテイシュさんの話になった。

俺がサテイシュさんの提唱する 3つの s(soil, soul, society = 土、魂、社会) を好み

知らず知らずのうちにそんな暮らしをしていたという話の流れになった。



それでエハンさんが 「ちゃま、サテイシュさんに逢わせてあげるから」 という話になり

それはそれから僅か半年後に現実のものとなった。



その時に撮影したもの

エハンさんとサテイシュさん




サテイシュさん








そしてサテイシュさんの前で、華宮夜KAGYAの演奏と舞を見て頂いたり

サテイシュさんと直接巡礼体験の話などをすることができ、サテイシュさんも興味深く耳を傾けてくれた。

俺の巡礼体験を "wonderful, wonderful " と大きく頷きながら讃えてくれた。

とても嬉しかった。



我々三人が巡礼者として共通の認識を持っていることがある。

それは地球そのものが宇宙の巡礼者だということだ。

それは頭で理解されているのではなく、心でも身体でもそれを知っているという点だろう。



これからの社会はその感覚へ帰依してゆくための枠組みができてゆく感じがしている。

そしてその一端を俺自身の暮らしが担ってゆくものと感じている。



エハンさん、サテイシュさんに、深いリスペクトと感謝を贈ります。






これはエハンさんと山を歩いた時のもの




エハンさんにその日渡した杖(修行の後サインして貰ったもの)








サティシュさんからのメッセージ
https://youtu.be/MPz69RFC92s



サティシュクマールの今ここにある未来
(PV)
https://youtu.be/ueOh7ioXrX8



サテイシュさんの昨年の日本公演(この数日後にサテイシュさんと逢えた)
https://greenz.jp/2018/02/26/satish_kumar_forum/


  
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2018年06月03日

巡礼記-11


巡礼から一年以上が経った。

巡礼記も途中まで書いてそのままになってしまった。

改めて自分が書いたものを読み返してみて、この巡礼がどれほど大きい体験だったかを改めて知った。



続きを書こうにも、あの時のことを思い出せない自分が居る。

でも、記憶としては残っていなくても、この身体が覚えていることはきっとあるだろう。

その体内記憶はきっと今の暮らしにも息づいているだろう。



あ、ひとつ思い出したので書いてみよう。

九州に入って福岡を歩いている時のことだった。

舗装路を歩くと足も身体も痛いので、歩道の植え込みがあるとそこを歩くようにしていた。

そこは高速道路の下の植え込みで、一面にシロツメグサが生えていた。



そこを歩いている時、ふと 「あ、四葉のクローバーが見つかる」 と思った。

しかしそこに座り込んで探すでもなく、トッコトコットコ結構な勢いで歩いている。

なのに「見つかる」というその思いはだんだんと確信になってゆく。

なんなんだろう、この感覚は。

そして歩き続けるうちに、実際に四葉のクローバーを見つけたシーンが見えた。

頭の中のスクリーンにその映像が見えたのだった。



確信はますます深まった。

そしてトットコトットコ歩きながら、その時は訪れた。

不意に四葉のクローバーが目に飛び込んで来たのだった。



これは説明のしようがないのだけれど、確かに体験したこと。

この感覚は今も身体に残っている。

そして同じような体験をその後も普通の暮らしの中でしている。



これにはコツがあって、それはその直感に執着しないこと。

でもその直感をしっかり感じ取ってあげること。

感じ取ったらもうそれで十分なんだ。

結果が起ころうと起こるまいと、それはもう今とは関係のない過去なんだ。

そうやって暮らしていると、見逃していた直感をだんだん拾えるようになってくる。

そういうものなんだってことが、わかってしまうんだね。


つづく






  
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2017年05月25日

巡礼記-10



男らしさ

男らしさは俺のテーマやった




今回の巡礼には直接は関係なかばってん

でもこいがなからんば巡礼はしとらんて思うけん

今日はこの話ば書いてみるけん




幼少の頃からハタチくらいまで

可愛いとか、お坊ちゃんとか、ジャニーズ系とか

そがん風に言われ続けとった

(えー嘘でしょ!とか突っ込むとこじゃなかぞ、後で写真ば見ればわかる)




性格は、明るく活発、更に負けん氣の強さは人一倍やったけん

尚更そう言われるとが嫌でしょんなかった




その結果、当たり前んごとツッパッテ生きる道を選び

男らしさは強さて勘違いし、自分が正しかって思う道ば突き進むごとなった




人は殴っても蹴り倒してもよか

そがんことに恐れる男はカスって、本氣で思うとった




そして見た目的な男にも憧れ、その象徴が髭やった

(髭生やして20年になる)




転機は課長になった35歳の頃

10数名の部下を持つ時に訪れた




力じゃ組織は動かんて知った




そんでもまだ100人の部下ば持っても

ビジネスの世界に身を置いた間は

俺なりの正しさこそが全てやったて思う

(悪かことも、ろくでんなかことも、ようやりよったばってん)




それがこの暮らしに入り、急激に変わり始める




つづく












  
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2017年05月13日

巡礼記 -9



挨拶




田舎道ですれ違う人たち

幼稚園から高校生くらいは

ほぼみんな挨拶をしてくれる

しかも元氣よく




ところが大人になると

同じ地域の人でも

挨拶を返してくれない人の方が多い




これには最初びっくりした




子どもたちに「挨拶をしなさい」と

教えたのは大人たちだろう

なのに、しない




この事実が何日にも亘り

色んな所で繰り返されてゆくうちに

これは山伏の装束に対する偏見なのだろうと

氣がついた




宗教に対する偏見を

日本の大人は持っていることが多いように思う




修験道は宗教ではなく、山岳信仰

細かい定義を論じるつもりはないけれど

ニュアンスの違いはわかるだろうか




偏見とは、偏った見方

差別、ジャッジと言ってもいい

正しさを主張する思考とも言える




子どもたちは素直だ

人と人として素直に挨拶をする




ある日

離任式帰りの男子たちと行き合った

15歳くらいだと思う

彼らは10人ほどで横断歩道の向こう側




その中のひとりが

うわー、なにあれ!

かっけー!

と、俺を見て騒いでいる




その男子はひとりだけ学ランではなく

黒いシャツに黒いスーツ

髪は金髪で耳には金の大きなピアス

いわゆる不良だ




彼が色んな質問をして来た

俺はひとつひとつ答えた




その中で

無一文で広島から長崎へ歩いていることも話した




彼の瞳は興味で輝いていた

挨拶を交わさない大人たちの

伏せた眼(まなこ)とは大違いだ




またある夜

やはり15歳くらいと思われる女子からも

離れた距離にも関わらず声をかけられた

このふたりも見るからにいわゆる不良だ




なんすか、その格好!

なにやってんすかー! と

また、事情を話した




そして、その男女どちらの不良たちも

最後に同じ言葉を投げ返してくれた

それは




「頑張ってください!!」




嬉しかった

「どうもありがとう」

と、笑顔で答え別れた




この不良たちに意見する大人たちが

きっと沢山いることだろう




心を開かぬ者に

素直な子どもたちが心を開くわけがない

そしてそれは子どもに限ったことではない




心開かぬ者の眼(まなこ)は

開いていない

輝いていない




モノゴトに正しさ見る大人の眼の

ジャッジというスクリーンには

善悪が映る




素直な瞳には

在りのままが映る

偏りがない




それは、20日間を

只歩き続けた俺の瞳で見たものだった




俺はこの不良たちに癒され

元氣を貰った




つづく









  
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2017年05月12日

巡礼記-8



本州をまだ歩いていた頃は

寒い日も多かった




雨が降るとポンチョに山笠

手足はずぶ濡れ感覚がなくなり

指は全く思い通りに動かせない




国道と言えど

峠などでは歩道もなくなり

大型トラックがすぐ脇を

物凄いスピードで走り抜ける




ポンチョは風に煽られ

体ごと持っていかれそうになり

山笠は吹き飛ばされ

トラックが巻き上げた水しぶきを

顔にも浴びる




それは恐怖だ




少し避けてくれる車もあれば

スピードを落としてくれる車もある




一方ですぐ脇を

恐ろしいスピードで走り去るものもある




俺は車を運転していたとき

一体どのように走っていただろうか




余り記憶がないから、俺もきっと

思い遣りなく走っていたのではないかと思う




でもこれからは

思い遣りを持って走ることが出来るだろう




人間はそんなもんだと思う




自分が恐怖や悲しみや怒りを体験するから

ひとに同じ事をしないようになってゆく




そして、歩いている今はそんな感じだから

トラックが通る度に立ち止まり

ポンチョと山笠を押さえ

飛ばされないように構える




結果として

なかなか距離が伸びないし

寒さで体力はどんどん失われ

氣力も萎えそうになる




でも一歩を踏み出せば

その一歩分だけ着実に前進し

長崎に近づいているんだという

今だけの実感に思いを寄せる




これを繰り返しているうちに

恐怖や怒りは和らぎ

歩けている喜びが湧いてくる





「今を生きる」

という言葉を良く目にするけれど

まさにこれが

「今を生きている」

という感覚だ




ひとは体験から学ぶ

更にそれが冒険であれば

その学びは更に深まると思う




俺は

子どもの頃から冒険が好きだった

たくさん怪我もしたし

危ない事もたくさんあった




それで良かったと思う




冒険のない人生は退屈だ

無難な生き方は退屈だ




勿論それは、ひと夫々で良い

でも俺はきっとこれからも

冒険し続けるんだろうな




つづく





  
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2017年05月09日

巡礼記-7



山の修行とは違い

里を歩き続ける




山より歩きにくいのは確かで

それは土や草木が少ないから




そのせいで里では

身体を巡るエネルギーが弱まる




車とは何十万台もすれ違った

しかし人とすれ違うことは

思いの外少ない




田舎道では一日

十人と逢わない



ひとは

住んでる場所ひとつで

流れる時間が早くも遅くもなる




そして、住んでる場所は同じでも

暮らし方ひとつで

流れる時間が早くも遅くもなる




流れる時間はゆっくりで

ひとつひとつを丁寧に過ごせると

心は豊かになる




この巡礼での俺の暮らしは

一歩一歩の中に生まれ

一歩一歩の中で去っていった




実に清々しく

豊かな日々だったね






 
  
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2017年05月06日

巡礼記-6


最初の数日間

ゴミを拾いながら歩いていた




腰に大きめの袋をぶら下げて

道に落ちているゴミを拾いながら歩いた




びっくりするくらいたくさんのゴミ

あっと言う間に腰に下げた袋は満杯




痛めた足で長距離を歩くには

かなり堪える重さになる




ゴミを拾っていたある日の日暮れ

いつもそこをウォーキングしてる風の夫婦とすれ違った




この人たちはいつもここを歩いていて

このゴミが氣にならないのだろうか

なんで拾わないんだろう



そう思った自分に氣がついた時

ゴミを拾うのは今はやめておこうと思えた




自分がたまたま数日間ゴミ拾いしているというだけで

拾わない人を責める氣持ちが生まれてしまった




これは本末転倒だろう

しかも痛む足への負荷がかなりある




俺は兎に角何日かかってもいいから

長崎の平和公園にたどり着きたい

それでいい




たどり着けなくてもいい

でももう少し只歩くことだけに

まっすぐに向き合い続けられれば

それだけでいい



そう思えたんだねえ

だからゴミ拾いはそこでやめました




しかしゴミの多さに改めて驚くし

ゴミを捨てる人がこんなにいるのかってことにも驚く




空き缶、ペットボトル、タバコの空き箱が一番多い

中身が入ったペットポトルがかなりあるのには驚く




拾って飲もうかと本氣で思ったがやめた

小袋に入ったチョコが落ちてたので拾って食べた




何故かエロ本やエロDVDも結構落ちてる(拾わなかった)

コンドームとかもあった(使わなかった)




あ、ここ笑うとこね




捨てる人がいるから

拾う人もいる




捨てるひとを非難するのは簡単だが

それより拾うひとになればいい




捨てないのは当たり前だと思うけど

拾うのは当たり前ではない社会




ならば

拾うことが当たり前の社会にすればいい

そのひとりになればいい




これからも

拾える時には、出来るだけ拾おう

無理のない範囲で構わないから




あ、そう言えばお金も落ちてた

10円玉と1円玉を1枚づつ拾ったよ




拾ったゴミを捨てて下さったみなさん

捨てさせてくださったみなさん

どうもありがとうございました




つづく






  
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2017年05月04日

巡礼記-5


目覚めると、何の氣負いもなく

歩き始める




トットコ、トットコ

だって俺がやることは他に何もない




お金が無きゃ生きてゆけないとか

そんなことより

今日もまた歩けるか

それは今日もまた生きられるか




それしか無かったからね




この頃氣がついたんだよね

俺は、その日泊まれるか

って言う恐怖に囚われていたことに




思い返して見れば

食べ物には困らないと

歩き始めたその日に知っていた

 
 
 
なのに、寝るところは大丈夫

とは思えなかった




思ったことは、知ったことなんだね

それからは、寝る場所も氣にしなくなってきた




そうしたら

寝る場所が現れるようになって来たんだ




それは、お布施を頂けるようになったり

友だちの友だちが泊まってってください

って、連絡くれるようになって来たり




嗚呼、これでもう大丈夫なんだって

そう思ったんだよね




それからは

歩くことだけに、まっすぐになれた




足の痛みは、身体中に伝わっていった

普通なら、これを苦痛に感じるんだろうけど

俺には、只歩けばいいだけじゃんって

そう思えた




そうなると

どう足や身体を労わればいいか

そこに向き合うようになって来た




そこで役立ったのが

地下足袋だったんだよね




普通の靴なら、この苦痛には出逢えていない

地下足袋だからこそ、出逢えたわけで

それは、地下足袋なりに歩くしかない

歩き方を工夫するしかないって

そうなってゆくんだね




身体を労わるってゆうのは

楽に歩かせてあげるということもある

それには普通の靴がいいに決まってる




だけど、地下足袋だからこそ

いい加減には歩けないんだね




一歩一歩を大切に踏まないと

直ぐに身体を痛めてしまうんだ




この感覚は

古民家で厳しい冬を生きるのに似てるんだ




不便で過酷な冬を楽しむ術を

もう知っていたからね




ひとは色んな苦境に出逢う

当たり前のことだね




それを苦しみにするのか

喜びに変えてしまうのか




それはそのひと次第




喜びに変えてしまえるひとは

平穏なんだよね




平穏が起こっているのではなく

平穏に変える力がある

っていう事なんじゃないかな





つづく





  
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2017年05月03日

巡礼記-4


お寺の倉庫で一晩休ませて頂いた翌朝

6:30から朝のお勤めをご一緒させて頂いた

慣れ親しんだ正信偈に手を合わせた




住職の奥さまが

なんのお構いも出来なくて済みませんと

菓子パンと野菜ジュースを下さった




泊めて頂けただけでも本当にありがたいのに

これでまた今日1日の食糧が手元に訪れた

普通の人の一食で1日歩ける我が身に感謝




そしてまた、痛い足を引きずりながら歩き始めた

トットコトットコ、変な歩き方だけれど

スピードはそこそこのってる




でも歩いていると不意に、今夜は何処で眠れるかな

ってことをつい考えている自分に氣がついた




そしてこの日は

広島でやったLIVEに何度か来てくれた友だちが夜拾ってくれて

美味しいご飯を食べに連れてってくれて

道の駅に寝ることが出来た




道の駅と言ってもまだこの時期は寒い

雨用のポンチョを着て椅子に座って

テーブルに突っ伏して寝た




こんな格好でも疲れ切った身体はあっと言う間に寝落ち

スッキリと朝を迎え、またトットコトットコ

朝6時頃から歩き始めた




足はかなり痛いけれど

然程苦痛とは感じない




だって歩くしかない

歩きさえすればいいんだし




って、氣楽な俺がいつもいた

呑氣だよなあ




広島を出た時最初に見た道路標識には

「下関 198km」って書いてあった




いつになったら下関まで100kmを切るんだろう

なんて考えたりもしたけど、考えたってしょうがないしね




歩いた分だけは確実に進んでるわけだし

「ま、いっか」って思ってたよ




そしてこんな風に歩いていると

平和の祈りなんてものは特段無かったね




でも

こんな環境でも呑氣に歩き続けられる俺は

平和以外の何者でもなかったなあ




つづく











  
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2017年05月01日

巡礼記-3

 
 
山歩きに堅強な足も、初日

硬く単調な歩道を20km歩いただけで

翌朝、起き上がるのがやっとな状態




歩き始めると

一歩一歩、激しく痛む




左足、右足、膝、坐骨へと

日に日に痛みが拡がってゆく




2日目の昼頃、足が動かなくなり

まさか2日目にして断念か、と




流石にそれはないよなあ

みっともないし

応援してくれたみんなの顔が浮かぶ




とにかく一歩を踏み出すことだけに

左、右、左、右



 
この一歩を出すだけでいいんだ

この一歩を出すだけでいいんだ




そうやっているうちに

声をかけてくれる方に出逢い始め

声をかけて貰えると元氣になって

なんとかその日は、40kmを歩けた




みんなの応援と

声をかけてくれる人がいなかったら

本当に2日目で断念していたかも
 
 
 
 
だって、一歩を出すことすら

限界のような感じだったから




でも不思議なもんで

なんとか一歩を出しさえすれば

それが次の一歩に繋がってった




人生立ち止まっちゃ駄目だね

そして焦っても駄目だね

今できる一歩をやる

そしてそれを続ける

 
 
 
そんな一歩を66万回繰り返したら

長崎に着いてたんだよね




長崎に着こうとしたら

たどり着けなかったって思うよ

きっとプレッシャーに押しつぶされてた




俺は元々プレッシャーには強いけど

それでも無理だったかも




でも最大のプレッシャーは

長崎にたどり着くことではなく

その日寝られるか(生きられるか)だったんだよねえ

室内じゃなきゃ寒くてとても寝られる気温じゃなかったからね




つづく






  
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Posted by 放浪太郎 at 10:52Comments(0)

2017年04月30日

巡礼記-2



巡礼の始まり

3/25 新月、広島の平和公園

何人かの仲間が見送ってくれた




この中に初めて逢う方がいてね

その方は出発前夜、Facebookで

たまたま繋がった方の繋がりから

この巡礼を知り駆けつけて下さった

その方がおむすびをふたつ下さった




無一文で始めるこの巡礼の不安は

食べ物と、寝るところだったけれど

おむすびを頂いた瞬間




「ああ、食べ物では困らないな」 って

すとん、ってわかってしまったんだよね




そして確かに、それから一度も

食べ物には困らなかったねえ




朝から何も食べないで、10時間以上歩き

寝る前に、おむすびひとつと、少しのお菓子

そんな日も何日かあったよ




でも、それでも

幸せだったねえ

有り難かったねえ




同じものを食べても

不幸だと思うひともいるだろうね




でも、俺は

それを心から幸せだと思えて

有り難いなあって心から思えて




そんな自分は幸せ者だなあって

改めて、思ったりしていたなあ





  
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Posted by 放浪太郎 at 08:17Comments(0)