巡礼記-11
巡礼から一年以上が経った。
巡礼記も途中まで書いてそのままになってしまった。
改めて自分が書いたものを読み返してみて、この巡礼がどれほど大きい体験だったかを改めて知った。
続きを書こうにも、あの時のことを思い出せない自分が居る。
でも、記憶としては残っていなくても、この身体が覚えていることはきっとあるだろう。
その体内記憶はきっと今の暮らしにも息づいているだろう。
あ、ひとつ思い出したので書いてみよう。
九州に入って福岡を歩いている時のことだった。
舗装路を歩くと足も身体も痛いので、歩道の植え込みがあるとそこを歩くようにしていた。
そこは高速道路の下の植え込みで、一面にシロツメグサが生えていた。
そこを歩いている時、ふと 「あ、四葉のクローバーが見つかる」 と思った。
しかしそこに座り込んで探すでもなく、トッコトコットコ結構な勢いで歩いている。
なのに「見つかる」というその思いはだんだんと確信になってゆく。
なんなんだろう、この感覚は。
そして歩き続けるうちに、実際に四葉のクローバーを見つけたシーンが見えた。
頭の中のスクリーンにその映像が見えたのだった。
確信はますます深まった。
そしてトットコトットコ歩きながら、その時は訪れた。
不意に四葉のクローバーが目に飛び込んで来たのだった。
これは説明のしようがないのだけれど、確かに体験したこと。
この感覚は今も身体に残っている。
そして同じような体験をその後も普通の暮らしの中でしている。
これにはコツがあって、それはその直感に執着しないこと。
でもその直感をしっかり感じ取ってあげること。
感じ取ったらもうそれで十分なんだ。
結果が起ころうと起こるまいと、それはもう今とは関係のない過去なんだ。
そうやって暮らしていると、見逃していた直感をだんだん拾えるようになってくる。
そういうものなんだってことが、わかってしまうんだね。
つづく