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Posted by のらんば長崎運営事務局 at

2017年05月25日

巡礼記-10



男らしさ

男らしさは俺のテーマやった




今回の巡礼には直接は関係なかばってん

でもこいがなからんば巡礼はしとらんて思うけん

今日はこの話ば書いてみるけん




幼少の頃からハタチくらいまで

可愛いとか、お坊ちゃんとか、ジャニーズ系とか

そがん風に言われ続けとった

(えー嘘でしょ!とか突っ込むとこじゃなかぞ、後で写真ば見ればわかる)




性格は、明るく活発、更に負けん氣の強さは人一倍やったけん

尚更そう言われるとが嫌でしょんなかった




その結果、当たり前んごとツッパッテ生きる道を選び

男らしさは強さて勘違いし、自分が正しかって思う道ば突き進むごとなった




人は殴っても蹴り倒してもよか

そがんことに恐れる男はカスって、本氣で思うとった




そして見た目的な男にも憧れ、その象徴が髭やった

(髭生やして20年になる)




転機は課長になった35歳の頃

10数名の部下を持つ時に訪れた




力じゃ組織は動かんて知った




そんでもまだ100人の部下ば持っても

ビジネスの世界に身を置いた間は

俺なりの正しさこそが全てやったて思う

(悪かことも、ろくでんなかことも、ようやりよったばってん)




それがこの暮らしに入り、急激に変わり始める




つづく












  
Posted by 放浪太郎 at 10:59Comments(0)

2017年05月13日

巡礼記 -9



挨拶




田舎道ですれ違う人たち

幼稚園から高校生くらいは

ほぼみんな挨拶をしてくれる

しかも元氣よく




ところが大人になると

同じ地域の人でも

挨拶を返してくれない人の方が多い




これには最初びっくりした




子どもたちに「挨拶をしなさい」と

教えたのは大人たちだろう

なのに、しない




この事実が何日にも亘り

色んな所で繰り返されてゆくうちに

これは山伏の装束に対する偏見なのだろうと

氣がついた




宗教に対する偏見を

日本の大人は持っていることが多いように思う




修験道は宗教ではなく、山岳信仰

細かい定義を論じるつもりはないけれど

ニュアンスの違いはわかるだろうか




偏見とは、偏った見方

差別、ジャッジと言ってもいい

正しさを主張する思考とも言える




子どもたちは素直だ

人と人として素直に挨拶をする




ある日

離任式帰りの男子たちと行き合った

15歳くらいだと思う

彼らは10人ほどで横断歩道の向こう側




その中のひとりが

うわー、なにあれ!

かっけー!

と、俺を見て騒いでいる




その男子はひとりだけ学ランではなく

黒いシャツに黒いスーツ

髪は金髪で耳には金の大きなピアス

いわゆる不良だ




彼が色んな質問をして来た

俺はひとつひとつ答えた




その中で

無一文で広島から長崎へ歩いていることも話した




彼の瞳は興味で輝いていた

挨拶を交わさない大人たちの

伏せた眼(まなこ)とは大違いだ




またある夜

やはり15歳くらいと思われる女子からも

離れた距離にも関わらず声をかけられた

このふたりも見るからにいわゆる不良だ




なんすか、その格好!

なにやってんすかー! と

また、事情を話した




そして、その男女どちらの不良たちも

最後に同じ言葉を投げ返してくれた

それは




「頑張ってください!!」




嬉しかった

「どうもありがとう」

と、笑顔で答え別れた




この不良たちに意見する大人たちが

きっと沢山いることだろう




心を開かぬ者に

素直な子どもたちが心を開くわけがない

そしてそれは子どもに限ったことではない




心開かぬ者の眼(まなこ)は

開いていない

輝いていない




モノゴトに正しさ見る大人の眼の

ジャッジというスクリーンには

善悪が映る




素直な瞳には

在りのままが映る

偏りがない




それは、20日間を

只歩き続けた俺の瞳で見たものだった




俺はこの不良たちに癒され

元氣を貰った




つづく









  
タグ :巡礼

Posted by 放浪太郎 at 10:10Comments(0)

2017年05月12日

巡礼記-8



本州をまだ歩いていた頃は

寒い日も多かった




雨が降るとポンチョに山笠

手足はずぶ濡れ感覚がなくなり

指は全く思い通りに動かせない




国道と言えど

峠などでは歩道もなくなり

大型トラックがすぐ脇を

物凄いスピードで走り抜ける




ポンチョは風に煽られ

体ごと持っていかれそうになり

山笠は吹き飛ばされ

トラックが巻き上げた水しぶきを

顔にも浴びる




それは恐怖だ




少し避けてくれる車もあれば

スピードを落としてくれる車もある




一方ですぐ脇を

恐ろしいスピードで走り去るものもある




俺は車を運転していたとき

一体どのように走っていただろうか




余り記憶がないから、俺もきっと

思い遣りなく走っていたのではないかと思う




でもこれからは

思い遣りを持って走ることが出来るだろう




人間はそんなもんだと思う




自分が恐怖や悲しみや怒りを体験するから

ひとに同じ事をしないようになってゆく




そして、歩いている今はそんな感じだから

トラックが通る度に立ち止まり

ポンチョと山笠を押さえ

飛ばされないように構える




結果として

なかなか距離が伸びないし

寒さで体力はどんどん失われ

氣力も萎えそうになる




でも一歩を踏み出せば

その一歩分だけ着実に前進し

長崎に近づいているんだという

今だけの実感に思いを寄せる




これを繰り返しているうちに

恐怖や怒りは和らぎ

歩けている喜びが湧いてくる





「今を生きる」

という言葉を良く目にするけれど

まさにこれが

「今を生きている」

という感覚だ




ひとは体験から学ぶ

更にそれが冒険であれば

その学びは更に深まると思う




俺は

子どもの頃から冒険が好きだった

たくさん怪我もしたし

危ない事もたくさんあった




それで良かったと思う




冒険のない人生は退屈だ

無難な生き方は退屈だ




勿論それは、ひと夫々で良い

でも俺はきっとこれからも

冒険し続けるんだろうな




つづく





  
タグ :巡礼

Posted by 放浪太郎 at 17:51Comments(0)

2017年05月09日

巡礼記-7



山の修行とは違い

里を歩き続ける




山より歩きにくいのは確かで

それは土や草木が少ないから




そのせいで里では

身体を巡るエネルギーが弱まる




車とは何十万台もすれ違った

しかし人とすれ違うことは

思いの外少ない




田舎道では一日

十人と逢わない



ひとは

住んでる場所ひとつで

流れる時間が早くも遅くもなる




そして、住んでる場所は同じでも

暮らし方ひとつで

流れる時間が早くも遅くもなる




流れる時間はゆっくりで

ひとつひとつを丁寧に過ごせると

心は豊かになる




この巡礼での俺の暮らしは

一歩一歩の中に生まれ

一歩一歩の中で去っていった




実に清々しく

豊かな日々だったね






 
  
タグ :巡礼

Posted by 放浪太郎 at 10:20Comments(0)

2017年05月06日

巡礼記-6


最初の数日間

ゴミを拾いながら歩いていた




腰に大きめの袋をぶら下げて

道に落ちているゴミを拾いながら歩いた




びっくりするくらいたくさんのゴミ

あっと言う間に腰に下げた袋は満杯




痛めた足で長距離を歩くには

かなり堪える重さになる




ゴミを拾っていたある日の日暮れ

いつもそこをウォーキングしてる風の夫婦とすれ違った




この人たちはいつもここを歩いていて

このゴミが氣にならないのだろうか

なんで拾わないんだろう



そう思った自分に氣がついた時

ゴミを拾うのは今はやめておこうと思えた




自分がたまたま数日間ゴミ拾いしているというだけで

拾わない人を責める氣持ちが生まれてしまった




これは本末転倒だろう

しかも痛む足への負荷がかなりある




俺は兎に角何日かかってもいいから

長崎の平和公園にたどり着きたい

それでいい




たどり着けなくてもいい

でももう少し只歩くことだけに

まっすぐに向き合い続けられれば

それだけでいい



そう思えたんだねえ

だからゴミ拾いはそこでやめました




しかしゴミの多さに改めて驚くし

ゴミを捨てる人がこんなにいるのかってことにも驚く




空き缶、ペットボトル、タバコの空き箱が一番多い

中身が入ったペットポトルがかなりあるのには驚く




拾って飲もうかと本氣で思ったがやめた

小袋に入ったチョコが落ちてたので拾って食べた




何故かエロ本やエロDVDも結構落ちてる(拾わなかった)

コンドームとかもあった(使わなかった)




あ、ここ笑うとこね




捨てる人がいるから

拾う人もいる




捨てるひとを非難するのは簡単だが

それより拾うひとになればいい




捨てないのは当たり前だと思うけど

拾うのは当たり前ではない社会




ならば

拾うことが当たり前の社会にすればいい

そのひとりになればいい




これからも

拾える時には、出来るだけ拾おう

無理のない範囲で構わないから




あ、そう言えばお金も落ちてた

10円玉と1円玉を1枚づつ拾ったよ




拾ったゴミを捨てて下さったみなさん

捨てさせてくださったみなさん

どうもありがとうございました




つづく






  
タグ :巡礼

Posted by 放浪太郎 at 10:30Comments(0)

2017年05月04日

巡礼記-5


目覚めると、何の氣負いもなく

歩き始める




トットコ、トットコ

だって俺がやることは他に何もない




お金が無きゃ生きてゆけないとか

そんなことより

今日もまた歩けるか

それは今日もまた生きられるか




それしか無かったからね




この頃氣がついたんだよね

俺は、その日泊まれるか

って言う恐怖に囚われていたことに




思い返して見れば

食べ物には困らないと

歩き始めたその日に知っていた

 
 
 
なのに、寝るところは大丈夫

とは思えなかった




思ったことは、知ったことなんだね

それからは、寝る場所も氣にしなくなってきた




そうしたら

寝る場所が現れるようになって来たんだ




それは、お布施を頂けるようになったり

友だちの友だちが泊まってってください

って、連絡くれるようになって来たり




嗚呼、これでもう大丈夫なんだって

そう思ったんだよね




それからは

歩くことだけに、まっすぐになれた




足の痛みは、身体中に伝わっていった

普通なら、これを苦痛に感じるんだろうけど

俺には、只歩けばいいだけじゃんって

そう思えた




そうなると

どう足や身体を労わればいいか

そこに向き合うようになって来た




そこで役立ったのが

地下足袋だったんだよね




普通の靴なら、この苦痛には出逢えていない

地下足袋だからこそ、出逢えたわけで

それは、地下足袋なりに歩くしかない

歩き方を工夫するしかないって

そうなってゆくんだね




身体を労わるってゆうのは

楽に歩かせてあげるということもある

それには普通の靴がいいに決まってる




だけど、地下足袋だからこそ

いい加減には歩けないんだね




一歩一歩を大切に踏まないと

直ぐに身体を痛めてしまうんだ




この感覚は

古民家で厳しい冬を生きるのに似てるんだ




不便で過酷な冬を楽しむ術を

もう知っていたからね




ひとは色んな苦境に出逢う

当たり前のことだね




それを苦しみにするのか

喜びに変えてしまうのか




それはそのひと次第




喜びに変えてしまえるひとは

平穏なんだよね




平穏が起こっているのではなく

平穏に変える力がある

っていう事なんじゃないかな





つづく





  
タグ :巡礼

Posted by 放浪太郎 at 17:35Comments(0)

2017年05月03日

巡礼記-4


お寺の倉庫で一晩休ませて頂いた翌朝

6:30から朝のお勤めをご一緒させて頂いた

慣れ親しんだ正信偈に手を合わせた




住職の奥さまが

なんのお構いも出来なくて済みませんと

菓子パンと野菜ジュースを下さった




泊めて頂けただけでも本当にありがたいのに

これでまた今日1日の食糧が手元に訪れた

普通の人の一食で1日歩ける我が身に感謝




そしてまた、痛い足を引きずりながら歩き始めた

トットコトットコ、変な歩き方だけれど

スピードはそこそこのってる




でも歩いていると不意に、今夜は何処で眠れるかな

ってことをつい考えている自分に氣がついた




そしてこの日は

広島でやったLIVEに何度か来てくれた友だちが夜拾ってくれて

美味しいご飯を食べに連れてってくれて

道の駅に寝ることが出来た




道の駅と言ってもまだこの時期は寒い

雨用のポンチョを着て椅子に座って

テーブルに突っ伏して寝た




こんな格好でも疲れ切った身体はあっと言う間に寝落ち

スッキリと朝を迎え、またトットコトットコ

朝6時頃から歩き始めた




足はかなり痛いけれど

然程苦痛とは感じない




だって歩くしかない

歩きさえすればいいんだし




って、氣楽な俺がいつもいた

呑氣だよなあ




広島を出た時最初に見た道路標識には

「下関 198km」って書いてあった




いつになったら下関まで100kmを切るんだろう

なんて考えたりもしたけど、考えたってしょうがないしね




歩いた分だけは確実に進んでるわけだし

「ま、いっか」って思ってたよ




そしてこんな風に歩いていると

平和の祈りなんてものは特段無かったね




でも

こんな環境でも呑氣に歩き続けられる俺は

平和以外の何者でもなかったなあ




つづく











  
Posted by 放浪太郎 at 06:00Comments(0)

2017年05月01日

巡礼記-3

 
 
山歩きに堅強な足も、初日

硬く単調な歩道を20km歩いただけで

翌朝、起き上がるのがやっとな状態




歩き始めると

一歩一歩、激しく痛む




左足、右足、膝、坐骨へと

日に日に痛みが拡がってゆく




2日目の昼頃、足が動かなくなり

まさか2日目にして断念か、と




流石にそれはないよなあ

みっともないし

応援してくれたみんなの顔が浮かぶ




とにかく一歩を踏み出すことだけに

左、右、左、右



 
この一歩を出すだけでいいんだ

この一歩を出すだけでいいんだ




そうやっているうちに

声をかけてくれる方に出逢い始め

声をかけて貰えると元氣になって

なんとかその日は、40kmを歩けた




みんなの応援と

声をかけてくれる人がいなかったら

本当に2日目で断念していたかも
 
 
 
 
だって、一歩を出すことすら

限界のような感じだったから




でも不思議なもんで

なんとか一歩を出しさえすれば

それが次の一歩に繋がってった




人生立ち止まっちゃ駄目だね

そして焦っても駄目だね

今できる一歩をやる

そしてそれを続ける

 
 
 
そんな一歩を66万回繰り返したら

長崎に着いてたんだよね




長崎に着こうとしたら

たどり着けなかったって思うよ

きっとプレッシャーに押しつぶされてた




俺は元々プレッシャーには強いけど

それでも無理だったかも




でも最大のプレッシャーは

長崎にたどり着くことではなく

その日寝られるか(生きられるか)だったんだよねえ

室内じゃなきゃ寒くてとても寝られる気温じゃなかったからね




つづく






  
タグ :巡礼

Posted by 放浪太郎 at 10:52Comments(0)

2017年04月30日

巡礼記-2



巡礼の始まり

3/25 新月、広島の平和公園

何人かの仲間が見送ってくれた




この中に初めて逢う方がいてね

その方は出発前夜、Facebookで

たまたま繋がった方の繋がりから

この巡礼を知り駆けつけて下さった

その方がおむすびをふたつ下さった




無一文で始めるこの巡礼の不安は

食べ物と、寝るところだったけれど

おむすびを頂いた瞬間




「ああ、食べ物では困らないな」 って

すとん、ってわかってしまったんだよね




そして確かに、それから一度も

食べ物には困らなかったねえ




朝から何も食べないで、10時間以上歩き

寝る前に、おむすびひとつと、少しのお菓子

そんな日も何日かあったよ




でも、それでも

幸せだったねえ

有り難かったねえ




同じものを食べても

不幸だと思うひともいるだろうね




でも、俺は

それを心から幸せだと思えて

有り難いなあって心から思えて




そんな自分は幸せ者だなあって

改めて、思ったりしていたなあ





  
タグ :巡礼

Posted by 放浪太郎 at 08:17Comments(0)

2017年04月29日

巡礼記-1


暫くお休みしていたブログ




広島の平和公園を無一文で歩き始め

長崎の平和公園にたどり着いた記録を

少しづつ残したいと思います




まずは

長崎新聞に取り上げて頂いた記事から




記者の方が、歩いていた俺にたまたま氣付き

何をしてるんだろうって声をかけてくださり

この巡礼のことを話したら、そこから取材に




歩いた日数 20日

歩いた距離 465km

歩数換算 66万歩




一文も持たず、着替えも持たず

持っているのは、雨用のポンチョと山笠

それに、巻き煙草と、水を入れる空のペットボトルのみ




ひとはこれで本当に生きてゆけるのだろうか?

それを試してみた記録です




色んなことに氣がつけた旅でした




なかでも自分が一番変わったのは

今までにも増して

ジャッジ(善し悪しの区別)をしなくなったことかな




では、日々少しづつ掲載してゆくとしよう




一歩一歩

先のことなど考えず

過去のことも考えず

今の一歩を積み重ねた先に

未来と思っていた今が現れる

ただそれだけのこと

でも大切なこと

一歩一歩








  
タグ :巡礼

Posted by 放浪太郎 at 10:17Comments(0)

2017年01月26日

1月26日の記事

平和祈念セレモニー 2017 in 長崎

今年も海の日に長崎で、三年目となるセレモニーを開催させて頂くことになりました。

昨年も全国よりご参加頂いた多くの方々のお陰さまで、深い共鳴感を感じられる場となったように思います。

今年の開催に際し主宰者として悩むところもありましたが、出演者全員より「是非今年もやろう。是非続けてゆこう」との励ましを受け、開催を決意した次第です。

我々出演者は、「ひとり一人が自分らしく暮らしてゆけること。そのような自分になること。それが、結果として平和をもたらす」と信じ、各々の道で身体を張って活動している者たちです。そしてそれは、全国の、時には日本を越え世界中の方々に支えられ、また何らかのお役にたってゆくことを生業としています。自分に今できることを心を込めてやり、そして貢献してゆきたいと思い活動している同志です。

そしてセレモニーでは皆さんと色んなことを分かち合い、感じあい、学び合う場になれるよう今年も臨みます。一昨年、昨年とご参加頂き、佳き場だったと感じて頂けたようでしたら、今年は更に周りの方にもお声掛け頂き、一緒により佳き場を生み出せればと思っておりますので、力をお貸しください。どうぞよろしくお願いいたします。

ーーーーーーーーーーー
平和への道はなく
平和は道そのものである

マハトマ・ガンジー
ーーーーーーーーーーー
 
参加のご連絡は、ここへのコメントか、facebook 鈴木茂生(chama)までお願いいたします。
 


◎ 日時
2017年7月17日
開場 14:30
開演 15:00
終演 18:00

◎ 会場
長崎市平野町1-30
タイガーダンススタジオ
浜口電停より徒歩3分
http://tigerdance.choitoippuku.com/

◎参加費
3,000円
中学生以下1,500円

◎予約制
定員200名の予約制
ご参加頂ける方は直接私(鈴木)に、代表者指名と参加人数をFBメッセージにてご連絡ください

◎出演者(詳細は後日)
 瞑想 : シャンタン(岐阜)
 
 舞:國友悠一朗(高知県)
   スガジャズダンススタジオ社長
   須賀IZANI連代表
 
 言魂書きおろし:西山嘉克(佐賀県)
         世界のいやさか村代表

お話し:香葉村真由美(福岡県)
    小学校教諭

歌 : 小泉容子(長崎県)
  人生脚本家、長崎市平和特派員

祈り舞:秋穂湖雪(山梨県)
    ヒーラー、チャネラー

音楽:鈴木茂生(山梨県)
   山伏、音楽家、活動家





昨年のセレモニーの記念写真







平和の火に祈る







出演者一同と参加された皆さんとの対話








  
Posted by 放浪太郎 at 14:15Comments(0)

2016年02月04日

想い出



今朝

旅の途中で大変お世話になっていた方が天に召されたと

お友だちから連絡があった




天に召されるにはまだ早いと思われる年齢だけれど

そのようなお別れは突然にやってくる




父との別れも母との別れもそうだったように

俺がお別れする日もそのように訪れるのかも知れない




数年前にその方とそのご家族とお友だちの紹介で出逢い

それからというもの旅の途中で何度もお世話になっていた




家にも泊めて貰ったり

貴重なものをいただいたり




一緒に山を歩き神社仏閣をお参りしたり

一緒にご飯を食べにいったりした




最後に逢ったのは昨年の夏だった

また旅の時に逢えると思っていた




涙は溢れてくるけど

そこに残念な想いや悔いなどはないよ




だってこれまで短い時間だったけれど

一緒にいい時を過ごすことができたんだもの




お世話になりました

どうもありがとうございました




次の旅で線香あげにゆきまーす

そこでまたゆっくりお話ししようね




<夏の想い出の写真>

これを俺が手にしたことを喜んでくれたね









一緒にラーメン食べに行ったね

俺の左側にいたんだよね









合掌


  
Posted by 放浪太郎 at 17:19Comments(0)

2016年02月03日

魂の意味と位置






将棋だか囲碁だか

人とコンピューターで対戦をして

コンピューターが勝ったという記事を最近目にした




恐らくコンピューターの中には様々な

勝ったときのパターンと

負けたときのパターンが記録されていて

その中からその局面のベストを探りながら対戦を進めるのだと思う




人間の脳も同じようなプログラム機能を持っていて

そのプログラミングをするのが経験だ




単に知識としてインプットしたものは

現実に起こる様々な外乱要因を経験していないため

その効果を発揮し難い




つまり

経験が人間の行動のプログラムをインプットする




しかしここで大切なのは

そのプログラムではない




大切なものは

そのプログラムを動かず動機だ




それを目先に置けば目的となり

その深淵を見れば意識となる




将棋や囲碁の対戦プログラムの動機は勝利にある

そこに向かいその機能が発揮されている




経験の全てはプログラムされてゆくので無駄はないが

その経験を如何に活かすかはそのひとの意識による




そしてその意識の置き方そのものもまた

経験によってそのベクトルと深度を変えてゆく




意識探求と経験のサイクルが

生命力そのものかも知れない




そしてどれだけ経験を重ねても

そのプログラムでは想定できないことが起こる




想定できないことへの対処ほど

冒険的でわくわくするものはない




ここへの向き合い方に関わるものが

魂の逞しさであり




魂の逞しさが

生命力でもある




そして

右脳と左脳の橋渡しをするもの




それが

魂だと思う




右脳でキャッチ(インプット)し

左脳が行動に変換(アウトプット)する




右脳でキャッチしたものを左脳へ橋渡しする時

脆弱な魂はその伝達を弱める




従って行動がインプットにダイレクトに対応せず

起こす現実からまた学びが起こる




逞しい魂がその伝達をするとき

インプットに対しより自然なアウトプットが叶う




結果として

そのアウトプットは自然やひとに優しいものとなる




これは今俺が感じていることだけれど

論理的根拠があるわけではない




その感覚のまま在り経験を重ねることで

自ずとまた見えてくるものがあるだろう




それでいい

人間とはそんな生き物なんじゃないかな







  
Posted by 放浪太郎 at 09:47Comments(0)

2015年07月13日

【拡散希望】平和記念セレモニー

原爆投下70周年 "平和記念セレモニー in 長崎"
を、7/20に開催します

facebook にて先行しアナウンスしてありましたが
こちらにも掲載いたします

Facebook、twitter、mixi、口伝えなどで
ご紹介頂ければ幸いです






◎日時
2015年7月20日(海の日)
開場 18:00
開演 18:30
終演 20:30



◎場所
長崎市平野町1-30
タイガーダンススタジオ
浜口電停より徒歩3分
http://tigerdance.choitoippuku.com/



◎参加費
2,000円
中学生以下半額



◎予約制
定員がありますので、予約制となります
ご参加頂ける方は直接私(鈴木)に、代表者指名と参加人数をFBメッセージにてご連絡ください(当該ページの参加ボタンはミスタッチの場合があるため、お手数ですがメッセージにてお願いします)



◎出演者(詳細は別スレッドをご参照ください)
舞:國友悠一朗(高知県)
スガジャズダンススタジオ社長
須賀IZANI連代表

舞:レインボーチルドレン(長崎、佐賀県)
須賀IZANAI連 ジュニアダンサー

言魂書きおろし:西山嘉克(佐賀県)
世界のいやさか村代表

お話し:香葉村真由美(福岡県)
小学校教諭

お話し:佐藤春雄(新潟県)
SUGA IZANAIプロデューサー、ヒーラー

音楽:鈴木茂生(山梨県)
音楽家、写真家、旅人



◎開催趣旨(主催、鈴木より)
原爆投下より70年が経過した今
社会は平和に向かっているだろうか

平和とは、ひとりひとりの自立より起こる
それは一人ひとりが人として、自分らしく、たおやかに、穏やかに生きている状態が起こしてゆく只の結果、つまり自然なことだと思う

戦争反対とか原発反対と叫ぶのではなく、わたし自身が、そしてあなた自身がどのように生きるのか
そこに始まりが在る

被爆二世として長崎に生まれ育った24年間
その後24年間を大企業のエリートとして駆け抜けて来たが、経済を軸とした社会からではなく、もっと一人ひとりを大切に生きることから始まる調和を見据え退職
そして3年を暮らし51歳となった今「今ここに全てが在る」という視点から今の暮らしを立てている

自分が変われば周りが変わることを深く体験し、音楽と写真と癒しを通じその光となる意識共鳴(響命)を全国に広げており、今回はその3年間の区切りとしての集大成を生まれ育った長崎にて企画

一人ひとりの生命力が調和社会をいざない、未来(子供たち)に紡いでゆくことを使命とし全国で活躍する者たちとの共演

音、舞、言葉にて、みなさんと響命し合えるセレモニーとなれれば幸いです



◎公演内容
18:30〜18:40 挨拶、趣旨説明/ 鈴木
18:40〜18:50 舞/ レインボーチルドレン
18:50〜19:00 巨大言魂書きおろし/ 西山
19:00〜19:40 音と舞/ 國友、鈴木
19:40〜19:55 命の話/ 香葉村
19:55〜20:10 パネルトーク/ 全員
20:10〜20:25 参加者との対話/ 全員
20:25〜20:35 合唱/ 全員
20:35〜20:40 閉会の挨拶/ 鈴木



◎國友悠一朗



1978年2月23日生まれ。
有限会社スガジャズダンススタジオ取締役社長
全国の祭、踊りムーヴメントをリードする須賀 IZANAI 連 代表として国内外問わず多数の祭り、イベント、舞台に出演。ダンス、振り付け、演出、司会、講演と様々なフィールドで活躍している。世界に広がったよさこい、YOSAKOI、IZANAIのプロデュースを数多く手がけ、多くの絶賛を得ている。
『無気力、無感動、無責任を踊りで正せ!!!』がモットー。
現代よさこいの火付け人、國友須賀の長男として1978年2月23日、高知市で産まれる。
18歳よりよさこいに出会い感動、すぐにダンスを初め、須賀IZANAI連のリードダンサーとして18年間活躍し続けている。
國友須賀のプロデュース作品のほぼ全てをアシスタントとしてサポート。日本は固より世界各地で指導し続けてきた実績を持つ。
これまでよさこい、IZANAIミュージカルによってNY、LA、サンフランシスコ、ハワイ、メキシコ、韓国、ガーナ、フランス、ドイツ、イタリアにまで日本の踊り文化を伝える。
2011年6月1日、國友須賀他界後、母の跡を継ぎ、同年 6月22日取締役社長に就任。
現在 振り付け師としてのキャリアを重ね、特によさこい YOSAKOI  IZANAIのプロデュースは唯一無二のスタイルとして賞賛、信頼を得ている。
またソロダンサーとしても活躍。岡野弘幹氏をはじめロックバンドおかん、多くのミュージシャン、アーティストとコラボレーション。
舞台はもちろんのこと神社、仏閣、聖地でのパフォーマンスを行っている。
カタチが変わっても守るべきスピリットを大切に、アートを道具にした平和活動を目的に生きている。
WORKS(2011年6月~現在)
2011年12月12日 サンポートホール高松・大ホール 『神代音絵巻 むすひ』
2012年12月10日 ひめぎんホール・メインホール  『神代音絵巻 えひめ』
絵・音・舞でつくる「古事記」の世界 作曲・演出・演奏/ 岡野 弘幹 出演/TeN、信藤真実、國友 悠一朗、國友 慎之助、國友 麻ゆみ、SUGA IZANAI
作品映像/マークエステル・スキャルシャフィキ 映像/高岡 真也
2012年~2014年現在 『天河大弁財天社 節分祭奉納』岡野弘幹氏の奉納にダンサーとして参加
2013年~2014年現在 『天河大弁財天社 天河大祭、宵宮奉納』岡野弘幹氏の奉納にダンサーとして参加
2012年12月15,16日 かるぽーと『スガジャズダンススタジオ 30周年記念公演 Prema of M』 総合演出 ダンサー出演
2012年2月18・19日 京都南座『東日本大震災復興支援公演「日本の祈り」 ~歌舞音曲で綴る日本の心の原風景~』【出演 】司会:宝田明・八木早希 特別ゲスト:柴田美保子(故市川森一氏夫人) 出演:岡野弘幹・藤舎貴生 他 【演目】「声明と現代音楽のコラボレーション」  阿含宗声明衆・岡野弘幹・TeN 國友悠一朗 日本舞踊 尾上墨雪・若柳吉蔵・尾上菊之丞・吾妻徳彌 邦楽「幸魂奇魂~古事記より」2012年第54回レコード大賞企画賞受賞曲 若村麻由美・平岳大  藤舎呂悦・林英哲・藤舎貴生 他総勢50名
2013年4月8日 大阪城ホール『ロックバンドおかん 大阪城ホール単独公演. 「おかん夢叶う時、大阪城ホール」』コラボレーションダンサー出演
2012年~2014年 夏至の日 6月21日 山中湖交流センター内スワンステージ『富士いのりのセレモニー』岡野弘幹氏のステージにダンサー出演



◎香葉村真由美



「まゆみ先生」 の愛称で親しまれる福岡市の小学校教諭。
「あこがれ先生プロジェクト」 第一回目に出演以来、全国を飛び回る。
「あこがれ先生プロジェクト」は、全国で10回もの講演をおこなっている。
また、いろんな方々とのコラボ講演もおこなわれ、その秘話は たくさんの方々に感動を与え、「みやざき中央新聞」・「メッセンジャ-」・月刊「致知」 に掲載される。
陶彩画家・絵本作家(「いのちのまつり」シリーズ)の草場一壽氏による ドキュメンタリー映画 『いのちのまつり 地球が教室』 に出演。その中では、まゆみ先生と子供たちの「いのちの授業」がたくさんの方々の涙をさそっている。
ほかにも、毎週日曜日の朝のラジオのパーソナリティーや、児童養護施設訪問・雑誌「教師のチカラ」 の連載など多方面に活躍している。
まゆみ先生の芯は「愛」。講演では、「目の前の子供たちを抱きしめてください。愛してください」と大人たちに呼びかけている。



◎西山嘉克



世界のいやさか村代表
言魂師よっちゃん プロフィール
よっちゃんコト西山嘉克(にしやまよしかつ)。
1981年、滋賀県にて誕生。
日本中、世界中…放浪の旅を経て、沢山の御縁に導かれ佐賀県嬉野の山奥に根をおろす。
訪れる人々が、命の使い方を思い出す場「世界のいやさか村」を拠点とし、家族だけの自然出産、子育て、言魂しごと、言魂教室、講演会、
ワークショップ、合宿等々…様々な活動を行っている。
相手の眼を観て、インスピレーションで言魂を届け続けて11年目。
御縁頂いた約5万人の方々のおかげで今があります。
今日もまた、喜んで命のメッセージを届けます。



◎鈴木茂生



1963年、長崎県長崎市に生まれる。
1988年、長崎大学卒業と共に長崎を離れる。
24年間大企業にて世界をまたにかける技術者として、そして後半は直接経営にも関わりながら100名の部下を抱えたビジネスマンの頃、過労にて命の危機を体験。その1ヶ月後に福島の震災が起こり、3ヶ月間の闘病の中で想うところあり、人生の転換を決意し退職。その後の3年余りで様々な必然が起こり、現在は音楽家、写真家、ヒーリング療法師範として、山梨県の築270年の古民家で創作的な暮らしを営む一方で、年半分ほどは軽トラックのモーターハウスで旅をしながら、全国にて様々なお志事をさせて頂いている。
音楽は長年ブルースに傾倒しており、ソロの弾き語りから複数のブルースバンドでステージを経験。そして音楽でも大きな転機を迎え、現在は太古の世界から宇宙までを映し出す、ネイティブでシャーマニックな演奏にまで幅を拡げ、全国で数々のカフェやライブハウスから、大きな野外ステージや神社仏閣での奉納演奏まで、様々な機会を頂くに至る。
現在コンサートで演奏している楽器は、インディアンフルート、骨笛、口琴、カリンバ、インディアンドラム、シンギングボウル、ギター、ピアノ、その他多数の鳴りものを、ループマシンを用い、その場で多重録音しながら、ソロにして、壮大で深淵な世界を表現。2014年にはヒーリングアルバムCD " Healer's Light " をリリースし、全国ツアーをしながら地道な活動を展開中。
今年7月にはNew Album 帰命 をリリースの予定。
昨年夏より69年前に投下され今も灯され続けている原爆の火(平和の火)に携わる機会を得、調和ある社会を目指した活動も開始。
今回のセレモニーを企画するに至る。

  
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2015年07月04日

財政破綻

財政破綻

ギリシャの財政破綻は明白なようやけど、日本も同じよなもんよ
世界経済そのものがそんなもんやろ

保険、ローン、国債などの仕組みが作り出したフェイクエナジーなお金
バブルがあって、リーマンショクがあって、かなりのフェイクマネーが消えたわけやろ

そうなったんは政策や企業にも原因はあるけど、俺たちひとりひとりにも原因あるて思うんよな
きっとそんな仕組みに依存しその恩恵も受けて来たやろ

だから、そんな仕組み責めたとこでなんも始まらんしな、結局は自分の生き方変えるしかないと思うんよな

文句言うてもなんも変わらんよ

文句言うの好きな人たちが氣持ち悪い共鳴しとる姿をFacebookでもよう見かけるけどな

ひとつの記事であってもそれをシェアするひとの意識によって、そこに起こる共鳴周波数は変わるからな

シェア元の記事にもなんらかの意図が入っとるから、シェアってのは氣をつけんと知らんうちに地雷たくさん埋めとることにもなりかねん

やっぱ、自分の行動と共にある言葉が一番やな

それが良かろうが悪かろうが、紛れも無い自分やからな

安心して、こいつアホやな〜と思えるし
安心して、こいつアホやな〜と思うて貰える

そんなんがいーんやない?

今朝も4時に起きました
おはようさん

写真は氣にせんでください




  
Posted by 放浪太郎 at 10:49Comments(0)

2015年07月01日

共時性

共時性
シンクロニシティ

この生き方へのシフトを決めてから
あり得ないようなことが起こり始めた

所謂シンクロってやつ

昨日もちゃまさんちで
穏やかな人生論セミナー「たゆたいむ」をやったけど
その中で話しているのはその中のほんの一部

その後も加速的にシンクロは起こり続けとる

統計学的には不可思議という確率で起こるもの
更にそれは今この時に意味を持って現れる

そのきっかけとなったのは自らの意識の変容
自分の在り方に対する決意を変えたってことやね

結果としての退職とこの暮らしの始まり

ひとつひとつのシンクロにも意味はあるにはあるけど
その出来事が伝えてくるものはもっと本質的、根源的なもん

何を信頼し生きるかということの答えを手を変え品を変え現してくれる
そんな氣がしとります

昨日一日でもたくさんのシンクロが起こったんやけど
この夏至前くらいからそれは益々加速

それは一方向に加速するのではなく
渦のようにうねりを持っとって
加速、減速を繰り返すんやけど
その周期と振幅が膨れあがっく感じ

これは今の政治や経済にも見て取れると捉えとって
陰極まりて陽極まるプロセスが今
双方極まりて訪れる調和やと思うんよね

悲観はどこにもなく、批判もなく
我が身を委ねられる道が在る

たゆたうとは、そういうことやんな

写真は昨日のシンクロのひとつ

小百合ちゃんが野菜を持って来てくれたんやけど
それを入れる袋を出そうとしたらコレが出て来たらしい

そして同じ象りが神棚の下にあるんやけど
その事を小百合ちゃんは知らない

そしてそれを神棚の下に祀り直したのは最近のこと

まぁ、そんなもんやね












  
Posted by 放浪太郎 at 20:41Comments(0)

2015年06月30日

本を読む

本を読む

俺は本を読むのが好き

子どもの頃は嫌いやったけど
はたちくらいから好きになった

本は眼で読むもんやない
耳で聴いたり
鼻で匂いかいだり
舌で味わったり
身体で感じたり
ぜーんぶ使うやろ

同じ本を読んでも
そこに見る映像はひと其々

そこに映るものは
自分が経験し味わったものが
映写されるように起こる

だから
深く味わった経験が浅いと
読書における体感も浅い
だから読書がつまらない

般若心経の中に
無眼耳鼻舌身意
ムゲンニビゼツシンイ
という節がある

これら全部使うての人間
でもそこを手放すってことやな

これを六根清浄というんやったかな

使い切るから手放せるんよ
使い切らんうちには手放せんよ
だって手の中に無いんやもん、笑

だからまずは使い切るんやな
人として

でな、ここに意ってのがあるやろ
これが意識やと思うんよな

五感プラス意識
第六感の源やな

五感を使い切り磨くから
第六感が動き始めるやないかな

五感使うには読書やお勉強だけじゃ駄目やな

身体使うて初めて働く五感
だから身体使うことは大事
口先だけにならんよにな

で、感じ切ったときやっと
それらの全てを手放せる時が来る

かも知れん

来んかも知れん

そんなん知らんよ、笑
俺は只の人間やもん

でもな
そんなふとした氣付きっつーか
まさにこれが直感なんやけど

そんなことが腑に落ちてしまうと
本当にそんなことが起こるし

それを証明するようなことが
目の前に現れるんすね

で、何の話しやったかなって思い
冒頭を読み返してみると

あ、本を読む話しやったねって思い出す

なんでこんな話に辿りついたんやろなって思うやろ
そんなん知らんよ、笑

でもこうなったってことは
なんか、なーんかあったからやろなと思うわけ

だからいつも
これを書こうと思ってから書き始めんのよな

で、長くなる、笑

伝えることを目的にしとらんのよね
この経過を自分で観察するのが楽しいんよね

そこにまた氣付きがあったりしてね
そんなんに付き合ってくれるひとたちへ

いつもありがとう◎

俺の生き方そのものが
今日の話にでとるよな

ま、そんな感じです

とりとめのないこと
とりとめのない自分を許せること
いーんじゃないすか

さて

今日は1月の修験以来
高尾山を歩きます

その後高円寺です





  
Posted by 放浪太郎 at 20:04Comments(0)

2015年06月29日

覚悟

ここの所
覚悟が人生を左右する
という話を何度か書いたけど

覚悟とはなんぞや

悟りを覚える
と書いて、覚悟

悟りとは
吾が心と書く

また覚えるには意識が働く
という意味があるから

覚悟とは
吾が心に意識が働く
ってことやんな

従って
覚悟に思考は無縁

なのに覚悟決めるのに
思考しとるひと多いな

覚悟を決めるための
様々な条件を並べる

時は経過し
条件は満たされず

挙げ句の果てに
覚悟は決まらず

決まるわけないやんな

そんなん最初から
覚悟ないもんな

覚悟とは心に行為を委ねるかどうか
それを決める単純作業

自分の心を信頼できるひとになる
それが覚悟へ向かう原点となる

だから
無理に覚悟決めなくてもいいんよ

覚悟を決められるまでは
様々な経験を積んで己を磨くしかない

無理して覚悟を決めると
痛い目に合う

無理、つまりそこには
理(ことわり)が無いからな

覚悟が決まるまで
覚悟を決めるための経験を積むことこそが
生きている意味なんやないか

これが、悟り

覚悟が決まったあとにも
多くの経験があるけど
それは己を役立てる経験に変わる

それは
お役に立てる自分になって来たから

自然な流れやな

しかもそれは
向こう側から押し寄せて来る

一体何が起こっとるん???
ってくらい分かりやすく来る

引き寄せの法則なんていーますけどね

俺の感覚ではそれはまがい物

引き寄せたいという欲に
理(ことわり)が現れるわけないもんな

その欲相応のものは来てるかも知れんけどな
そりゃ欲まみれですな

お氣の毒ですな
氣の、毒

でもまぁ学びの経験として
毒が必要なこともあるさな

どーせ毒飲むなら本氣で飲むといい
そしたらそれは薬になる

俺もたくさん毒飲みましたよ
で、デトックス

苦しみまくり
吐きまくりましたよ

経験とは行動の反射でなく
そこに揺れ動いた心の反射

吾が心に意識を合わせる練習を
日々やってる俺たち◎





  
Posted by 放浪太郎 at 09:39Comments(0)

2015年06月25日

歸命無量壽如來

何かがまた大きく動き始めている

それは感覚だけでなく
色んな出来事として急に起こり始めている

その現実からの氣付き

予定がキャンセルになったり
予定がうまく組めなかったり
過去のあることがリセットされたり
また新しい依頼がいくつも舞い込んで来たり

旅絡みと旅の直前の事案なので
その調整のやり直しに時間をかけている

調整している矢先にまた変更があったり
でもその連絡文書を送信しようとした直前に別の案件が舞い込んで来たり

一見うまく行っていないように見えるが
そうではないと思う

より佳き方向に強制的にシフトされている
そんな感じ

これは過去にも何度か経験していて
その事態を自分がどのように受けとめるか
そこが肝要

昨日もそんな投稿をしたわけだけれど
まさにそれが一氣に起こっている感じ

ひとつひとつの事象に囚われず
全体をぼんやりと眺めている

大きな流れがそこに在る
そんな感じがする

調整案件がいくつもあって
頭の容量を超えそう

そういう時は逆に効率を考えず
並行して調整せずに
直列に調整してゆく

西洋的マネジメントからすると
真逆のアプローチ

どの調整をどのタイミングで
どの順番でやるかに直感を使う
急がない、慌てない

中には煽りが来る案件もある

それもひとつのサインかも知れないし
それでも自分のタイミングで
動いた方がいいかも知れない

その全てを自分で選択する

よーく耳を澄ませ
遠くからの囁きを聞いている

しかしなんやろな、これは
目が周りそう@@

出来ることを
無理なくやろう

夏至やしな
なんか動く時なんかもな

では今から
夏至の奉納演奏に行って参ります

大事なお志事◎

添付は由貴姉こと
貴香先生の書

歸命無量壽如來
往生安樂國

合掌



  
Posted by 放浪太郎 at 06:09Comments(0)

2015年06月24日

これが現実

これが現実

100人を集めるイベントを企画したとする
そして、集まったのは5名だったとする

このとき
95名足りなかったことを嘆くあなたか

または
来てくれた5名に感謝するあなたか

起こった出来事はひとつでも
この両者には各々異なる現実が現れている

現実は自分が作っているという一例

そしてこの両者の意識の差の積み重ねが
社会をつくっている

社会は意識の変容で
瞬時に変わる

これが現実

信じられないとすれば
それはあなたの覚悟の問題

覚悟なきとこに
道は無し

そろそろ覚悟する時が
来とる感じがするよ



  
Posted by 放浪太郎 at 10:03Comments(0)