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Posted by のらんば長崎運営事務局 at

2016年02月04日

想い出



今朝

旅の途中で大変お世話になっていた方が天に召されたと

お友だちから連絡があった




天に召されるにはまだ早いと思われる年齢だけれど

そのようなお別れは突然にやってくる




父との別れも母との別れもそうだったように

俺がお別れする日もそのように訪れるのかも知れない




数年前にその方とそのご家族とお友だちの紹介で出逢い

それからというもの旅の途中で何度もお世話になっていた




家にも泊めて貰ったり

貴重なものをいただいたり




一緒に山を歩き神社仏閣をお参りしたり

一緒にご飯を食べにいったりした




最後に逢ったのは昨年の夏だった

また旅の時に逢えると思っていた




涙は溢れてくるけど

そこに残念な想いや悔いなどはないよ




だってこれまで短い時間だったけれど

一緒にいい時を過ごすことができたんだもの




お世話になりました

どうもありがとうございました




次の旅で線香あげにゆきまーす

そこでまたゆっくりお話ししようね




<夏の想い出の写真>

これを俺が手にしたことを喜んでくれたね









一緒にラーメン食べに行ったね

俺の左側にいたんだよね









合掌


  
Posted by 放浪太郎 at 17:19Comments(0)

2016年02月03日

魂の意味と位置






将棋だか囲碁だか

人とコンピューターで対戦をして

コンピューターが勝ったという記事を最近目にした




恐らくコンピューターの中には様々な

勝ったときのパターンと

負けたときのパターンが記録されていて

その中からその局面のベストを探りながら対戦を進めるのだと思う




人間の脳も同じようなプログラム機能を持っていて

そのプログラミングをするのが経験だ




単に知識としてインプットしたものは

現実に起こる様々な外乱要因を経験していないため

その効果を発揮し難い




つまり

経験が人間の行動のプログラムをインプットする




しかしここで大切なのは

そのプログラムではない




大切なものは

そのプログラムを動かず動機だ




それを目先に置けば目的となり

その深淵を見れば意識となる




将棋や囲碁の対戦プログラムの動機は勝利にある

そこに向かいその機能が発揮されている




経験の全てはプログラムされてゆくので無駄はないが

その経験を如何に活かすかはそのひとの意識による




そしてその意識の置き方そのものもまた

経験によってそのベクトルと深度を変えてゆく




意識探求と経験のサイクルが

生命力そのものかも知れない




そしてどれだけ経験を重ねても

そのプログラムでは想定できないことが起こる




想定できないことへの対処ほど

冒険的でわくわくするものはない




ここへの向き合い方に関わるものが

魂の逞しさであり




魂の逞しさが

生命力でもある




そして

右脳と左脳の橋渡しをするもの




それが

魂だと思う




右脳でキャッチ(インプット)し

左脳が行動に変換(アウトプット)する




右脳でキャッチしたものを左脳へ橋渡しする時

脆弱な魂はその伝達を弱める




従って行動がインプットにダイレクトに対応せず

起こす現実からまた学びが起こる




逞しい魂がその伝達をするとき

インプットに対しより自然なアウトプットが叶う




結果として

そのアウトプットは自然やひとに優しいものとなる




これは今俺が感じていることだけれど

論理的根拠があるわけではない




その感覚のまま在り経験を重ねることで

自ずとまた見えてくるものがあるだろう




それでいい

人間とはそんな生き物なんじゃないかな







  
Posted by 放浪太郎 at 09:47Comments(0)

2015年07月13日

【拡散希望】平和記念セレモニー

原爆投下70周年 "平和記念セレモニー in 長崎"
を、7/20に開催します

facebook にて先行しアナウンスしてありましたが
こちらにも掲載いたします

Facebook、twitter、mixi、口伝えなどで
ご紹介頂ければ幸いです






◎日時
2015年7月20日(海の日)
開場 18:00
開演 18:30
終演 20:30



◎場所
長崎市平野町1-30
タイガーダンススタジオ
浜口電停より徒歩3分
http://tigerdance.choitoippuku.com/



◎参加費
2,000円
中学生以下半額



◎予約制
定員がありますので、予約制となります
ご参加頂ける方は直接私(鈴木)に、代表者指名と参加人数をFBメッセージにてご連絡ください(当該ページの参加ボタンはミスタッチの場合があるため、お手数ですがメッセージにてお願いします)



◎出演者(詳細は別スレッドをご参照ください)
舞:國友悠一朗(高知県)
スガジャズダンススタジオ社長
須賀IZANI連代表

舞:レインボーチルドレン(長崎、佐賀県)
須賀IZANAI連 ジュニアダンサー

言魂書きおろし:西山嘉克(佐賀県)
世界のいやさか村代表

お話し:香葉村真由美(福岡県)
小学校教諭

お話し:佐藤春雄(新潟県)
SUGA IZANAIプロデューサー、ヒーラー

音楽:鈴木茂生(山梨県)
音楽家、写真家、旅人



◎開催趣旨(主催、鈴木より)
原爆投下より70年が経過した今
社会は平和に向かっているだろうか

平和とは、ひとりひとりの自立より起こる
それは一人ひとりが人として、自分らしく、たおやかに、穏やかに生きている状態が起こしてゆく只の結果、つまり自然なことだと思う

戦争反対とか原発反対と叫ぶのではなく、わたし自身が、そしてあなた自身がどのように生きるのか
そこに始まりが在る

被爆二世として長崎に生まれ育った24年間
その後24年間を大企業のエリートとして駆け抜けて来たが、経済を軸とした社会からではなく、もっと一人ひとりを大切に生きることから始まる調和を見据え退職
そして3年を暮らし51歳となった今「今ここに全てが在る」という視点から今の暮らしを立てている

自分が変われば周りが変わることを深く体験し、音楽と写真と癒しを通じその光となる意識共鳴(響命)を全国に広げており、今回はその3年間の区切りとしての集大成を生まれ育った長崎にて企画

一人ひとりの生命力が調和社会をいざない、未来(子供たち)に紡いでゆくことを使命とし全国で活躍する者たちとの共演

音、舞、言葉にて、みなさんと響命し合えるセレモニーとなれれば幸いです



◎公演内容
18:30〜18:40 挨拶、趣旨説明/ 鈴木
18:40〜18:50 舞/ レインボーチルドレン
18:50〜19:00 巨大言魂書きおろし/ 西山
19:00〜19:40 音と舞/ 國友、鈴木
19:40〜19:55 命の話/ 香葉村
19:55〜20:10 パネルトーク/ 全員
20:10〜20:25 参加者との対話/ 全員
20:25〜20:35 合唱/ 全員
20:35〜20:40 閉会の挨拶/ 鈴木



◎國友悠一朗



1978年2月23日生まれ。
有限会社スガジャズダンススタジオ取締役社長
全国の祭、踊りムーヴメントをリードする須賀 IZANAI 連 代表として国内外問わず多数の祭り、イベント、舞台に出演。ダンス、振り付け、演出、司会、講演と様々なフィールドで活躍している。世界に広がったよさこい、YOSAKOI、IZANAIのプロデュースを数多く手がけ、多くの絶賛を得ている。
『無気力、無感動、無責任を踊りで正せ!!!』がモットー。
現代よさこいの火付け人、國友須賀の長男として1978年2月23日、高知市で産まれる。
18歳よりよさこいに出会い感動、すぐにダンスを初め、須賀IZANAI連のリードダンサーとして18年間活躍し続けている。
國友須賀のプロデュース作品のほぼ全てをアシスタントとしてサポート。日本は固より世界各地で指導し続けてきた実績を持つ。
これまでよさこい、IZANAIミュージカルによってNY、LA、サンフランシスコ、ハワイ、メキシコ、韓国、ガーナ、フランス、ドイツ、イタリアにまで日本の踊り文化を伝える。
2011年6月1日、國友須賀他界後、母の跡を継ぎ、同年 6月22日取締役社長に就任。
現在 振り付け師としてのキャリアを重ね、特によさこい YOSAKOI  IZANAIのプロデュースは唯一無二のスタイルとして賞賛、信頼を得ている。
またソロダンサーとしても活躍。岡野弘幹氏をはじめロックバンドおかん、多くのミュージシャン、アーティストとコラボレーション。
舞台はもちろんのこと神社、仏閣、聖地でのパフォーマンスを行っている。
カタチが変わっても守るべきスピリットを大切に、アートを道具にした平和活動を目的に生きている。
WORKS(2011年6月~現在)
2011年12月12日 サンポートホール高松・大ホール 『神代音絵巻 むすひ』
2012年12月10日 ひめぎんホール・メインホール  『神代音絵巻 えひめ』
絵・音・舞でつくる「古事記」の世界 作曲・演出・演奏/ 岡野 弘幹 出演/TeN、信藤真実、國友 悠一朗、國友 慎之助、國友 麻ゆみ、SUGA IZANAI
作品映像/マークエステル・スキャルシャフィキ 映像/高岡 真也
2012年~2014年現在 『天河大弁財天社 節分祭奉納』岡野弘幹氏の奉納にダンサーとして参加
2013年~2014年現在 『天河大弁財天社 天河大祭、宵宮奉納』岡野弘幹氏の奉納にダンサーとして参加
2012年12月15,16日 かるぽーと『スガジャズダンススタジオ 30周年記念公演 Prema of M』 総合演出 ダンサー出演
2012年2月18・19日 京都南座『東日本大震災復興支援公演「日本の祈り」 ~歌舞音曲で綴る日本の心の原風景~』【出演 】司会:宝田明・八木早希 特別ゲスト:柴田美保子(故市川森一氏夫人) 出演:岡野弘幹・藤舎貴生 他 【演目】「声明と現代音楽のコラボレーション」  阿含宗声明衆・岡野弘幹・TeN 國友悠一朗 日本舞踊 尾上墨雪・若柳吉蔵・尾上菊之丞・吾妻徳彌 邦楽「幸魂奇魂~古事記より」2012年第54回レコード大賞企画賞受賞曲 若村麻由美・平岳大  藤舎呂悦・林英哲・藤舎貴生 他総勢50名
2013年4月8日 大阪城ホール『ロックバンドおかん 大阪城ホール単独公演. 「おかん夢叶う時、大阪城ホール」』コラボレーションダンサー出演
2012年~2014年 夏至の日 6月21日 山中湖交流センター内スワンステージ『富士いのりのセレモニー』岡野弘幹氏のステージにダンサー出演



◎香葉村真由美



「まゆみ先生」 の愛称で親しまれる福岡市の小学校教諭。
「あこがれ先生プロジェクト」 第一回目に出演以来、全国を飛び回る。
「あこがれ先生プロジェクト」は、全国で10回もの講演をおこなっている。
また、いろんな方々とのコラボ講演もおこなわれ、その秘話は たくさんの方々に感動を与え、「みやざき中央新聞」・「メッセンジャ-」・月刊「致知」 に掲載される。
陶彩画家・絵本作家(「いのちのまつり」シリーズ)の草場一壽氏による ドキュメンタリー映画 『いのちのまつり 地球が教室』 に出演。その中では、まゆみ先生と子供たちの「いのちの授業」がたくさんの方々の涙をさそっている。
ほかにも、毎週日曜日の朝のラジオのパーソナリティーや、児童養護施設訪問・雑誌「教師のチカラ」 の連載など多方面に活躍している。
まゆみ先生の芯は「愛」。講演では、「目の前の子供たちを抱きしめてください。愛してください」と大人たちに呼びかけている。



◎西山嘉克



世界のいやさか村代表
言魂師よっちゃん プロフィール
よっちゃんコト西山嘉克(にしやまよしかつ)。
1981年、滋賀県にて誕生。
日本中、世界中…放浪の旅を経て、沢山の御縁に導かれ佐賀県嬉野の山奥に根をおろす。
訪れる人々が、命の使い方を思い出す場「世界のいやさか村」を拠点とし、家族だけの自然出産、子育て、言魂しごと、言魂教室、講演会、
ワークショップ、合宿等々…様々な活動を行っている。
相手の眼を観て、インスピレーションで言魂を届け続けて11年目。
御縁頂いた約5万人の方々のおかげで今があります。
今日もまた、喜んで命のメッセージを届けます。



◎鈴木茂生



1963年、長崎県長崎市に生まれる。
1988年、長崎大学卒業と共に長崎を離れる。
24年間大企業にて世界をまたにかける技術者として、そして後半は直接経営にも関わりながら100名の部下を抱えたビジネスマンの頃、過労にて命の危機を体験。その1ヶ月後に福島の震災が起こり、3ヶ月間の闘病の中で想うところあり、人生の転換を決意し退職。その後の3年余りで様々な必然が起こり、現在は音楽家、写真家、ヒーリング療法師範として、山梨県の築270年の古民家で創作的な暮らしを営む一方で、年半分ほどは軽トラックのモーターハウスで旅をしながら、全国にて様々なお志事をさせて頂いている。
音楽は長年ブルースに傾倒しており、ソロの弾き語りから複数のブルースバンドでステージを経験。そして音楽でも大きな転機を迎え、現在は太古の世界から宇宙までを映し出す、ネイティブでシャーマニックな演奏にまで幅を拡げ、全国で数々のカフェやライブハウスから、大きな野外ステージや神社仏閣での奉納演奏まで、様々な機会を頂くに至る。
現在コンサートで演奏している楽器は、インディアンフルート、骨笛、口琴、カリンバ、インディアンドラム、シンギングボウル、ギター、ピアノ、その他多数の鳴りものを、ループマシンを用い、その場で多重録音しながら、ソロにして、壮大で深淵な世界を表現。2014年にはヒーリングアルバムCD " Healer's Light " をリリースし、全国ツアーをしながら地道な活動を展開中。
今年7月にはNew Album 帰命 をリリースの予定。
昨年夏より69年前に投下され今も灯され続けている原爆の火(平和の火)に携わる機会を得、調和ある社会を目指した活動も開始。
今回のセレモニーを企画するに至る。

  
Posted by 放浪太郎 at 08:53Comments(0)

2015年07月04日

財政破綻

財政破綻

ギリシャの財政破綻は明白なようやけど、日本も同じよなもんよ
世界経済そのものがそんなもんやろ

保険、ローン、国債などの仕組みが作り出したフェイクエナジーなお金
バブルがあって、リーマンショクがあって、かなりのフェイクマネーが消えたわけやろ

そうなったんは政策や企業にも原因はあるけど、俺たちひとりひとりにも原因あるて思うんよな
きっとそんな仕組みに依存しその恩恵も受けて来たやろ

だから、そんな仕組み責めたとこでなんも始まらんしな、結局は自分の生き方変えるしかないと思うんよな

文句言うてもなんも変わらんよ

文句言うの好きな人たちが氣持ち悪い共鳴しとる姿をFacebookでもよう見かけるけどな

ひとつの記事であってもそれをシェアするひとの意識によって、そこに起こる共鳴周波数は変わるからな

シェア元の記事にもなんらかの意図が入っとるから、シェアってのは氣をつけんと知らんうちに地雷たくさん埋めとることにもなりかねん

やっぱ、自分の行動と共にある言葉が一番やな

それが良かろうが悪かろうが、紛れも無い自分やからな

安心して、こいつアホやな〜と思えるし
安心して、こいつアホやな〜と思うて貰える

そんなんがいーんやない?

今朝も4時に起きました
おはようさん

写真は氣にせんでください




  
Posted by 放浪太郎 at 10:49Comments(0)

2015年07月01日

共時性

共時性
シンクロニシティ

この生き方へのシフトを決めてから
あり得ないようなことが起こり始めた

所謂シンクロってやつ

昨日もちゃまさんちで
穏やかな人生論セミナー「たゆたいむ」をやったけど
その中で話しているのはその中のほんの一部

その後も加速的にシンクロは起こり続けとる

統計学的には不可思議という確率で起こるもの
更にそれは今この時に意味を持って現れる

そのきっかけとなったのは自らの意識の変容
自分の在り方に対する決意を変えたってことやね

結果としての退職とこの暮らしの始まり

ひとつひとつのシンクロにも意味はあるにはあるけど
その出来事が伝えてくるものはもっと本質的、根源的なもん

何を信頼し生きるかということの答えを手を変え品を変え現してくれる
そんな氣がしとります

昨日一日でもたくさんのシンクロが起こったんやけど
この夏至前くらいからそれは益々加速

それは一方向に加速するのではなく
渦のようにうねりを持っとって
加速、減速を繰り返すんやけど
その周期と振幅が膨れあがっく感じ

これは今の政治や経済にも見て取れると捉えとって
陰極まりて陽極まるプロセスが今
双方極まりて訪れる調和やと思うんよね

悲観はどこにもなく、批判もなく
我が身を委ねられる道が在る

たゆたうとは、そういうことやんな

写真は昨日のシンクロのひとつ

小百合ちゃんが野菜を持って来てくれたんやけど
それを入れる袋を出そうとしたらコレが出て来たらしい

そして同じ象りが神棚の下にあるんやけど
その事を小百合ちゃんは知らない

そしてそれを神棚の下に祀り直したのは最近のこと

まぁ、そんなもんやね












  
Posted by 放浪太郎 at 20:41Comments(0)

2015年06月30日

本を読む

本を読む

俺は本を読むのが好き

子どもの頃は嫌いやったけど
はたちくらいから好きになった

本は眼で読むもんやない
耳で聴いたり
鼻で匂いかいだり
舌で味わったり
身体で感じたり
ぜーんぶ使うやろ

同じ本を読んでも
そこに見る映像はひと其々

そこに映るものは
自分が経験し味わったものが
映写されるように起こる

だから
深く味わった経験が浅いと
読書における体感も浅い
だから読書がつまらない

般若心経の中に
無眼耳鼻舌身意
ムゲンニビゼツシンイ
という節がある

これら全部使うての人間
でもそこを手放すってことやな

これを六根清浄というんやったかな

使い切るから手放せるんよ
使い切らんうちには手放せんよ
だって手の中に無いんやもん、笑

だからまずは使い切るんやな
人として

でな、ここに意ってのがあるやろ
これが意識やと思うんよな

五感プラス意識
第六感の源やな

五感を使い切り磨くから
第六感が動き始めるやないかな

五感使うには読書やお勉強だけじゃ駄目やな

身体使うて初めて働く五感
だから身体使うことは大事
口先だけにならんよにな

で、感じ切ったときやっと
それらの全てを手放せる時が来る

かも知れん

来んかも知れん

そんなん知らんよ、笑
俺は只の人間やもん

でもな
そんなふとした氣付きっつーか
まさにこれが直感なんやけど

そんなことが腑に落ちてしまうと
本当にそんなことが起こるし

それを証明するようなことが
目の前に現れるんすね

で、何の話しやったかなって思い
冒頭を読み返してみると

あ、本を読む話しやったねって思い出す

なんでこんな話に辿りついたんやろなって思うやろ
そんなん知らんよ、笑

でもこうなったってことは
なんか、なーんかあったからやろなと思うわけ

だからいつも
これを書こうと思ってから書き始めんのよな

で、長くなる、笑

伝えることを目的にしとらんのよね
この経過を自分で観察するのが楽しいんよね

そこにまた氣付きがあったりしてね
そんなんに付き合ってくれるひとたちへ

いつもありがとう◎

俺の生き方そのものが
今日の話にでとるよな

ま、そんな感じです

とりとめのないこと
とりとめのない自分を許せること
いーんじゃないすか

さて

今日は1月の修験以来
高尾山を歩きます

その後高円寺です





  
Posted by 放浪太郎 at 20:04Comments(0)

2015年06月29日

覚悟

ここの所
覚悟が人生を左右する
という話を何度か書いたけど

覚悟とはなんぞや

悟りを覚える
と書いて、覚悟

悟りとは
吾が心と書く

また覚えるには意識が働く
という意味があるから

覚悟とは
吾が心に意識が働く
ってことやんな

従って
覚悟に思考は無縁

なのに覚悟決めるのに
思考しとるひと多いな

覚悟を決めるための
様々な条件を並べる

時は経過し
条件は満たされず

挙げ句の果てに
覚悟は決まらず

決まるわけないやんな

そんなん最初から
覚悟ないもんな

覚悟とは心に行為を委ねるかどうか
それを決める単純作業

自分の心を信頼できるひとになる
それが覚悟へ向かう原点となる

だから
無理に覚悟決めなくてもいいんよ

覚悟を決められるまでは
様々な経験を積んで己を磨くしかない

無理して覚悟を決めると
痛い目に合う

無理、つまりそこには
理(ことわり)が無いからな

覚悟が決まるまで
覚悟を決めるための経験を積むことこそが
生きている意味なんやないか

これが、悟り

覚悟が決まったあとにも
多くの経験があるけど
それは己を役立てる経験に変わる

それは
お役に立てる自分になって来たから

自然な流れやな

しかもそれは
向こう側から押し寄せて来る

一体何が起こっとるん???
ってくらい分かりやすく来る

引き寄せの法則なんていーますけどね

俺の感覚ではそれはまがい物

引き寄せたいという欲に
理(ことわり)が現れるわけないもんな

その欲相応のものは来てるかも知れんけどな
そりゃ欲まみれですな

お氣の毒ですな
氣の、毒

でもまぁ学びの経験として
毒が必要なこともあるさな

どーせ毒飲むなら本氣で飲むといい
そしたらそれは薬になる

俺もたくさん毒飲みましたよ
で、デトックス

苦しみまくり
吐きまくりましたよ

経験とは行動の反射でなく
そこに揺れ動いた心の反射

吾が心に意識を合わせる練習を
日々やってる俺たち◎





  
Posted by 放浪太郎 at 09:39Comments(0)

2015年06月25日

歸命無量壽如來

何かがまた大きく動き始めている

それは感覚だけでなく
色んな出来事として急に起こり始めている

その現実からの氣付き

予定がキャンセルになったり
予定がうまく組めなかったり
過去のあることがリセットされたり
また新しい依頼がいくつも舞い込んで来たり

旅絡みと旅の直前の事案なので
その調整のやり直しに時間をかけている

調整している矢先にまた変更があったり
でもその連絡文書を送信しようとした直前に別の案件が舞い込んで来たり

一見うまく行っていないように見えるが
そうではないと思う

より佳き方向に強制的にシフトされている
そんな感じ

これは過去にも何度か経験していて
その事態を自分がどのように受けとめるか
そこが肝要

昨日もそんな投稿をしたわけだけれど
まさにそれが一氣に起こっている感じ

ひとつひとつの事象に囚われず
全体をぼんやりと眺めている

大きな流れがそこに在る
そんな感じがする

調整案件がいくつもあって
頭の容量を超えそう

そういう時は逆に効率を考えず
並行して調整せずに
直列に調整してゆく

西洋的マネジメントからすると
真逆のアプローチ

どの調整をどのタイミングで
どの順番でやるかに直感を使う
急がない、慌てない

中には煽りが来る案件もある

それもひとつのサインかも知れないし
それでも自分のタイミングで
動いた方がいいかも知れない

その全てを自分で選択する

よーく耳を澄ませ
遠くからの囁きを聞いている

しかしなんやろな、これは
目が周りそう@@

出来ることを
無理なくやろう

夏至やしな
なんか動く時なんかもな

では今から
夏至の奉納演奏に行って参ります

大事なお志事◎

添付は由貴姉こと
貴香先生の書

歸命無量壽如來
往生安樂國

合掌



  
Posted by 放浪太郎 at 06:09Comments(0)

2015年06月24日

これが現実

これが現実

100人を集めるイベントを企画したとする
そして、集まったのは5名だったとする

このとき
95名足りなかったことを嘆くあなたか

または
来てくれた5名に感謝するあなたか

起こった出来事はひとつでも
この両者には各々異なる現実が現れている

現実は自分が作っているという一例

そしてこの両者の意識の差の積み重ねが
社会をつくっている

社会は意識の変容で
瞬時に変わる

これが現実

信じられないとすれば
それはあなたの覚悟の問題

覚悟なきとこに
道は無し

そろそろ覚悟する時が
来とる感じがするよ



  
Posted by 放浪太郎 at 10:03Comments(0)

2015年06月23日

平和のバトン(三日目)

これは、広島市西区太光寺の副住職東和空さんの発案で
天城流湯治法 杉本錬堂さんから始まったそうです。

私にバトンを繋いでくれたのは我が信頼の弟子
出雲の日本式靈氣師範の高須賀千江子。

その高須賀千江子にバトンを繋いだのは
国内外で活躍しておられるサウンドセラピストのAikaさん

どちらも深い魂のご縁の存在です。

そして昨年夏「平和の火」の活動をした時
その採火式が執り行われたのが太光寺であり
発案者である東和空副住職にもお逢いしています。
これもまたご縁なのでしょう。

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平和のバトン(三日目)

昨年夏
平和の火の活動の一端を担った
(ピースフレイムムーブメント)

その採火式が行われたのが
この平和のバトンの発案者である
太光寺の東和空副住職だった

これもまた奇遇

その火は昨年のその活動から数えて
69年前に広島に投下された原爆の残り火

その火を密かに守り続けた故山本達雄さん
現在もその日は福岡県八女市星野村で守り続けられている

そして今年はその日を星野村で採火して頂き
7/20長崎にて平和記念セレモニーを開催する

そして晩年、その達雄さんが語っていた言葉
「人間が人間を殺し合うような世の中は、もう終わりにせんといかん」

こんな当たり前のことが腹のど真中にズドンと響く
そしてこんな当たり前のことを言わねばならぬ今を生きている

しかし嘆くことはない
恐れることもない

ど真ん中を生きよう◎


「人間が人間を殺し合うような世の中は、もう終わりにせんといかん」

「人間が人間を殺し合うような世の中は、もう終わりにせんといかん」

「人間が人間を殺し合うような世の中は、もう終わりにせんといかん」


合掌


ピースフレイムムーブメント
http://united-earth.jp/プロジェクト/プロジェクト一覧/peaceflamemovement/

  
Posted by 放浪太郎 at 05:26Comments(0)

2015年06月22日

平和のバトン(二日目)


これは、広島市西区太光寺の副住職東和空さんの発案で
天城流湯治法 杉本錬堂さんから始まったそうです。

私にバトンを繋いでくれたのは我が信頼の弟子
出雲の日本式靈氣師範の高須賀千江子。

その高須賀千江子にバトンを繋いだのは
国内外で活躍しておられるサウンドセラピストのAikaさん

どちらも深い魂のご縁の存在です。

そして昨年夏「平和の火」の活動をした時
その採火式が執り行われたのが太光寺であり
発案者である東和空副住職にもお逢いしています。
これもまたご縁なのでしょう。

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平和のバトン(二日目)

俺は被爆二世

おふくろが長崎で被爆し
倒壊した家の下敷きになった

その時の傷が身体の数ヶ所にあった
被爆してから数ヶ月の記憶がないと
言っていた

耐え難い記憶は自分を守るため
消去されることがあると聞くが
それだったのかも知れない

親父はその頃
自ら志願し予科練に入隊し
零戦に乗っていた

自らの命を
お國に捧げようという矢先
長崎に原爆が落とされ

長崎に居た親父の家族は
全員死亡

親父が16歳のとき
そしてその6日後
終戦となる

そして実家は
その親父の家族たちが死んだ
そこにある

親父もおふくろも
もうこの世には居ない

実家だけが残っている

寡黙な親父が唯一歌う歌があった
それは、同期の桜
予科練の歌だ

貴様と俺とは同期の桜
同じ航空隊の庭に咲く
咲いた花なら死ぬのは覚悟
見事散りましょ國のため

戦争に加担したひとを
責めるのは簡単だ

戦争を憎むのは簡単だ
原爆を憎むのも簡単だ

俺は長崎に生まれ育った被爆二世
戦争と原爆を幼少の頃から身近に感じて生きて来た

憎しみが何を起こすか
怒りが何を起こすかを
よく知っている

そしてやっと半世紀を生き
そのような感情に惑わされることなく
その学びからの行動をとれるようになった

戦争に自ら行った親父は悪者か?

昭和三年生まれの九州男児を
絵に描いたような男やった

極めて寡黙やったけど
人格者やった

批判も愚痴も
憎しみも悲しみも
一言も聞いたことはない

只ただ
自分を真っ直ぐに生きたひとやった

ひとを批判するのは簡単だ
社会を批判するのも簡単だ

でも
批判して何になる
想いは行動で示せ

その場限りの行動ではなく
生き様で示せ

平和はそんなひとりひとりの
地道だけれど揺るぎない信念から起こる

揺るぎない信念とは
命を落とすことさえも厭わない真心(まなごころ)

憲法9条に
揺るがぬ信念
まなごころを感じる

しかし
法律や憲法がなくたって

自分に真っ直ぐに生きていれば
平和は向こうからやってくる

そんなの綺麗事だと思うとすれば
それはあなたの覚悟が足りないだけだと伝えよう

自分に真っ直ぐに生きる
これが、自立

本質的な平和は
自立した個人からのみいざなわれる

真っ直ぐに生きろ
自分を生きろ

でも
たまにはよそ見してもいいよ

にんげんだもの◎


  
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2015年06月21日

平和のバトン(一日目)


これは、広島市西区太光寺の副住職東和空さんの発案で
天城流湯治法 杉本錬堂さんから始まったそうです。

私にバトンを繋いでくれたのは我が信頼の弟子
出雲の日本式靈氣師範の高須賀千江子。

その高須賀千江子にバトンを繋いだのは
国内外で活躍しておられるサウンドセラピストのAikaさん

どちらも深い魂のご縁の存在です。

そして昨年夏「平和の火」の活動をした時
その採火式が執り行われたのが太光寺であり
発案者である東和空副住職にもお逢いしています。
これもまたご縁なのでしょう。

ではここから、一日目の投稿です。




-----------------------------------------

平和ってなーに?

それは字の如く
平らけき和みに在る状態

平らけきとは
穏やかで無事である様

つまり平和とは
穏やかに和み、事無き様

近代に於いて平和とは
戦争がないことを言うけれど
それは戦争があることを前提とされた意識

俺は意識を大切に扱う

戦争がなきことは
戦争をしている兵士ですら望んでいる
なのに戦争は起こる

何故か
戦争したいひとたちがいるからやろな

ではどうやって戦争を無くすのか

戦争反対と叫び
その我々の目に見えぬ族の意識に届くか?

届かんやろ

では
戦争反対と叫ぶ声を聴いた民衆には
どのような反射が起こるか

穏やかで和んだ心持ちになるか?

ならんよな

なんかざわつき怒りを覚えることすらあるやろ
それって本質的な平和の意味から遠ざかっとらんか?

そこが思考の罠に落ちとると俺は思う

思考と意識とは別物だ
あなたの意識はどこに在るのか

穏やかで和む向きか
反対と叫び争う向きか

この差は大きい
とても大きいんです

例えそれが目指している結果が正しいことやとしても
そこに向かうプロセスに問題がある

プロセスとは今という瞬間の連続のことで
その僅かな今、今、今、という狭間に意識が在る

意識が今を紡ぐプロセスを起こし、結果を誘う

ということは、争う意識がもたらす結果は争いなんよ

一時的な平和が訪れたとしても勝者と敗者がいる限り
その間にあるギャップがまた次の争いを起こす

このサイクルを止める手段は
このギャップを無くすこと以外にはない

それが調和と呼ばれる状態であり
その調和はひとりひとりの自立から生まれる

平和は
自立から生まれた調和がもたらす結果

戦争反対の意識は、戦争推進派と同じ

その罠に嵌んなよ

平和のバトンを貰ったこの三間日は
この目線で語ることにしよかな

ま、思い通りにはならんかも知れんけどな

俺は穏やかで和むことに意識があるんで
自分で決めたことを推し進める小さな思考により
己の穏やかさや和みを掻き乱されるような

本末転倒な選択はしません



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写真は私が講師として開催している
自分の人生を切り拓くための "Presentation Coaching"
まさに自立を誘う研修です
その二期生の卒業記念に渡したカード


  
Posted by 放浪太郎 at 08:03Comments(0)

2015年06月20日

共感

先日龍氣ヒーリングの伝授をした

靈氣と龍氣ふたつの師範をやっていて
この半年だけでもかなりの方に伝授をしたことになる

そしてその志事を手放せる日を目指している

ビジネスマンの頃、いくつかの組織の長を務めた
その長になったとき、真っ先に思っていたことがある

それは
その長をどれだけ早く手放せるか(違うポジションに異動するか)だった

手放すためには、自分の後継ぎを育てなくてはならない
それが大切なことだと思っていた

今俺が生きているフィールドはビジネス界でも宗教界でもない
大地の上で只ひとりの人間として生きている

ヒーリングを教えるのは容易ではない
しかし誰でもヒーリングは出来るようになる

師範はそうはいかん
一朝一夕で叶うものではない

伝授の目的はひとを癒せるようになることではない
癒されたひとになることに在る

調和の大切な種だと思っている
だから大事にしている

そもそもヒーリングなんて世界には全く興味がなかった
なのに「これはやるんだろな」と明確な直感が来た
だからやった

俺は自分の声には素直だ

自分がこうしたいと思っても
自分の声がしたくないと言えばやらない

妙に聞こえるかも知れんが
思考する自分は外を向いていることが多い

しかし不意に現れる自分が中に在る
これを自我と真我などとも言うが
その辺の定義はどっちでもいい

ただそのような存在を感じる

不意に現れる声は「えー、マジで?嘘でしょ」と
思考(普段自分で自分だと思い込んでいる自分)が捉えることも多い
それでも不意なる声にその選択を委ねる

なぜそうなったかは伝授にて時間をかけて伝えてゆくのだけれど
不意なる声に委ねた結果起こり続けていることは、統計学的には説明がつかない

それをミラクルと言うが
ミラクルは余りにも起こり続けるとミラクルではなく当たり前になる

当たり前を説明し理解して貰うのは難しいが
出来るだけそれをわかりやすく説明している
(伝授や「たゆたいむ」にて)

しかし最も説得力があるのは
理解ではなく共感だ

伝授における共感は
俺の意識変容から起こり始めたミラクルの現実や
体感から起こる

例えば俺はおでこに一円玉を二枚重ねてくっつけることができる

顔を正面に向けているのに
おでこにくっついた一枚目とその上の二枚目がくっついて落ちない

普通ではあり得ないようなことが目の前で起こると
それを目の当たりにしたひとは思考を手放し
その事実を只見るしかない

例えば
同じことを5人にやってもらう

まずひとりもつかない

ところが俺がそれをやって見せると
途端につくひどがひとりかふたり現れる

なんだろね、これは

現在の物理学において解明されている宇宙エネルギーの話やけど
全宇宙のエネルギーを100とした場合、天体などの物質が占めているのは4%
次に目には見えないが観測はされているダークマターと呼ばれるエネルギーが23%
それ以外の理解されていないものが73%ある

ひとは理解できないものを不思議と呼ぶ
つまり我々が存在する世界の多くは不思議から成っているということだ

靈氣と龍氣もその中のひとつだが
その存在を受け入れられるかどうかという意識は
右に回転していたものを左回転にするようなもの

容易ではないし
容易でもある

俺は見た目も怪しいので(笑)いぶかしがられやすいように思うが
現実はそうでもない

むしろ多くの人が心を開いてくれる

なぜか

俺自身が心を開いているからだと思う

誰に心を開いているのか
それは俺自身に

自分に心を開けなければ
人にも心は開けない

自分を信頼できなければ
人も信頼できない

自分の外側に起こることは
自分自身から始まっている

外に不満があるひとは
自分自身に不満がある

自分の不満は
自分でなんとかしろ
なんとでもなる

一円玉はくっつくと知っているから
くっつく

スプーンも曲がると想えば
想えば、想えば

想っているのに、、、曲がらん!

なぜだぁぁあああ

想うことと知ることは違うんやろな
その辺はまだようわからん

スプーンを曲げてみたいお年頃
51歳

腹減った◎




  
Posted by 放浪太郎 at 20:46Comments(0)

2015年06月19日

細部には拘るな



深夜2時に目が覚め
色んなことを考えていた

ここんとこ、ながーい投稿ばっかやけど
んでなんか、立派そうなこと書いとるけど
そもそもなんで書こうとしとるんやろなと

主張したいわけやなし
否定したいわけでもなし

あー
在りのままではあるけどな

なんでそんな在りのままを見せとるんかなと
たくさんいいね押して貰えて嬉しいけど
しかも深く共感して貰ってる感触もあるしな

でも何か小さな違和感が自分の中にあるような氣がするんよなぁ
それってとても大切なことのような氣がするんよなぁ

あー
あと少ししたら空が明るみ始めるなぁ

うちの古民家はカーテンなるものがないんで
陽が昇ると眩しくて目が覚めるんすよ

今日は昼間と夜と来客なのに
こんな寝不足でいーんか

ま、いっか

来客中でも
眠くなったら寝るワタシ

昨日は鍋蓋の取っ手がもう古くて
ネジがバカになって取れてしまったので、修理した

写真が修理後

相変わらずやることが雑ですけど
でも、こーゆーの楽しいよなぁ

生きてて良かった!って思うよな

思わねーか、笑

なんて書いてるうちに
違和感の事など忘れ去るわけですな

でもね
本当に必要なことは繰り返し繰り返し
何度でも目の前に現れてくれる

だから細部には余り拘らん方がいいよ
細部に拘ってると疲れるし
疲れる割に本質は見逃しとることが多いよ

ただ、見逃すときのコツがあってですね
それは綺麗サッパリ、潔く見逃すこと

てことはですよ
なぜ綺麗サッパリ見逃せるかってことになるわけで

それはなぜでしょう?

今日は書くのがめんどくさいんで
答えは自分で考えてください

四時だ
も少し寝よ
おやすみなさい

あーー!
明るくなって来てる
なんてこったい

でも
こんなこと出来るんだから
幸せだよね〜

ビジネスマン時代では考えられん
仕事でこの時間になることはあったけどね〜

頭の回転が勝負なんで
兎に角5分でも長く寝なきゃって
そんな強迫観念がいつものしかかっとった

睡眠時間は平均4時間やったね
たまに日曜休めると
一日中寝てたなぁ

そうじゃなきゃ
生きとられんかったもんな

ほんとよく頑張ったなぁ、俺

なんて書いてるうちに完全に夜が明け
鳥たちがさえずり始めてしもたやないかい

今日はゴミの日
ゴミ出ししてこよーっと



  
Posted by 放浪太郎 at 20:15Comments(0)

2015年06月15日

一銭にもならん

一銭にもならん

俺は一銭にもならんよなことに
時間を多く費やす

なんでか

好きなこと(自分に意味があること)しかせんから

お金はエネルギーのひとつ
ほんのひとつ

お金は大事やけど
大事なもんはお金じゃない

人間はお金で命を維持してるのか?
維持はしとるかもな

じゃ命を生きてるか?
死に体(しにたい)って思って
または無意識のうちに死に体となって生きてないか?

命を生きてなんぼの人間やろ
死に体で長らえてなんの意味がある

あんたは単なる生命維持装置か

命使えば
生きるのに必要なエネルギーはちゃんと巡る

俺はそれだけで生きている
しかも豊かに生きている

少しくらい
ひとのお役にも立てとる

大地に支えられ
ひとつひとつの足取りを確かめながら
熱い血を感じながら生きている

それで良し
それがいい

3年前までは
立派な肩書きがあった
年収は1000万円を悠に超えとった

しかし自分の時間は無かった
休みは月に1日とか2ヶ月に1日

湯船に浸かっているときも仕事のことが頭から離れず
夢の中でも仕事をしていた

そんな日々を過ごしていた48歳のとき
突然の高熱と身体中の激痛が起こり死にかけた
3ヶ月療養した

その後身体慣らしに短時間出勤をしていたんやけど
今度は耳鳴りと眩暈が酷く会社の産業医に診て貰った

燃え尽き症候群かも知れないので精神科に行くようにと言われた
(後で調べてみたらそんな病名の病気は存在しないらしい)

確かに燃え尽き感はあるなと思った
でもそれは病気ではなく、人間として当たり前の反射なのではないかと思った
病気じゃないやろと

言われた通り精神科には行った
精神病ではないと言われた

そんな暮らしをしていたのだから当たり前
心身を休めてあげてと言われた

他にも色んな会話をした
とてもいい医者だった

彼女(女医さん)との会話は
この暮らしに入るきっかけのひとつになった
とても感謝している

彼女は医者である前に
素晴らしい人間だった

今の俺には肩書きもないし(いらねーし、笑)
収入も潤沢にはない

しかし自分を生きられる時間はある
自分を活かせる時間と環境がある

そしてそれは
安定した暮らしとは真逆にある

安定しないことは悪いことではない
むしろ安定を求める意識は人間を脆弱化させる

安定しないことを許せる自分が起こす冒険が
人間力を育んでくれる

そして起こるものが、変容

個人の変容は
社会の変容を起こす

社会を嘆いて何になる
嘆く暇があったら冒険しろ

社会の変容を
自らいざなえ

社会に仕えるな
仕えるのは所詮甘えや

仕えるから
使われるんやな

使われたくなければ
仕事なんかやめて
志事しよな

自分を活かし
自分を生かそな
自分を生輝よう ◎



  
Posted by 放浪太郎 at 21:40Comments(2)

2015年06月14日

バランス感覚

バランス感覚

ってよく言うやん
それってなんのバランスなん?

エネルギー的には陰と陽やろけどな
もっと生身の人間的にわかりたいわな

例えば右脳と左脳

近代社会は左脳肥大やな
なんでも理解したがる癖
測りたがる癖

そんなもんに心の豊かさはないな

左脳的思考はそれはそれで大事
アウトプットするんが左脳て思うんよな

てことはインプットせないかんやろ
それが右脳って思うんよな

アーティストってのは
そのインプットとアウトプットができるひとたち

外への出し方は様々
陶芸やったり
絵画やったり
写真やったり
音楽やったり

俺はたまたま写真と音楽になんか波長が合っとっただけやろ
だからどっちで表現しても出てく意識(エネルギー)は同じなんよな

右脳でキャッチするもんが同じひとたちとよく出逢ったり仲良くなったりするのは当たり前
不思議な出逢いたくさんあるけどな

俺みたいに48歳までバリバリのビジネスマンやったのが
その道を極めたひとたちと出逢い仲良くなるのはほんと不思議やし有難いけど
有るんよな現実にたくさん

俺の右脳は24歳まで長崎で育まれた
それこそアホなくらいに海山川で遊びまくって育んでもろた

その後の24年間は左脳鍛えまくった
所謂ロジカルシンキング

苦しかったけど有り難かったよな

長崎の24年間は楽しいだけやったけど、でもかなり怪我とかしたしな
無謀なことたくさんやった分、身体で学んだことたくさんある

そんな右脳と左脳のバランス
どちらもたまたま24年間づつ、しかも半端なく突っ走った

そして48からのの3年間で
やっとパランスとれて来た感じするんよな

今年52歳になるけどその年齢に見られんのは
そんな経験の上にある今やからかも知れん

元々めっちゃ童顔で女の子みたいと言われ続け
ハタチ前後はジャニーズ系と言われ
そんなこと今は誰も信じてくれんけど(笑)
そーだったんですよ、ほんとに

そう言われるのが嫌で嫌で
男に拘った時期が長かったのは事実で
その反動ってゆーか、そのおかげっつーか
そんなんで今があんねんな

生き様はちゃんと現れるな

その善し悪しはどーでもいいて思うねん
生きたかどうかが大事やて思うねん

もしな、今そんなことに共鳴できるなら、今から変わればいーな
共鳴できんなら、変わらんならいーな

好きにすればいい
好きにするってのは、好き勝手とは違うよ
自分らしさを大事にするってことやけんな

好きにやってもし辛いことが起こるなら
それは自分らしさが未熟ってことやな

でもそうやって初めて氣がつけるもんやろ
あいたた、、 って
(今まで痛いことだらけでした)

氣がつくからこそ自分の磨き方がわかるんよな
それを隠して誤魔化して綺麗事で生きて取り繕って、あー、めんどくさ
挙句の果てに磨かれん
くだらんな

俺は面倒くさいことが嫌いなんです
幸いにも

だから面倒くさいことはせんのです

例えば10日間のレコーディングや
何十時間もかけてやったジャケットのデザイン

これはひとによっては物凄く面倒くさいことやろ
でも俺にとっては楽しいことやん

だから、めちゃめちゃ集中できるんよな
未熟さはあれど、今の全ては出せるよな

何が完璧かなんてわからん
死ぬまで一生未熟ですよ

そーゆーもんだと思いますよ
ひと夫々の人生ってやつは

左脳ばっかでアウトプット
右脳のインプットがなけりゃ
そりゃ出てくもんはスカスカやろ

言っとることはごもっともでも
なーんか響かんなぁってのは
そーゆーことなんやないすか

政治家とか偉い人たちに多いやつやな
そうでない偉いひともおるけどな

俺は響こうが響くまいが
俺を生きることしかせんから、それでいーねん

今んとこな

先のことは知りませんよ
そんときゃそんときの自分らしさでまた生きるさ

当ったり前やん
それを朝令暮改といいます◎
















  
Posted by 放浪太郎 at 22:14Comments(0)

2015年06月13日

短氣

短氣

ワタクシ、アホみたいに短氣でした

瞬間湯沸かし器とか
特攻隊長とか
ランボーとか呼ばれとりました

その短氣とは48歳まで
人生を共にして来ました

いゃぁ、辛かったな
自分で自分を傷つけ
ひとまでをも傷つけ

ほんとうにごめんなさい
あなた

ごめんなさい
自分

なんであんな短氣やったんかな
弱かったからやろな

男はこうでなきゃいかん
とか

これが正しいんだ
とか

そこが全てやった
めちゃめちゃ突っ張っとった

ひとにも
自分にも

視野が狭かったんやな
器が小さかったんやな

コンクリートは強い(こわい)が
脆い(もろい)
限界超えると砕けてしまう

脆さの対極の特性を
靭性(じんせい)という

しなる力やね
竹のように

コンクリートから徐々に
竹になってきたわけやけど

突っ張って生きて来たおかげで
あるひとつの道を深く突き詰められたと思う

だからこそ深く氣がつけたと思う
傷も深いけどな
致命傷スレスレ

洒落になっとらんよ
マジで

でもその深い氣づきこそが根っこや
根っこがしっかりしとらんとすぐ倒れる
しなることなんかできんわな

だから
一度は突き詰めてみることは大切

突き詰めるには
何年も何十年もかかることもあるよ

それでも
とことんやり切る
命懸けでやる

想えば
48年間でとことんやったと思えることが
いくつか在る

白黒はっきり
やるならとことん

切った張った
生きるか死ぬか

そんな極端な性格が
災いと幸をもたらしてくれましてん、笑

やり切ることが出来る自分を知ることは
自分を信頼してあげることにつながってゆく

ビジネスマンを辞めこの暮らしに入る時も
いやぁ、大丈夫っしょ
って、根拠のない自信があった

これも
自分を信頼しとったからなんやろな

基本、楽天的なんす◎

命の根が張っとるもんで

単なる楽しさを追い求めているだけではひとは成長せん
こないだの忍耐の話しにも書いたかな

成長の後に本当の喜びが訪れる

それは一喜一憂するようなものではなく
もっとしっかりと地に足が着いたもの

穏やかで
たおやかなもの

自立と独りよがりを勘違いしとるのがおる
アホか

俺もかなりアホやったからな
アホのことはようわかる

痛い想い、辛い想い、たくさんして
やっと人間らしくなって来たよな氣がする

よく考えて
でも考え過ぎずやってみて
感じてなんぼのニンゲン

頭でっかちのお勉強やスピリチュアルだけでは、人間にはならん

体当たりして生きろ

正しいとか
正しくないとか

あのひとがどうだとか
このひとがどうだとか

わたしはこうだとか
我が国はこうだとか

そんなこたぁどーでもいーから
体当たりして生きろ


短氣の片鱗が今尚見え隠れ

大きなお世話やったかもな
スマンな





  
Posted by 放浪太郎 at 18:59Comments(0)

2015年06月11日

帰命 (KIMYOU)

10日間に亘るレコーディングの末
完成した New Album

帰命 (KIMYOU)

そのジャケットデザインが完了し
先日CDプレスと共にジャケ発注完了

ジャケットの表紙にしたのは
茂ちゃん(手塚茂仁)が描いた点描画と
由貴姉(土屋由貴)の書です

どうもありがとう

この原画は以前購入したもので
神棚の間に祀ってあります

この絵の中に俺が見ているもの
それは人間の存在の意味と位置

人間の存在とは
天空(宇宙)と大地(地球)に
エネルギー(意識)を通す装置だと思っています

四次元と二次元を接続する装置ね

振動学的に言うと
周波数が大きく異なるもの同士は共振共鳴を起こしません

次元が異なるということは
振動数の累乗レベルでのオーダーが異なるということです

従って一番共鳴を起こしやすい次元は隣同士ということになります

つまり二次元と三次元は共振共鳴し易く
三次元と四次元も共鳴し易く
一方で二次元と四次元は共鳴し難いということです

二と四を繋ぐ三
そこに我々は存在しています

そこに意味があるからでしょう
そのつなぎが神仏習合に見られると思っています

どういうことかというと、感謝と祈りです
これは何故、廃仏毀釈の必要があったかという
裏返しでもあります

ご先祖様(仏)への感謝
この意識は大地への感謝と同質のものです
そして神への祈り

この意識が天空(宇宙)を繋ぎます
どちらか一方では繋がりません

パイプは両端が開いて貫通
人間も同じだと思います

上だけが開けば(祈るだけの状態)流せずに淀みます
これは苦しみとなります

下が開いてこその
つまりご先祖様や大地への感謝があってこその祈り
グラウンディングとはまさにこのことだと感じています

地に足がついた生き方が先、祈りは後
その象りを茂ちゃんの点描画の中に見ました

ちなみにこの絵のタイトルは「浄化」です
イメージぴったりですね

浄化装置としての人間の意味と位置
しかし我々はむしろ
その真逆をやって来てしまったところもあります

大地を削り、木をなぎ倒し
川を堰き止め、ゴミを捨ててゆく

今という時代は
とても氣付きが訪れやすい時だと思っています

わかりやすい政治
わかりやすい経営

それらの不自然さに氣が付いて
人間の意味と位置を知り
命に帰るとき

そのような思いで制作した「帰命」です
全ての楽曲と歌がそこに向かっています

不自然とは
自らの然にあら不
ミズカラノサニアラズ

本来の自分の道にないとき
不自然さを感じるのではないかな

佳きレコーディングができたこと
そこまでの導きの全てに感謝しています

thanks to
宮下 Jody 天空 & all my friends

感謝、合掌


























  
Posted by 放浪太郎 at 20:39Comments(0)

2015年06月10日

あなたの人生の目的は何ですか?

What is the purpose of your life?
あなたの人生の目的は何ですか?

ビジネスマン時代
33日間に亘るマネジメントから経営に関するコーチング(研修)を受けた

先生は熟年のアメリカ人
アメリカの大統領や日本の総理大臣もコーチングしてきたようなひと

presentation, negotiation, debate, finance などなど
月一回金土日、二泊三日泊まり込みの延べ十一ヶ月間
全て英語でのコーチング合宿

この中で俺にとって最も深い学びとなったのが
冒頭の問いだった

幹部候補部課長12名がそのコーチングの第1期生として選抜され
俺はその中にいた

十人十色の回答があった

社長になるのが目的
収益を上げるのが目的
家族を幸せにするのが目的
など

15分回答を考える時間が与えられ
多くの部課長がギリギリまで考えていたようだった

俺の答えは5秒で固まった
その答えは

I would like to die with no regret.
悔いなく死にたい、だった

何か問題にぶち当たり悩むとき
この人生の目的に対してその問題を照らし
本当にその問題が重要なのかを冷静に観察する

そうすると大抵の問題と思っていたものが
実は大した問題ではないことに氣がつく、というものだった

この研修には膨大な費用がかかっているが
今後を担う人財育成への先行投資として会社が負担していた

そして皮肉なことに研修から4年後の48歳のとき
自分へこの問いかけがあったおかげで、会社を退職することを決意した

そう
俺が悔いなく死ぬためには
会社に尽くしているだけではダメだと氣がついたのと
会社で出来ることは24年間でやり尽くせたと思えたから
(そして過労で死にかけた)

そしてこの人生の目的はこの7年間変わらぬままだった
変わらないだろうと思っていた

常にこの問いに問題を照らしては様々な選択をしてきたが
その目的が先日不意に変容した

その不意に生まれた人生の目的は
「周りのひとたちが悲しまないように死ぬ」だ

つまり、俺が死んだとき
周りのひとたちが悲しまないでいいような生き方をするということ

何れにしても目的はまた、死だった

死に方に意識を向けることは
生き方に意識を向けることと同じ

しかし
生にフォーカスするとエゴが生まれやすく
死にフォーカスすると謙虚になれる氣がする

あらゆるネガディブな感情の根底には
死への恐れが隠れている

死とどう向き合うか
大切な事だと思う

あなたの人生の目的はなんですか?

その答えには正解も間違いもない
今の自分のど真ん中を問うてみるといい

俺はどの瞬間にどのように死のうと
悔いがない生き方をしようとしてきた

それが俺の全ての選択の基準にあった
今ここで死んでも悔いはないと思う

実際その瞬間が来てみないとその答えは分からないけど
多分大丈夫だと思う

死ぬ瞬間のことをよくシミュレーションする
これを日々やっていると今を真剣に生きるようになる

そうすると
生と死の境目がどんどん小さな時間の中(今)に押し込まれてゆく

そしてその境目は本当はないのではないかというくらいに
微小な空間に感じるようになっている

真剣に生きるとは何だろう

それは
自分らしく生きること

自分らしく生きれば
自分が喜ぶ
そんな自分になること

自分らしく生き
自分が喜べば
周りのひとたちも喜んでくれる
そんな自分になること

そんな永遠に収束しない
豊かなサイクルに生きることが出来たなら

肉体は死んでも
人々の記憶の中で生き続けるだろう

そしたら人々はその死を
受け入れ易いような氣がする

そう
死は己に訪れるものではなく
自分以外の人々に経験として訪れるものかもしれない

What is the purpose of your life?







  
Posted by 放浪太郎 at 12:43Comments(0)

2015年06月09日

12歳の誕生日

12歳の誕生日

親父が12歳の誕生日に手紙を書いてくれた
そんなことは彼の77年間の人生の中で一度きりだった

そこに書いてあったのはこんなものだった

自分がやりたいようにやればいい
そしてその責任は自分でとればいい
頑張れ12歳
おめでとう

この手紙を読んだ12歳の俺は
開放感と同時に恐れを感じた

躾に厳しかったおふくろ
事細かに躾られて育ち
友だちと比べると自由が少なく息苦しく感じてた

そこからのえも云われぬ開放感やった訳やけど
同時に訪れた恐れに自分でも驚いた

あれが自由の本当の意味を体感した瞬間やった

一方で細やかに躾られたことも今に生きている
おふくろも今は亡きひとやけど、感謝しとる

自由を恐れるひとの中で、その恐れが自分に向かわず
自由人を攻撃することに転化させるひとも結構いる

親は子に対してこれをやっとることが多いかもな
自由とは
自らの由
ミズカラノヨシ(神様みたい、笑)
やからな

子どもはミズカラノヨシをよう知ってますよ
信頼してあげましょね

映画 Easy Rider が描いたテーマは自由とアメリカ
自由に生きたヒッピーバイカーが
自由を妬む田舎のオッサンにショットガンで撃たれて死ぬシーンで終わる

何故アメリカは自由の国を謳う必要があったのか
それは不自由な国だからやろ

何故不自由なのか
支配したいからやな

正義をふりかざし支配してゆく
幼稚やな

それに比べ自由は美しく
成熟しつつある魂が必要

自分の不自由を感じたとき
何故不自由なのかをよく観察してみるといい

最初に思いあたるのは
大方何かに束縛されているような環境じゃないかと思う

では次に、何故その環境を自分が選んでいるのか観察してみよう
そこに本質的な答えの糸口が見えて来るから

自分で選んでなんかないと思うならそれはそれでいい
自分が選択していることに氣がつけるまで
同じようなdilemmaの経験を繰り返すだけだろう

自分の歩む道を自分の自由意志で選んだとき
本来の自分の人生が開き始める

様々な理由付けをして自由意志とは違う選択をすれば
様々な困難に出逢うこととなる
(それがひとからの押し付けであったとしても
それを最終的に選んだのは自分であることに氣づくことはとても大切)

しかしそれも悪いことではない
あくまでも自分の選択が自分に経験をさせている単なる出来事

その経験が自由意志で選択を出来る自分を育んでくれると思う

しかしなかなかそこに辿りつけんケースが多いのもまた事実
それは社会全体の意識が未熟だから

個人と社会は精妙にしかも瞬間的に創造されていると感じる
集合的な意識ってのは存在しとるって感じるんよね

個人の変容は即座に社会の変容にも影響する
では、どう個人が変容するのか

日本にはまさに今、変容を経験しているひとが多く存在しとる
旅の出逢いから、その起こりの多さと加速感を現実として知った

そして不思議なことに
変容に入るか入らないかの瀬戸際にいるひとに出逢うことがとても多い

そのひとの状態にもよるけれど
本当に最後の一歩まで来ているひとの場合は
後ろから蹴飛ばして崖から突き落としてやる、笑

それをしなくても、自分から飛び込むひとも多いけどな
まさにタイミングなんやと思う

そしてまた変容の動機や道筋も様々
変容のテクニックを学ぶ前にやること

それは
自分の変容を許すことを本氣で腹の底から決心(選択)すること

本当にそれが出来れば変容は直ちに起こり始めます
どのようなテクニックで変容するか探す必要もない

今の自分に必要なプロセスが目の前に次から次に現れて来る
その現れたものを掴むかどうか
また自分の選択が起こる

この選択(今を生きる)の連続が人生そのものとなり
あとは只結果が起こるだけ

委ねる生き方
たゆたう生き方やね

委ねられる自分になるということですよ

時の流れに身を任せ〜♪
ってのとはちと違います、笑

自分を自分に委ねるのです

この話は自分に起こった現実です
自分でも当初は不思議だった

この意識変化の根底にあったものと自分に起こり続けたミラクルを
セミナー「たゆたいむ」で伝えているので、よかったら氣軽に声かけてね

これまでに全国で多くのひとに参加して貰ったけれど
それが変容のきっかけになったひとも実際に居るので、多少のお役には立てるかと











この投稿の後、たゆたいむ開催が決まりました


6/28 日曜 15:30〜18:30
@ちゃまさんち(甲州市大和町)

参加費3100円
定員5名
現在のご予約1名

ピンと来たらお氣軽に
お越しください

  
Posted by 放浪太郎 at 19:06Comments(0)