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2018年09月22日

身体と暮らし

身体と暮らし
 
 
ビジネスマンだった35歳の頃、俺は重度の椎間板ヘルニアを患った。

きっかけが何であったかはいくつか思い当たるが、それはいずれも学生時代の度の過ぎたる肉体酷使だった。海山と激しく身体を使い、またアルバイトと言えば重労働ばかりを好んでやっていた。そのアルバイトのひとつで、重たいものを繰り返し何百も大きなトラックに積み込んでいる時にそれは来た。腰の激痛だった。すぐにしびれも来た。しかし当時の俺は肉体的には強靭であり、その痛みも筋肉が支え大事には至らなかった。

それがビジネスマンとなり、朝から晩まで椅子に座って仕事をしている。筋力の低下、精悍だった身体つきはいわゆる中年のそれに向かい始め、精神的な重荷ももしかかり、腰が爆発した。椎間板ヘルニアの発症だった。

一歩も歩けない、足を3cm出すことすらできない。病院や整体院などのお世話になった。それから何年間かは、季節の変わり目になると数日歩けない日々があった。その数日以外であっても腰には常に痛みがあり、足の太腿から足首にかけての外側線は常に痺れがあり硬直していた。

それは会社を退職する48歳の時もまだ続いていた。当時の俺は小走りすることも出来なかった。小走りするだけで腰が酷く痛む。スポーツ万能と言われ続けた自分にとってそれは思いの外辛い事だった。
 
 
 
会社を辞め放浪の旅を始めた。そして間も無く音楽が仕事になった。全国あちらこちらでLIVEをやって欲しいと声をかけて貰えるようになったのだった。アンプ、ミキサーから楽器まで車に積んで自前でPAも演奏もやるスタイルとなった。しかしその機材搬入と搬出は当時の俺にとっては腰の痛みを伴った。狭い階段を2階、3階まで何往復もして運ぶことも珍しくない。しかしそれは俺にとってはかけがえのない仕事だ。痛みを堪え笑顔で頑張った。

一方山梨の古民家暮らしも始まり、草刈りや薪造り、土造りから始めた畑など、重労働ばかりだった。しかしそんな暮らしが充実して楽しかった。只、痛みは常に共にあった。
 
 
 
そんな暮らしが何年も続き、50歳を過ぎ何年か経った頃。犬の散歩で近所のグラウンドに入り、犬と走った。なんと全力で走ることができた。多少の痛みはあるが全力で走られたその時、腰を患ってから20年が過ぎようとしていた。

思いがけず目から涙がボロボロこぼれた。

そうか。俺は走ることができないということにこれほど悲しみや悔しさを長年自分の中に抑え込み、時が経つにつれ抑え込んでいることすら気がつけなくなっていたのか。ということに、この時初めて気がついた。自分に可哀想なことをしてしまったと思った。

これからは、もっと自分に優しく、素直に暮らそうと思った。
 
 
 
そんな矢先、修験道に出逢う。

修験道って何だろう?修行って何をするんだろう?50歳になっても色んな事への興味が尽きない、すぐにワクワクしてしまうこの性分。たまたま東京の高尾山で1日の修行体験ができるというので、それに参加してみることにした。星野先達との出逢いだった。

山を歩き始める。最初は延々と登りが続く。15分ほど歩いた頃、これはやばいと思った。息は苦しいし、足が上がらない。腰も重たい。しかし尾根伝いの道に出て山と己が混ざり始めた頃、少し楽になってきた。

結局、7、8時間歩いた。最後は高尾山の頂上から一気にこの日初の舗装路で里へ降る。この時膝に激痛が走った。やばい。直感的にそう感じた。激痛と共になんとか山を降りたが、腰の痛みと膝の痛みで駅の階段の昇り降りも手すりにつかまってやっとだ。24年間のビジネスマンの暮らしの中で、身体をこんなに駄目にしてしまった。情けなかった
 
 
 
結局この、年に一度の高尾山の修行体験に3年続けて参加した。しかし3年目もまだ膝の激痛と腰の痺れを克服することは無かった。

そんな中、ひょんなご縁から東京で星野先達と『魂振りナイト』という大きなイベントに出演することとなった。先達は御神事とトーク、俺は演奏で出演した。その他に、既にこの時親交のあった岡野弘幹氏、國友悠一朗氏も出演。そしてハワイ島のシャマンであるクムエフラニとの出逢いもここだった(このご縁でエフラニとは一昨年、昨年と、ハワイ島で儀式を催行することになる)

そしてこの時先達から「ちゃま、うちの神社に奉納演奏に来てくれよ」と言われる。そして数ヶ月後、山形の出羽三山神社へ奉納へ出向く。無事奉納も終わり、先達の宿坊である大聖坊に泊めて頂いた翌朝。縁側で先達とのんびり過ごしていた時、「ちゃま、お前山伏になれよ。山伏になったら人生かわるぞ」と言われた。そしてその翌年、山伏行「秋の峰」を満行し山伏となった。
 
 
 
しかし、この行に入る時点でも膝と腰には大きな不安があった。高尾山の1日修行体験ですらあの状態なのに、1週間に及ぶ過酷な行に耐えうる身体ではないと思った。しかし先達の言葉に背中を押され行に入り、無事満行することが出来た。

それからは自分ひとりで地元の山を行場と見立て、行を積んできた。旅も続いていたので、先々で山に入っては祈った。

今もまだ膝と腰には少し痛みがあるが、当時からすればほぼ健常な身体に戻った。あれから7年歳をとり今年55歳になるが、身体は当時より内臓器官含め若返った。
 
 
 
健常な心身は、暮らしが整えてくれるものだと今は知っている。

健康だけを取り出して何かをするのは不自然。

自分らしく手足身体を使って暮らしていれば、健常でいられるもの。

寿命が来るまで、そう暮らし続けようと思っている。
 
 
 
椎間板ヘルニアは完治には至っていないが、人より身体は動く。

これと向き合いながら暮らすことで、また色んな気づきが訪れることだろうと思う。

心身の不調はとり省くものではなく、気づきの種。

自分で蒔いた種をちゃんと育て、摘み取ってゆけたらいいなと思う。

ここ華宮夜海風での暮らしは、その実践道場でもある。
 
 
 
山伏の世界には「山の行より里の行」という言葉がある。

ここはまさに里の行場。
 
自然に恵まれた素晴らしいところ。

有り難い。
 
 
 
 

 
 
 
 
 






Posted by 放浪太郎 at 11:20│Comments(0)
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