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2011年07月27日

つぶやき集

そうでないのなら、そうでないなりにやればいいだけのことなんだ。


切なさの蓋が開くときため息が落ち、水たまり


見て見ぬふりの不精髭


肌も濡らす朝露


朝の四時のひぐらしはもう居ない朝の五時


見上げれば稲光。雨ならば濡れてみせ、


今を生きずして明日はない。命はこの一瞬の屍が描く絵に過ぎず、しかしその屍を描けるものはまた、少ない。


わわわーっ、また素晴らしい本に出逢ってしまった!夢枕獏さんが書いた羊の宇宙って本。10冊くらい買ってこういうの好きなひとに強制的にプレゼントしたいっ!(笑)


空は明るみ朝蛙鳴く


行き場の無い想い、ため息になる


ふと気がつけば不精髭


小林孝一が君の中心はどこかと聞くので、今夜は中心を探しにちょっくら旅に出てみるよ。これはねぇ、なかなかいい旅になるよ。もしかしたら長旅になるかも知れない、


子供の頃、原田芳雄さんの暑苦しさが生理的に嫌いだった。自分が将来同じ側の男になるなど知る由もなく、


台風にも翻弄されまくる程度の文明なのだから、偉そうにするなよニンゲン。謙虚になりましょ、謙虚に、


大切なのは何処で過ごすかではなく、何を想い過ごすかだな。


雨に濡れしビーサンの足


ひとんちの軒下で雨宿り


雨に濡れ落ちのうぜんかずら


今日はいい日だと思う時、多くのありがとうを口にしていた事に気がついた。


3:30に起きて映画を観た。パブリック・エネミーズ。この映像はなかなかのアートですねぇ。物語も面白かった。俺もギャングになろうと思う ←思考短絡中(笑)


寒い、ビーサンの足


全ては土に、水に、還ってゆく。そして俺もまた、いつかは還る。


獣害という言葉があるが、これは人間の勝手な目線なんだな。人間が自然を壊したから、獣たちは人間のものに命の危険を冒してまで手を出さねばならぬようになってしまった。被害者は獣たちの方だと俺は思う。でも今生きていくことを人間も考えた場合、その獣たちの命を最後までキチンと頂くことは、悪いことではないだろう。


どうして七夕は晴れが少ないんだろう。雲の上は晴れてるから、ま、いっか(笑)


久々おやじが夢に出てきた。あの寡黙だったおやじが、やけに嬉しそうだった。そして俺は、長崎の実家にいたのだ。


朝はどーも涙もろくてイカン。zipのレディガガのコメントを聞いていてうるうる、、、


ひとり森の中で眠る贅沢をありがとう。


急ぐことの価値がない暮らしを只今デザイン中なのです。タイム・イズ・マネーじゃない暮らしね。しかしながら、タイム・フライズ・ライク・あん ・アローには違いない。光淫矢の如し。← 淫がちがうだろ、淫が、


しなやかな春が目の前にあります。どっしりと構えた山も、朝陽を浴びざわめき始めました。みなさん、おはようございます。


グラスの底に顔があってもいいじゃないか。by たろーおかもと


昨日はどっぷり疲労していたけれど、ぐっすり眠って目が覚めたら、元気な朝が来た。風はしっとりと冷たくて気持ちいい。山に向かい登り、朝陽を浴びて来よう。


俺は20代の若者の頃子供が好きだなんて思っていたけれど、それは勘違いだった。俺は子供が好きなのではなく、子供のような自分が好きなのであった。そして、今も尚、


素敵な写真を撮るひとの文章を読むと、映像が目に見えて来ます。しかもそれは写真と同じように、見た目以外のものも写し出しています。写真側から文章へ向かうのか、文章側から写真へ向かうのか。それは、同じようで違うのか、違うようで同じなのか知りたくなりました。


モラルの低下、それは無知から来るもの。モラルを治すのは大変に思えるけれど、無知を治すのは難しくはない。無知にならないよう、自分も気をつけよーっと。


草の上に寝転んで、司馬遼太郎の『人間というもの』を読んでいる、いや読もうとしといる。蟻んこが身体中によじ登って来て、本なんか読んでらんない、カッコ悪ぅ(笑)


悲しみ深く見る花の美しきかな


日常は時が刻まれ、野営では時が流れる、そんな感じがします。


そぼ降る雨の中、鳥たちの朝のさえずりが聞こえ始めた。おやすみ、


自然を深呼吸する暮らしがここにある。豊かさとは・・・、それを追い求めるために俺の人生があるのだ。


雨の子守唄がきこえる、、、おやすみなさい。


死とは多くのエネルギーをまき散らすものだとつくづく思う。


大切なのは知ることではなく、 感じられる自分でいられるか、 そこに根っこが生えているんです。


このところ、種田山頭火の言葉に触れている。読み手自身の感受性と胆識が鍛え上げられねば、あの削ぎ落とされた文章を読み砕くことが出来ない。丸呑みしても味はなく、わが身の寂しさを覚えるばかり。そのような中不意に落ちてきた言葉を、後ほどつぶやこうか、


句読点。読点をじっと見つめる今日このごろ、


とりこぼすくらいの丁度よさ、


目覚めを葛藤の始まりにすることなかれ、おっはよ〜


葛藤のない朝一日目は、鳥たちのさえずりとつんとした風


ふと目が覚めたらまあるい月に夜風


写真は撮る側のものではなく、見る側のものなんだな、


雨音と雨風を浴びる夜


期待しない、求めない、依存しない。大事にしているみっつのない。


写真と言葉の接点を探す旅に出ました


今どうあるかより、これからどうありたいか、だな。


言葉遊びほど贅沢な創造はない


雨は降っても晴れる


いいひとって何、わからない


無駄や矛盾がある方が人間らしい。俺、とっても人間らしい


自然と一体になるためのファインダー


素通りしていた景色も、こころを込めカメラで切り取れば芸術に変わる。芸術なんてもなぁ、その辺に転がってんだよ


自然と名のつくあらゆるものに生かされていることに感謝をしながら生きる。そのしなやかさと強さ、それが豊かさなのだと思う。


写真は、気付きだ。


存在感って重力に似ているなぁ


朝四時、もう鳥達が元気にさえずってた。地球は今日も元気みたいです。


見せないなら徹底して見せずに魅せる。見せるなら徹底して見せて魅せる。ほどよく見せて魅せる。魅せ方のさまざま、


厚き雲の向こうを仰ぎ見て想う月の食


夜が終わりかけている。朝を待つ空の色は、いつも悲しい色をしている。だから、好き。


今夜は一段と風が冷たくて気持ちいい。この風は森の雨で濡れた木の葉の間を吹き抜けて来たのかな。森の匂いがする。あ、止んでいたのに、雨音がまた聞こえてきた。何だか幸せいっぱいな夜だなぁ。


おー、流石にこの睡眠時間だと眠いな。だけど空気はしとやかに冷たいし、小鳥たちはピーチクパーチクさえずっているし、いい朝だ。おはよ!


今、気持ちが満ちている。所謂、弾き語りってやつに。樹々が春の陽射しを感じると新緑の葉を生吹かせるようなそんな感覚で、今のこの気持ちを優しく受け止めている。


春の雨に濡れた色彩が、雨雲を通りぬけた春の陽射しを受け、しとやかに香っていました。晴れた日には晴れた日の、雨の日には雨の日の幸せが落ちているから、それらを拾い集めてみました。そんな写真を後ほど掲載いたします。


そういえば子供の頃、ビー玉を片目で覗いて、その中の宇宙を見るのが好きだったなぁ。


俺はいつも、自分のこころの隙間を見て生きてんのかなぁ。


突風が吹き荒れ雨に洗われた盆地に、美しい朝が来た。


光は影によってより輝きを増すのだな。


つんとした夜風がここち酔い。


今この時の宇宙を見られないことを残念がるのか?一万光年も昔の宇宙を見られるなんて、スゲーじゃねーか、なぁ。俺、そのために天体望遠鏡を買ったぜ。(笑)


つんと冷たい風が窓から流れ込んでいる。空は明るみを取り戻そうと背伸びをしている。もうすぐ小鳥たちのさえずりが始まるなと耳を澄ませていたら、いきなりおびただしい数のカラスが鳴き始めた。ぎゃ~ぎゃ~ウルセェんだよ、バーロー。


バーローガラスが去って行くと同時に、小鳥たちのさえずりが始まった、一羽、二羽、二十羽と。ほんの十秒ほどで世界が変わるこの瞬間に朝は生まれるのだ。それに比べると、夜の訪れを捕まえることは難しいが、いつの日か捕まえてみよう。


ロイヤルウェディングのウェストミンスター寺院、昔ひとりで行った。地図すら持たず人に道を聞きながら、いちにちロンドンを歩き回った。ビッグベンの鐘の音を聴きたくて、それだけのためにロンドンに行ったのだ。


綺麗な夕焼け空は、今日限りの空。限りあるものだけが秘める美しさがそこにある。


今朝も窓を開けたまま、朝が来る瞬間を待っている。朝はいつも美しいのに、ひとつとして同じ朝はない。


夜が流れゆき朝が来て、夜がしのび寄り夜が来る。朝がしのび寄り朝は来ず、昼が流れゆき夜が来るのでもない。夜にはある種の魔法があるようだ、なぁ。


何故そんなに生き急ぐのかとよく云われる。「へぇ~、俺は生き急いでいるのかぁ」とその時に知る。


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その時その時に感じたことと、それらを紡いだ時に感じることは、
必ずしも同じとは限らない。

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Posted by 放浪太郎 at 17:36│Comments(0)
 
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