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2012年04月08日

プラトン







哲学に明るいわけではないが、プラトンは好きだ

そして友達のとっこちゃんはプラトンの愛人らしい(笑)

ちなみにプラトンは2,400年前を生きたひとだ

日本だと縄文末期に近い、そういう時



今自分が描き歩いている暮らしはプラトンの哲学を知る前に描かれたが

今プラトンを学ぶとそれはひとつの面の上にあることを知る

これはまるで神話がそうであるように重なりを見せ、背中を押してくれるものだ

ありがたい



プラトンはこう思考する

■ 見えることと存在することは必ずしも合致しない

■ 理性が捉えた物事の本質「イデア」が存在する

■ 現実世界の背後に存在する「イデア界」が本質・真理 (現代で云うシンクロニシティがこれにあたるのかな)

■ 人間は現状に満足することなく、常に高い理想を描き、向上を目指すことが大切

■ そのために牢獄である肉体を解き放ち、エロス(より高いものを求める衝動)によりイデアを求める

■ それにはキチンとした国家社会が必要で、そのためには善のイデアが何たるかを知る哲学者が支配層になるべき(哲人政治)



同じことは、プレアデス系龍蛇族、その末えいである出雲系の国津神も云っているところだ

何度勉強しても伊勢系(天津神)が血に沁みてこないのは何故だろう

どうしても権力を感じて仕方なく違和感がぬぐえない

赦しの神と日本書記、古事記では云われるがしっくりこない

それは自分の無知のせいかも知れないが今のところそうだから仕方ない

そして天津系末えいである日本武尊は赦しにてこの国を治め民に平穏をもたらした、感じ入るものがある

これら違和感につき語る時、古事記、日本書記、ひいては秀真伝に話は広がりたいがメンドクサイのでやめる

何が事実か、真実か、そんなこたぁ最終的にはどっちでもよい

俺が選択し、歩くのだ

すめら尊としての使命を果たすことが自分の信念と重なるから、それで良いのだ



はい、よく判らない話を書いてみました ^^;



こういうことはどこかで繋がっていて

それが事実かどーかなんてこたぁ大した問題じゃない

結局は自分が何を信じ、何をするか、だ

ニンゲンの人生なんてもなぁ、そんなもんだ



Chama♪の数字は 19 と 260

並々ならぬ使命を感じるわけです

判るひとにはとても判るお話








photo by Chama-works
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Posted by 放浪太郎 at 08:16│Comments(2)
この記事へのコメント
知識の無い私には良く解りませんが、宗教的ニュアンスを感じると何かうさんくささを感じます(笑)。ヨーロッパ(行った事はイタリアしか無いけど)の文化や哲学を感じる部分は、例えば石畳だったり建造物だったり、何千年も前の物が目の前にバーンと見せつけられると、これはやはり説得力として強力に感じ、何かわからないけど強い力が無いとこんな文化は出来ないなぁ、と感じます。
一方日本にはそんな強力な文化または哲学を肌で感じる物は(自分で見た範囲では)もちろんあるんだけど少なく、自然や環境はすごいパワーを持っているのに、島国特有のおおらかさなのか、もっと(良い意味で)ユルく感じます。上記同様で建物や構造物は木と紙の文化のせいか、現存していても、もっと新しく限られたものに感じます。宗教としては仏教も新しく、元々神々がまつられていたのでしょうが、その神も、至る所に、たとえば木も石も水にも神が居て我々と一緒に暮らしている。これはある意味哲学的ではあるのでしょうか?身近過ぎて敬う対象として希薄に感じるのかも知れませんが、同時に天災と言う言葉を借りれば、怒りに触れない様、まつらなければいけない対象なのだと思います。
印象としては、生き延びて行くためには相手を殺す事も仕方無い肉食な感じのヨーロッパに対し、無事に作物と少しばかりの魚があれば良いと言う感じの我が島国。もちろん殺戮の歴史はあるでしょうが、比べた場合の事です。
今現在でも日々どう生き延びるかに精一杯なのに、何千年も前にどう生きるかを考えていた事がすでに神の様に敬う対象なのかも知れません。
宗教でも哲学でも、敬う気持ちを持って接するのは大事だとわかっていますが、もっと多種多様で、自ら選択し自分だけの個々を尊重する、もちろん責任もそれだけ増える訳ですから大変な事ですが、そう言った考え方が日本ではマイノリティーなのが残念に感じます。
意味不明な長文大変失礼しました!
Posted by ROKU at 2012年04月08日 13:23
■ ROKUさん
昔USかぶれだった俺  それが欧州へ度々行くごとにその歴史から来る文化やひとの味わいに惹かれ且つそれは欧州とひとくくりにはできないほど自立した文化  しかしユーロで束ねられることも受け入れる文化  そしてそういう経験の中から再認識し好きになった日本のこころ  神話は歴史の延長であり自然の中で生かされることへの感謝  そのような巡りめくことがらをどの切り口から語るかでひとの捉え方も多様  社会トラブルの67%はミスコミュニケーションから起こるというデータもありますがそもそも自分の想いがひとに伝わらないのが当たり前で  そもそも自分が想うことが何なのかを自分で理解することすらできないのが必然で  そのような中で暮らしているのだからややこしい(笑)  神から自分の道を描いたのではなく、自分が描き歩いている道が神話や哲学と重なることを後から知ったため体にそれらが沁み亘る  未経験ゾーンなう(笑)  こちらも意味不明な長文でした(笑)
Posted by Chama♪ at 2012年04月09日 09:56
 
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