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2015年06月13日

短氣

短氣

ワタクシ、アホみたいに短氣でした

瞬間湯沸かし器とか
特攻隊長とか
ランボーとか呼ばれとりました

その短氣とは48歳まで
人生を共にして来ました

いゃぁ、辛かったな
自分で自分を傷つけ
ひとまでをも傷つけ

ほんとうにごめんなさい
あなた

ごめんなさい
自分

なんであんな短氣やったんかな
弱かったからやろな

男はこうでなきゃいかん
とか

これが正しいんだ
とか

そこが全てやった
めちゃめちゃ突っ張っとった

ひとにも
自分にも

視野が狭かったんやな
器が小さかったんやな

コンクリートは強い(こわい)が
脆い(もろい)
限界超えると砕けてしまう

脆さの対極の特性を
靭性(じんせい)という

しなる力やね
竹のように

コンクリートから徐々に
竹になってきたわけやけど

突っ張って生きて来たおかげで
あるひとつの道を深く突き詰められたと思う

だからこそ深く氣がつけたと思う
傷も深いけどな
致命傷スレスレ

洒落になっとらんよ
マジで

でもその深い氣づきこそが根っこや
根っこがしっかりしとらんとすぐ倒れる
しなることなんかできんわな

だから
一度は突き詰めてみることは大切

突き詰めるには
何年も何十年もかかることもあるよ

それでも
とことんやり切る
命懸けでやる

想えば
48年間でとことんやったと思えることが
いくつか在る

白黒はっきり
やるならとことん

切った張った
生きるか死ぬか

そんな極端な性格が
災いと幸をもたらしてくれましてん、笑

やり切ることが出来る自分を知ることは
自分を信頼してあげることにつながってゆく

ビジネスマンを辞めこの暮らしに入る時も
いやぁ、大丈夫っしょ
って、根拠のない自信があった

これも
自分を信頼しとったからなんやろな

基本、楽天的なんす◎

命の根が張っとるもんで

単なる楽しさを追い求めているだけではひとは成長せん
こないだの忍耐の話しにも書いたかな

成長の後に本当の喜びが訪れる

それは一喜一憂するようなものではなく
もっとしっかりと地に足が着いたもの

穏やかで
たおやかなもの

自立と独りよがりを勘違いしとるのがおる
アホか

俺もかなりアホやったからな
アホのことはようわかる

痛い想い、辛い想い、たくさんして
やっと人間らしくなって来たよな氣がする

よく考えて
でも考え過ぎずやってみて
感じてなんぼのニンゲン

頭でっかちのお勉強やスピリチュアルだけでは、人間にはならん

体当たりして生きろ

正しいとか
正しくないとか

あのひとがどうだとか
このひとがどうだとか

わたしはこうだとか
我が国はこうだとか

そんなこたぁどーでもいーから
体当たりして生きろ


短氣の片鱗が今尚見え隠れ

大きなお世話やったかもな
スマンな


短氣



Posted by 放浪太郎 at 18:59│Comments(0)
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