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2015年06月20日

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先日龍氣ヒーリングの伝授をした

靈氣と龍氣ふたつの師範をやっていて
この半年だけでもかなりの方に伝授をしたことになる

そしてその志事を手放せる日を目指している

ビジネスマンの頃、いくつかの組織の長を務めた
その長になったとき、真っ先に思っていたことがある

それは
その長をどれだけ早く手放せるか(違うポジションに異動するか)だった

手放すためには、自分の後継ぎを育てなくてはならない
それが大切なことだと思っていた

今俺が生きているフィールドはビジネス界でも宗教界でもない
大地の上で只ひとりの人間として生きている

ヒーリングを教えるのは容易ではない
しかし誰でもヒーリングは出来るようになる

師範はそうはいかん
一朝一夕で叶うものではない

伝授の目的はひとを癒せるようになることではない
癒されたひとになることに在る

調和の大切な種だと思っている
だから大事にしている

そもそもヒーリングなんて世界には全く興味がなかった
なのに「これはやるんだろな」と明確な直感が来た
だからやった

俺は自分の声には素直だ

自分がこうしたいと思っても
自分の声がしたくないと言えばやらない

妙に聞こえるかも知れんが
思考する自分は外を向いていることが多い

しかし不意に現れる自分が中に在る
これを自我と真我などとも言うが
その辺の定義はどっちでもいい

ただそのような存在を感じる

不意に現れる声は「えー、マジで?嘘でしょ」と
思考(普段自分で自分だと思い込んでいる自分)が捉えることも多い
それでも不意なる声にその選択を委ねる

なぜそうなったかは伝授にて時間をかけて伝えてゆくのだけれど
不意なる声に委ねた結果起こり続けていることは、統計学的には説明がつかない

それをミラクルと言うが
ミラクルは余りにも起こり続けるとミラクルではなく当たり前になる

当たり前を説明し理解して貰うのは難しいが
出来るだけそれをわかりやすく説明している
(伝授や「たゆたいむ」にて)

しかし最も説得力があるのは
理解ではなく共感だ

伝授における共感は
俺の意識変容から起こり始めたミラクルの現実や
体感から起こる

例えば俺はおでこに一円玉を二枚重ねてくっつけることができる

顔を正面に向けているのに
おでこにくっついた一枚目とその上の二枚目がくっついて落ちない

普通ではあり得ないようなことが目の前で起こると
それを目の当たりにしたひとは思考を手放し
その事実を只見るしかない

例えば
同じことを5人にやってもらう

まずひとりもつかない

ところが俺がそれをやって見せると
途端につくひどがひとりかふたり現れる

なんだろね、これは

現在の物理学において解明されている宇宙エネルギーの話やけど
全宇宙のエネルギーを100とした場合、天体などの物質が占めているのは4%
次に目には見えないが観測はされているダークマターと呼ばれるエネルギーが23%
それ以外の理解されていないものが73%ある

ひとは理解できないものを不思議と呼ぶ
つまり我々が存在する世界の多くは不思議から成っているということだ

靈氣と龍氣もその中のひとつだが
その存在を受け入れられるかどうかという意識は
右に回転していたものを左回転にするようなもの

容易ではないし
容易でもある

俺は見た目も怪しいので(笑)いぶかしがられやすいように思うが
現実はそうでもない

むしろ多くの人が心を開いてくれる

なぜか

俺自身が心を開いているからだと思う

誰に心を開いているのか
それは俺自身に

自分に心を開けなければ
人にも心は開けない

自分を信頼できなければ
人も信頼できない

自分の外側に起こることは
自分自身から始まっている

外に不満があるひとは
自分自身に不満がある

自分の不満は
自分でなんとかしろ
なんとでもなる

一円玉はくっつくと知っているから
くっつく

スプーンも曲がると想えば
想えば、想えば

想っているのに、、、曲がらん!

なぜだぁぁあああ

想うことと知ることは違うんやろな
その辺はまだようわからん

スプーンを曲げてみたいお年頃
51歳

腹減った◎

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Posted by 放浪太郎 at 20:46│Comments(0)
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