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2015年06月30日

本を読む

本を読む

俺は本を読むのが好き

子どもの頃は嫌いやったけど
はたちくらいから好きになった

本は眼で読むもんやない
耳で聴いたり
鼻で匂いかいだり
舌で味わったり
身体で感じたり
ぜーんぶ使うやろ

同じ本を読んでも
そこに見る映像はひと其々

そこに映るものは
自分が経験し味わったものが
映写されるように起こる

だから
深く味わった経験が浅いと
読書における体感も浅い
だから読書がつまらない

般若心経の中に
無眼耳鼻舌身意
ムゲンニビゼツシンイ
という節がある

これら全部使うての人間
でもそこを手放すってことやな

これを六根清浄というんやったかな

使い切るから手放せるんよ
使い切らんうちには手放せんよ
だって手の中に無いんやもん、笑

だからまずは使い切るんやな
人として

でな、ここに意ってのがあるやろ
これが意識やと思うんよな

五感プラス意識
第六感の源やな

五感を使い切り磨くから
第六感が動き始めるやないかな

五感使うには読書やお勉強だけじゃ駄目やな

身体使うて初めて働く五感
だから身体使うことは大事
口先だけにならんよにな

で、感じ切ったときやっと
それらの全てを手放せる時が来る

かも知れん

来んかも知れん

そんなん知らんよ、笑
俺は只の人間やもん

でもな
そんなふとした氣付きっつーか
まさにこれが直感なんやけど

そんなことが腑に落ちてしまうと
本当にそんなことが起こるし

それを証明するようなことが
目の前に現れるんすね

で、何の話しやったかなって思い
冒頭を読み返してみると

あ、本を読む話しやったねって思い出す

なんでこんな話に辿りついたんやろなって思うやろ
そんなん知らんよ、笑

でもこうなったってことは
なんか、なーんかあったからやろなと思うわけ

だからいつも
これを書こうと思ってから書き始めんのよな

で、長くなる、笑

伝えることを目的にしとらんのよね
この経過を自分で観察するのが楽しいんよね

そこにまた氣付きがあったりしてね
そんなんに付き合ってくれるひとたちへ

いつもありがとう◎

俺の生き方そのものが
今日の話にでとるよな

ま、そんな感じです

とりとめのないこと
とりとめのない自分を許せること
いーんじゃないすか

さて

今日は1月の修験以来
高尾山を歩きます

その後高円寺です


本を読む



Posted by 放浪太郎 at 20:04│Comments(0)
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