2017年05月13日
巡礼記 -9
挨拶
田舎道ですれ違う人たち
幼稚園から高校生くらいは
ほぼみんな挨拶をしてくれる
しかも元氣よく
ところが大人になると
同じ地域の人でも
挨拶を返してくれない人の方が多い
これには最初びっくりした
子どもたちに「挨拶をしなさい」と
教えたのは大人たちだろう
なのに、しない
この事実が何日にも亘り
色んな所で繰り返されてゆくうちに
これは山伏の装束に対する偏見なのだろうと
氣がついた
宗教に対する偏見を
日本の大人は持っていることが多いように思う
修験道は宗教ではなく、山岳信仰
細かい定義を論じるつもりはないけれど
ニュアンスの違いはわかるだろうか
偏見とは、偏った見方
差別、ジャッジと言ってもいい
正しさを主張する思考とも言える
子どもたちは素直だ
人と人として素直に挨拶をする
ある日
離任式帰りの男子たちと行き合った
15歳くらいだと思う
彼らは10人ほどで横断歩道の向こう側
その中のひとりが
うわー、なにあれ!
かっけー!
と、俺を見て騒いでいる
その男子はひとりだけ学ランではなく
黒いシャツに黒いスーツ
髪は金髪で耳には金の大きなピアス
いわゆる不良だ
彼が色んな質問をして来た
俺はひとつひとつ答えた
その中で
無一文で広島から長崎へ歩いていることも話した
彼の瞳は興味で輝いていた
挨拶を交わさない大人たちの
伏せた眼(まなこ)とは大違いだ
またある夜
やはり15歳くらいと思われる女子からも
離れた距離にも関わらず声をかけられた
このふたりも見るからにいわゆる不良だ
なんすか、その格好!
なにやってんすかー! と
また、事情を話した
そして、その男女どちらの不良たちも
最後に同じ言葉を投げ返してくれた
それは
「頑張ってください!!」
嬉しかった
「どうもありがとう」
と、笑顔で答え別れた
この不良たちに意見する大人たちが
きっと沢山いることだろう
心を開かぬ者に
素直な子どもたちが心を開くわけがない
そしてそれは子どもに限ったことではない
心開かぬ者の眼(まなこ)は
開いていない
輝いていない
モノゴトに正しさ見る大人の眼の
ジャッジというスクリーンには
善悪が映る
素直な瞳には
在りのままが映る
偏りがない
それは、20日間を
只歩き続けた俺の瞳で見たものだった
俺はこの不良たちに癒され
元氣を貰った
つづく

Posted by 放浪太郎 at 10:10│Comments(0)
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