2011年09月05日
2011年09月05日
旅立ちます (つぶやき集)
さて、午後にでも旅立とうかなって思っています。
途中長崎で、親父の七回忌とおふくろの一周忌を務めますが、今回は放浪が基調です。
暫く日記は書けないので、今日はここ暫くのつぶやき集を残して行きます。
気が向きましたら、少しづつ、少しづつ、読んで頂ければ嬉しいです。
9月中ごろ山梨に戻ります。
その後間もなく、タイ・カンボジア・ベトナムへと旅立ちます。
では、静かなこころで、秋を探しに行って来ます。
few days ago @ Sandia Cafe

<つぶやき集>
自分を説得し成功すると、納得
妥協を納得の器に入れる、度量
朝のことは朝に訊け
欲張りな急ぎ足が邪魔だなぁ
燃えつきたあとの静けさは海底の密度のよう。
撮り手のこころを映すものがカメラなんですね。
また感動のあるものを創り続けたいと思います。写真でも、音楽でも、絵でも、詩でも、何でもいいんですけどね。それらは手段であり、目的はひとのこころを震わせることにありますから。
時間・空間・物質から解放された100のインプットから、創作品としてのアウトプットがポトンってひとつ生まれ落ちてくるような、そんな暮らしをデザイン中なんです。
今日から8月、今日はいちにちかけて部屋の大掃除をする。捨てて捨てて捨てまくり、身軽になる。身軽さと自由度の間には正の相関があるのだ。
己以外の主を持たず、己以外の主を持たず、己以外の主を持たず、己以外の主を持たず、己以外の主を持たず、、、、、いやね、いい言葉を教えて頂いたので、暗記中なの。
「身の程知らず」とひとに言う人が一番の身の程を知らずだろうな。そもそも身の程なんてもなぁ、無いんだよ。
あるのは己だけ。人と比べる時点で、もう意味のない葛藤が始まるんだ。
もし身の程を知れと云えるとすればこんなんだろう。「人間どもよ、身の程を知れ」地球より。
成功か失敗か外野がわめくもんじゃねぇ。満足したか、出来なかったか、俺が知ってりゃそれでいい。
昨日の起きる時間が今日の寝る時間
自分で決めたことを破れるのは自分だけ。どんどん破るといい。
今よりもっとお年寄りを大切にすると、日本は豊かな国になるような気がします。
今俺の側に誰か居た?ブルガリブラックの香りが微かに漂っている、
文章にこころを配るんです。そうすると自分が見えて来るんです。
しまったな、今日は予定を詰め過ぎた。でもそんな中からも何か生まれてくるかな、楽しみだ。
大いなる静けさの力に出逢う
どうせなら手放そう。失うのではなく、
大事なのはタイミングだ。早けりゃいーってもんじゃねえ。時を刻まず時に呼吸を合わせ流されよう。そしたら思いがけずたどり着いたりするもんだ。
時間は測るものではない。寄り添うものだ。
長崎、誰も居ない実家に着いた、な―――――う!仏壇に手を合わせたら涙が溢れて止まらない。久々泣けたな、よかった。
ミンミン蝉鳴く長崎の朝は青空
もう眠かけんぬっけん的健全長崎生活は今日も暑かったとばい。おやすみ、
早朝、磯で潜って来た。魚は突けなかったけど、貝は沢山採れた。道具があればとこぶしも採れたのに残念。俺はやっぱ海男なんだとつくづく感じながら海底をさ迷っていた。
あ、そうか。今ふと気がついた、俺は21世紀のヒッピーなんだと、
うーん、これはやはりキャピタルに行かねばなるまい。倉敷なんざぁ近いもんだ、な、
20世紀のヒッピーと俺の違いは、ドラッグとの関わりが無いことと、長髪ではないことくらい(俺は丸坊主)だな。
ZIPに渡辺謙、目線が気持ちいい。フィジカルな目線も、こころの目線も。
自分の写真の駄目なところが見えていてブルーだったり、この先の在り方を創造してみたり、アゲサゲの日々。
行動と必然の調和、それが糸を紡いだ出逢いとなる。
渋滞@左手には飛行場右手にはビール工場なう(笑)。今日はChama♪を売りに行きます、東京に。Chama♪自身が作品なんです。
雨の新宿ぺたぺた歩くビーサンが
たくさんのひとから貰ったたくさんの勇気、使うのは今だ。
秋虫の夜風に吹かれ、火照る躰を横たえる。あぁ、なんて幸せなんだろう。
そしてもう朝の風
魂はどこにあるのか、胸と頭にひとを司るものがあり、頭は理解がしやすいが、胸にあるものは理解し難い。なぜならば目に見えないからであろう。だからこそ、胸にあるものを信じ生きたいと思う今日この頃です。真実は目に見えるとは限らない。
それがどういうモノであるかということより、そのモノをどう使いこなすかを指向する我が人生。(
夜風に吹かれる度、今日は死ぬにはいい日だと思う。
自然を知ることは、自分自身を知ることに等しい。
雨音と夜風はひとを詩人にさせる
今大事にしていること、時間と場所に囚われないこと。
ありがとう。
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途中長崎で、親父の七回忌とおふくろの一周忌を務めますが、今回は放浪が基調です。
暫く日記は書けないので、今日はここ暫くのつぶやき集を残して行きます。
気が向きましたら、少しづつ、少しづつ、読んで頂ければ嬉しいです。
9月中ごろ山梨に戻ります。
その後間もなく、タイ・カンボジア・ベトナムへと旅立ちます。
では、静かなこころで、秋を探しに行って来ます。
few days ago @ Sandia Cafe

<つぶやき集>
自分を説得し成功すると、納得
妥協を納得の器に入れる、度量
朝のことは朝に訊け
欲張りな急ぎ足が邪魔だなぁ
燃えつきたあとの静けさは海底の密度のよう。
撮り手のこころを映すものがカメラなんですね。
また感動のあるものを創り続けたいと思います。写真でも、音楽でも、絵でも、詩でも、何でもいいんですけどね。それらは手段であり、目的はひとのこころを震わせることにありますから。
時間・空間・物質から解放された100のインプットから、創作品としてのアウトプットがポトンってひとつ生まれ落ちてくるような、そんな暮らしをデザイン中なんです。
今日から8月、今日はいちにちかけて部屋の大掃除をする。捨てて捨てて捨てまくり、身軽になる。身軽さと自由度の間には正の相関があるのだ。
己以外の主を持たず、己以外の主を持たず、己以外の主を持たず、己以外の主を持たず、己以外の主を持たず、、、、、いやね、いい言葉を教えて頂いたので、暗記中なの。
「身の程知らず」とひとに言う人が一番の身の程を知らずだろうな。そもそも身の程なんてもなぁ、無いんだよ。
あるのは己だけ。人と比べる時点で、もう意味のない葛藤が始まるんだ。
もし身の程を知れと云えるとすればこんなんだろう。「人間どもよ、身の程を知れ」地球より。
成功か失敗か外野がわめくもんじゃねぇ。満足したか、出来なかったか、俺が知ってりゃそれでいい。
昨日の起きる時間が今日の寝る時間
自分で決めたことを破れるのは自分だけ。どんどん破るといい。
今よりもっとお年寄りを大切にすると、日本は豊かな国になるような気がします。
今俺の側に誰か居た?ブルガリブラックの香りが微かに漂っている、
文章にこころを配るんです。そうすると自分が見えて来るんです。
しまったな、今日は予定を詰め過ぎた。でもそんな中からも何か生まれてくるかな、楽しみだ。
大いなる静けさの力に出逢う
どうせなら手放そう。失うのではなく、
大事なのはタイミングだ。早けりゃいーってもんじゃねえ。時を刻まず時に呼吸を合わせ流されよう。そしたら思いがけずたどり着いたりするもんだ。
時間は測るものではない。寄り添うものだ。
長崎、誰も居ない実家に着いた、な―――――う!仏壇に手を合わせたら涙が溢れて止まらない。久々泣けたな、よかった。
ミンミン蝉鳴く長崎の朝は青空
もう眠かけんぬっけん的健全長崎生活は今日も暑かったとばい。おやすみ、
早朝、磯で潜って来た。魚は突けなかったけど、貝は沢山採れた。道具があればとこぶしも採れたのに残念。俺はやっぱ海男なんだとつくづく感じながら海底をさ迷っていた。
あ、そうか。今ふと気がついた、俺は21世紀のヒッピーなんだと、
うーん、これはやはりキャピタルに行かねばなるまい。倉敷なんざぁ近いもんだ、な、
20世紀のヒッピーと俺の違いは、ドラッグとの関わりが無いことと、長髪ではないことくらい(俺は丸坊主)だな。
ZIPに渡辺謙、目線が気持ちいい。フィジカルな目線も、こころの目線も。
自分の写真の駄目なところが見えていてブルーだったり、この先の在り方を創造してみたり、アゲサゲの日々。
行動と必然の調和、それが糸を紡いだ出逢いとなる。
渋滞@左手には飛行場右手にはビール工場なう(笑)。今日はChama♪を売りに行きます、東京に。Chama♪自身が作品なんです。
雨の新宿ぺたぺた歩くビーサンが
たくさんのひとから貰ったたくさんの勇気、使うのは今だ。
秋虫の夜風に吹かれ、火照る躰を横たえる。あぁ、なんて幸せなんだろう。
そしてもう朝の風
魂はどこにあるのか、胸と頭にひとを司るものがあり、頭は理解がしやすいが、胸にあるものは理解し難い。なぜならば目に見えないからであろう。だからこそ、胸にあるものを信じ生きたいと思う今日この頃です。真実は目に見えるとは限らない。
それがどういうモノであるかということより、そのモノをどう使いこなすかを指向する我が人生。(
夜風に吹かれる度、今日は死ぬにはいい日だと思う。
自然を知ることは、自分自身を知ることに等しい。
雨音と夜風はひとを詩人にさせる
今大事にしていること、時間と場所に囚われないこと。
ありがとう。
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Posted by 放浪太郎 at
11:43
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