2015年06月10日
あなたの人生の目的は何ですか?
What is the purpose of your life?
あなたの人生の目的は何ですか?
ビジネスマン時代
33日間に亘るマネジメントから経営に関するコーチング(研修)を受けた
先生は熟年のアメリカ人
アメリカの大統領や日本の総理大臣もコーチングしてきたようなひと
presentation, negotiation, debate, finance などなど
月一回金土日、二泊三日泊まり込みの延べ十一ヶ月間
全て英語でのコーチング合宿
この中で俺にとって最も深い学びとなったのが
冒頭の問いだった
幹部候補部課長12名がそのコーチングの第1期生として選抜され
俺はその中にいた
十人十色の回答があった
社長になるのが目的
収益を上げるのが目的
家族を幸せにするのが目的
など
15分回答を考える時間が与えられ
多くの部課長がギリギリまで考えていたようだった
俺の答えは5秒で固まった
その答えは
I would like to die with no regret.
悔いなく死にたい、だった
何か問題にぶち当たり悩むとき
この人生の目的に対してその問題を照らし
本当にその問題が重要なのかを冷静に観察する
そうすると大抵の問題と思っていたものが
実は大した問題ではないことに氣がつく、というものだった
この研修には膨大な費用がかかっているが
今後を担う人財育成への先行投資として会社が負担していた
そして皮肉なことに研修から4年後の48歳のとき
自分へこの問いかけがあったおかげで、会社を退職することを決意した
そう
俺が悔いなく死ぬためには
会社に尽くしているだけではダメだと氣がついたのと
会社で出来ることは24年間でやり尽くせたと思えたから
(そして過労で死にかけた)
そしてこの人生の目的はこの7年間変わらぬままだった
変わらないだろうと思っていた
常にこの問いに問題を照らしては様々な選択をしてきたが
その目的が先日不意に変容した
その不意に生まれた人生の目的は
「周りのひとたちが悲しまないように死ぬ」だ
つまり、俺が死んだとき
周りのひとたちが悲しまないでいいような生き方をするということ
何れにしても目的はまた、死だった
死に方に意識を向けることは
生き方に意識を向けることと同じ
しかし
生にフォーカスするとエゴが生まれやすく
死にフォーカスすると謙虚になれる氣がする
あらゆるネガディブな感情の根底には
死への恐れが隠れている
死とどう向き合うか
大切な事だと思う
あなたの人生の目的はなんですか?
その答えには正解も間違いもない
今の自分のど真ん中を問うてみるといい
俺はどの瞬間にどのように死のうと
悔いがない生き方をしようとしてきた
それが俺の全ての選択の基準にあった
今ここで死んでも悔いはないと思う
実際その瞬間が来てみないとその答えは分からないけど
多分大丈夫だと思う
死ぬ瞬間のことをよくシミュレーションする
これを日々やっていると今を真剣に生きるようになる
そうすると
生と死の境目がどんどん小さな時間の中(今)に押し込まれてゆく
そしてその境目は本当はないのではないかというくらいに
微小な空間に感じるようになっている
真剣に生きるとは何だろう
それは
自分らしく生きること
自分らしく生きれば
自分が喜ぶ
そんな自分になること
自分らしく生き
自分が喜べば
周りのひとたちも喜んでくれる
そんな自分になること
そんな永遠に収束しない
豊かなサイクルに生きることが出来たなら
肉体は死んでも
人々の記憶の中で生き続けるだろう
そしたら人々はその死を
受け入れ易いような氣がする
そう
死は己に訪れるものではなく
自分以外の人々に経験として訪れるものかもしれない
What is the purpose of your life?

あなたの人生の目的は何ですか?
ビジネスマン時代
33日間に亘るマネジメントから経営に関するコーチング(研修)を受けた
先生は熟年のアメリカ人
アメリカの大統領や日本の総理大臣もコーチングしてきたようなひと
presentation, negotiation, debate, finance などなど
月一回金土日、二泊三日泊まり込みの延べ十一ヶ月間
全て英語でのコーチング合宿
この中で俺にとって最も深い学びとなったのが
冒頭の問いだった
幹部候補部課長12名がそのコーチングの第1期生として選抜され
俺はその中にいた
十人十色の回答があった
社長になるのが目的
収益を上げるのが目的
家族を幸せにするのが目的
など
15分回答を考える時間が与えられ
多くの部課長がギリギリまで考えていたようだった
俺の答えは5秒で固まった
その答えは
I would like to die with no regret.
悔いなく死にたい、だった
何か問題にぶち当たり悩むとき
この人生の目的に対してその問題を照らし
本当にその問題が重要なのかを冷静に観察する
そうすると大抵の問題と思っていたものが
実は大した問題ではないことに氣がつく、というものだった
この研修には膨大な費用がかかっているが
今後を担う人財育成への先行投資として会社が負担していた
そして皮肉なことに研修から4年後の48歳のとき
自分へこの問いかけがあったおかげで、会社を退職することを決意した
そう
俺が悔いなく死ぬためには
会社に尽くしているだけではダメだと氣がついたのと
会社で出来ることは24年間でやり尽くせたと思えたから
(そして過労で死にかけた)
そしてこの人生の目的はこの7年間変わらぬままだった
変わらないだろうと思っていた
常にこの問いに問題を照らしては様々な選択をしてきたが
その目的が先日不意に変容した
その不意に生まれた人生の目的は
「周りのひとたちが悲しまないように死ぬ」だ
つまり、俺が死んだとき
周りのひとたちが悲しまないでいいような生き方をするということ
何れにしても目的はまた、死だった
死に方に意識を向けることは
生き方に意識を向けることと同じ
しかし
生にフォーカスするとエゴが生まれやすく
死にフォーカスすると謙虚になれる氣がする
あらゆるネガディブな感情の根底には
死への恐れが隠れている
死とどう向き合うか
大切な事だと思う
あなたの人生の目的はなんですか?
その答えには正解も間違いもない
今の自分のど真ん中を問うてみるといい
俺はどの瞬間にどのように死のうと
悔いがない生き方をしようとしてきた
それが俺の全ての選択の基準にあった
今ここで死んでも悔いはないと思う
実際その瞬間が来てみないとその答えは分からないけど
多分大丈夫だと思う
死ぬ瞬間のことをよくシミュレーションする
これを日々やっていると今を真剣に生きるようになる
そうすると
生と死の境目がどんどん小さな時間の中(今)に押し込まれてゆく
そしてその境目は本当はないのではないかというくらいに
微小な空間に感じるようになっている
真剣に生きるとは何だろう
それは
自分らしく生きること
自分らしく生きれば
自分が喜ぶ
そんな自分になること
自分らしく生き
自分が喜べば
周りのひとたちも喜んでくれる
そんな自分になること
そんな永遠に収束しない
豊かなサイクルに生きることが出来たなら
肉体は死んでも
人々の記憶の中で生き続けるだろう
そしたら人々はその死を
受け入れ易いような氣がする
そう
死は己に訪れるものではなく
自分以外の人々に経験として訪れるものかもしれない
What is the purpose of your life?

Posted by 放浪太郎 at
12:43
│Comments(0)
2015年06月09日
12歳の誕生日
12歳の誕生日
親父が12歳の誕生日に手紙を書いてくれた
そんなことは彼の77年間の人生の中で一度きりだった
そこに書いてあったのはこんなものだった
自分がやりたいようにやればいい
そしてその責任は自分でとればいい
頑張れ12歳
おめでとう
この手紙を読んだ12歳の俺は
開放感と同時に恐れを感じた
躾に厳しかったおふくろ
事細かに躾られて育ち
友だちと比べると自由が少なく息苦しく感じてた
そこからのえも云われぬ開放感やった訳やけど
同時に訪れた恐れに自分でも驚いた
あれが自由の本当の意味を体感した瞬間やった
一方で細やかに躾られたことも今に生きている
おふくろも今は亡きひとやけど、感謝しとる
自由を恐れるひとの中で、その恐れが自分に向かわず
自由人を攻撃することに転化させるひとも結構いる
親は子に対してこれをやっとることが多いかもな
自由とは
自らの由
ミズカラノヨシ(神様みたい、笑)
やからな
子どもはミズカラノヨシをよう知ってますよ
信頼してあげましょね
映画 Easy Rider が描いたテーマは自由とアメリカ
自由に生きたヒッピーバイカーが
自由を妬む田舎のオッサンにショットガンで撃たれて死ぬシーンで終わる
何故アメリカは自由の国を謳う必要があったのか
それは不自由な国だからやろ
何故不自由なのか
支配したいからやな
正義をふりかざし支配してゆく
幼稚やな
それに比べ自由は美しく
成熟しつつある魂が必要
自分の不自由を感じたとき
何故不自由なのかをよく観察してみるといい
最初に思いあたるのは
大方何かに束縛されているような環境じゃないかと思う
では次に、何故その環境を自分が選んでいるのか観察してみよう
そこに本質的な答えの糸口が見えて来るから
自分で選んでなんかないと思うならそれはそれでいい
自分が選択していることに氣がつけるまで
同じようなdilemmaの経験を繰り返すだけだろう
自分の歩む道を自分の自由意志で選んだとき
本来の自分の人生が開き始める
様々な理由付けをして自由意志とは違う選択をすれば
様々な困難に出逢うこととなる
(それがひとからの押し付けであったとしても
それを最終的に選んだのは自分であることに氣づくことはとても大切)
しかしそれも悪いことではない
あくまでも自分の選択が自分に経験をさせている単なる出来事
その経験が自由意志で選択を出来る自分を育んでくれると思う
しかしなかなかそこに辿りつけんケースが多いのもまた事実
それは社会全体の意識が未熟だから
個人と社会は精妙にしかも瞬間的に創造されていると感じる
集合的な意識ってのは存在しとるって感じるんよね
個人の変容は即座に社会の変容にも影響する
では、どう個人が変容するのか
日本にはまさに今、変容を経験しているひとが多く存在しとる
旅の出逢いから、その起こりの多さと加速感を現実として知った
そして不思議なことに
変容に入るか入らないかの瀬戸際にいるひとに出逢うことがとても多い
そのひとの状態にもよるけれど
本当に最後の一歩まで来ているひとの場合は
後ろから蹴飛ばして崖から突き落としてやる、笑
それをしなくても、自分から飛び込むひとも多いけどな
まさにタイミングなんやと思う
そしてまた変容の動機や道筋も様々
変容のテクニックを学ぶ前にやること
それは
自分の変容を許すことを本氣で腹の底から決心(選択)すること
本当にそれが出来れば変容は直ちに起こり始めます
どのようなテクニックで変容するか探す必要もない
今の自分に必要なプロセスが目の前に次から次に現れて来る
その現れたものを掴むかどうか
また自分の選択が起こる
この選択(今を生きる)の連続が人生そのものとなり
あとは只結果が起こるだけ
委ねる生き方
たゆたう生き方やね
委ねられる自分になるということですよ
時の流れに身を任せ〜♪
ってのとはちと違います、笑
自分を自分に委ねるのです
この話は自分に起こった現実です
自分でも当初は不思議だった
この意識変化の根底にあったものと自分に起こり続けたミラクルを
セミナー「たゆたいむ」で伝えているので、よかったら氣軽に声かけてね
これまでに全国で多くのひとに参加して貰ったけれど
それが変容のきっかけになったひとも実際に居るので、多少のお役には立てるかと

この投稿の後、たゆたいむ開催が決まりました
6/28 日曜 15:30〜18:30
@ちゃまさんち(甲州市大和町)
参加費3100円
定員5名
現在のご予約1名
ピンと来たらお氣軽に
お越しください
親父が12歳の誕生日に手紙を書いてくれた
そんなことは彼の77年間の人生の中で一度きりだった
そこに書いてあったのはこんなものだった
自分がやりたいようにやればいい
そしてその責任は自分でとればいい
頑張れ12歳
おめでとう
この手紙を読んだ12歳の俺は
開放感と同時に恐れを感じた
躾に厳しかったおふくろ
事細かに躾られて育ち
友だちと比べると自由が少なく息苦しく感じてた
そこからのえも云われぬ開放感やった訳やけど
同時に訪れた恐れに自分でも驚いた
あれが自由の本当の意味を体感した瞬間やった
一方で細やかに躾られたことも今に生きている
おふくろも今は亡きひとやけど、感謝しとる
自由を恐れるひとの中で、その恐れが自分に向かわず
自由人を攻撃することに転化させるひとも結構いる
親は子に対してこれをやっとることが多いかもな
自由とは
自らの由
ミズカラノヨシ(神様みたい、笑)
やからな
子どもはミズカラノヨシをよう知ってますよ
信頼してあげましょね
映画 Easy Rider が描いたテーマは自由とアメリカ
自由に生きたヒッピーバイカーが
自由を妬む田舎のオッサンにショットガンで撃たれて死ぬシーンで終わる
何故アメリカは自由の国を謳う必要があったのか
それは不自由な国だからやろ
何故不自由なのか
支配したいからやな
正義をふりかざし支配してゆく
幼稚やな
それに比べ自由は美しく
成熟しつつある魂が必要
自分の不自由を感じたとき
何故不自由なのかをよく観察してみるといい
最初に思いあたるのは
大方何かに束縛されているような環境じゃないかと思う
では次に、何故その環境を自分が選んでいるのか観察してみよう
そこに本質的な答えの糸口が見えて来るから
自分で選んでなんかないと思うならそれはそれでいい
自分が選択していることに氣がつけるまで
同じようなdilemmaの経験を繰り返すだけだろう
自分の歩む道を自分の自由意志で選んだとき
本来の自分の人生が開き始める
様々な理由付けをして自由意志とは違う選択をすれば
様々な困難に出逢うこととなる
(それがひとからの押し付けであったとしても
それを最終的に選んだのは自分であることに氣づくことはとても大切)
しかしそれも悪いことではない
あくまでも自分の選択が自分に経験をさせている単なる出来事
その経験が自由意志で選択を出来る自分を育んでくれると思う
しかしなかなかそこに辿りつけんケースが多いのもまた事実
それは社会全体の意識が未熟だから
個人と社会は精妙にしかも瞬間的に創造されていると感じる
集合的な意識ってのは存在しとるって感じるんよね
個人の変容は即座に社会の変容にも影響する
では、どう個人が変容するのか
日本にはまさに今、変容を経験しているひとが多く存在しとる
旅の出逢いから、その起こりの多さと加速感を現実として知った
そして不思議なことに
変容に入るか入らないかの瀬戸際にいるひとに出逢うことがとても多い
そのひとの状態にもよるけれど
本当に最後の一歩まで来ているひとの場合は
後ろから蹴飛ばして崖から突き落としてやる、笑
それをしなくても、自分から飛び込むひとも多いけどな
まさにタイミングなんやと思う
そしてまた変容の動機や道筋も様々
変容のテクニックを学ぶ前にやること
それは
自分の変容を許すことを本氣で腹の底から決心(選択)すること
本当にそれが出来れば変容は直ちに起こり始めます
どのようなテクニックで変容するか探す必要もない
今の自分に必要なプロセスが目の前に次から次に現れて来る
その現れたものを掴むかどうか
また自分の選択が起こる
この選択(今を生きる)の連続が人生そのものとなり
あとは只結果が起こるだけ
委ねる生き方
たゆたう生き方やね
委ねられる自分になるということですよ
時の流れに身を任せ〜♪
ってのとはちと違います、笑
自分を自分に委ねるのです
この話は自分に起こった現実です
自分でも当初は不思議だった
この意識変化の根底にあったものと自分に起こり続けたミラクルを
セミナー「たゆたいむ」で伝えているので、よかったら氣軽に声かけてね
これまでに全国で多くのひとに参加して貰ったけれど
それが変容のきっかけになったひとも実際に居るので、多少のお役には立てるかと

この投稿の後、たゆたいむ開催が決まりました
6/28 日曜 15:30〜18:30
@ちゃまさんち(甲州市大和町)
参加費3100円
定員5名
現在のご予約1名
ピンと来たらお氣軽に
お越しください
Posted by 放浪太郎 at
19:06
│Comments(0)
2015年06月08日
自由意志
ネット環境が少しよくなったので
以前ほどではないですが再開しますね
基本的にはfacebook に掲載したものを転記します
掲載頻度はぼちぼちだと思うので
できれば読者登録をしておいてもらえるといいと思います
どなたが読者登録されているかこちらからはわかりませんので
お氣軽に登録してください
--------------------------------------------------
自由意志
自由でいいなとよく言われる
いいよと答える
ではあなたは何故自由ではないのか
それは自由になりたくないからやね
表層では自由になりたいと思っているんだろうけれど
深いところでは自由を恐れていると思う
自由とは全てを自分でやるということ
ひとのせいにしないということ
自由でいない方が色んな言い訳を出来るから
そっちが楽な今を生きているひとがたくさんいる
環境のせいにして自由になれない自分を哀れむ
自由は自分を信頼することからのみ始まる
自由とは形ではなく自分との対話に在る
自分に信頼して貰えない自分は傷つく
そして傷つけているのもまた自分
本質的なモノゴトは争いでは変わらない
その局面は一時的に変わったとしても
そこに残るものは勝者と敗者
ホリスティックなエネルギーはなにも変わっていない
全体の中にギャップが依然残っている
これが不調和の根源
善を求めた途端
悪が生まれる
そんなことを我々は求めているのか?
俺は求めていない
ひとりひとりが自分らしく自立出来るといいなと思う
自由になれたらいいなと思う
自立したものは抗わない
自立したものは争わない
調和はそこから自然に起こる
あっと言う間に起こる
各断面に現れるちいさなことはどうでもいい
自分が在りのままでいるか?
そして全体はどのように動いているか?
ぼんやりと眺めている
そこに悲観はない
社会を悲観しているひとは
自分を悲観しているように見える
自分をもっと信頼してあげられるといいね
自分が喜ぶよ

以前ほどではないですが再開しますね
基本的にはfacebook に掲載したものを転記します
掲載頻度はぼちぼちだと思うので
できれば読者登録をしておいてもらえるといいと思います
どなたが読者登録されているかこちらからはわかりませんので
お氣軽に登録してください
--------------------------------------------------
自由意志
自由でいいなとよく言われる
いいよと答える
ではあなたは何故自由ではないのか
それは自由になりたくないからやね
表層では自由になりたいと思っているんだろうけれど
深いところでは自由を恐れていると思う
自由とは全てを自分でやるということ
ひとのせいにしないということ
自由でいない方が色んな言い訳を出来るから
そっちが楽な今を生きているひとがたくさんいる
環境のせいにして自由になれない自分を哀れむ
自由は自分を信頼することからのみ始まる
自由とは形ではなく自分との対話に在る
自分に信頼して貰えない自分は傷つく
そして傷つけているのもまた自分
本質的なモノゴトは争いでは変わらない
その局面は一時的に変わったとしても
そこに残るものは勝者と敗者
ホリスティックなエネルギーはなにも変わっていない
全体の中にギャップが依然残っている
これが不調和の根源
善を求めた途端
悪が生まれる
そんなことを我々は求めているのか?
俺は求めていない
ひとりひとりが自分らしく自立出来るといいなと思う
自由になれたらいいなと思う
自立したものは抗わない
自立したものは争わない
調和はそこから自然に起こる
あっと言う間に起こる
各断面に現れるちいさなことはどうでもいい
自分が在りのままでいるか?
そして全体はどのように動いているか?
ぼんやりと眺めている
そこに悲観はない
社会を悲観しているひとは
自分を悲観しているように見える
自分をもっと信頼してあげられるといいね
自分が喜ぶよ

Posted by 放浪太郎 at
08:44
│Comments(0)
2015年06月06日
ぐるっと巡って恩返し
ネット環境が少しよくなったので
以前ほどではないですが再開しますね
基本的にはfacebook に掲載したものを転記します
掲載頻度はぼちぼちだと思うので
できれば読者登録をしておいてもらえるといいと思います
どなたが読者登録されているかこちらからはわかりませんので
お氣軽に登録してください
--------------------------------------------------
◎ぐるっと巡って恩返し◎
昨日は運動エネルギーのことを書いたけど、今度は固有値の話
固有値は、固有振動数、周波数、波動など様々な呼び方があるけれど、どれも同じ振動現象
その振動が耳に聴こえればその振動は音と呼ばれ、目に見えれば光と呼ばれ
光のすぐ上の周波数帯には紫外線があり、すぐ下の周波数帯には赤外線がある
要はひとが後からつけた言葉で区別されているものの、物理現象としては同一線上にある
それらの周波数のことをfreqency と言うけれど、この英語には頻度という意味もある
一秒間にどれくらいの頻度で波が来るか、これが振動数でHz(ヘルツ)という単位で表す
f=1/2π√k/m
と言う式で周波数は解けるけれど
結局はバネ定数k と質量m の反比例の相関にある特性ってことやね
バネが強ければ
つまりk が大きければ周波数は上がり、弱ければ下がる
質量m が大きければ周波数はさがり、小さければ上がるという特性
ここで意識の周波数について解いてみると、バネ定数k は人の器の大きさ
器が大きいということは、たおやかであることであり、つまり人としてのバネが強いってことやね
地に足が着いて根が張るから、たおやかでいられるんよな
頑なでは折れるし
上の空じゃコケる
そんなわけで、意識周波数が高いひとの器は大きいってこと
次に質量m は、執着や囚われの多さに相当する
執着や囚われが大きいとm は大きくなり、結果として意識周波数は下がる
逆に執着や囚われが少ないと、意識周波数は上がる
軽やかになるってことさね
断捨離はここに関連している
断捨離は物を捨てることに本質はなく
物に執着しない意識を整えるためのひとつの訓練、プロセスに過ぎない
大切なのは、思考の癖の断捨離
俺の靈氣、龍氣伝授は、現実的であり人間的である点がひとつの特徴だと思う
この後も7名の伝授が決まっている
いい氣付きになるといいですな
今の俺の全てを伝えます
目に見えない世界のことを伝授するには
目に見える現実世界のことも含め伝えた方がわかりやすいし、しっくり来る
資料読むだけなら師範はいらん
スピリチュアルの世界を語る者の中には、まやかしも存在する
そんなんスピ系に限ったことではなく、どの世界にもあることやんな
政治と経済の社会には特に、そのまやかしが多いことに氣がついていないひとがまだたくさんおる(重篤な病)
政治経済社会の中で24年生き、しかもそこを動かす側にいたのでその辺はよくわかる
スピ系の中においてまやかしかそうでないかが分かれるところ
それは、現実として起こる不可思議がどれだけ伴っているかだと思う
意識が定まれば現実は即座に起こる
本当に即座に起こるんですよ
だからわかりやすい
そして、現実に起こったことは否定のしようがない
物理学や科学では説明できないことが山のように起こる
でも、事実は只そこに在る
その現実をどのように受け止め、理解し、伝えるか
そこは師範の師範たるところやね
これは全ての生業について共通することで
口先でやたらぺちゃくちゃ喋くるヤツは凡そ、中身はない
理(ことわり)を体験より知ったものは、必要なときに必要なことを、静かに語る
先住民のエルダーはまさに、そうなんやないかなと思う
日本の昔のお年寄りにも、そういう人たちがたくさんいたと思う
その学びは、自然の中を生き抜いた経験から生まれた
最近の若いもんは。。
なんて口にするいい歳のひとたちがおるけど、それは若者たちの問題ではない
信頼されない、いい歳のおっさんやおばさん、じいちゃんやばあちゃん
あんたがた自身の問題
俺も半世紀以上を生きていい歳になって来たしな
そろそろ役に立てることも出来そうな氣もして来たしな
そんなんでやっとります
暮らしの全てがお志事であり、同時に遊びでもあり創作でもある
やっとここまで来たよ
ビジネスマンから今の暮らしにシフトしてまだ3年やけど、そこから始まったんじゃないんよな
ここまでの51年の全てが今に繋がっとるわけで、なにひとつ無駄は無かった
でも、ひでぇことやってきた
ごめんなさい
そして
今からの自分が恩返しをしてゆく
傷つけたその人に直接的ではなくとも
ひとつひとつの意識在る行ないが
ぐるっと巡って恩返し
それでいいと思う
過去は過去
今は今
そして
全ては今ここに在る
未来は知らん、笑
今を明るく生きれば
未来は明るいやろ
多分な
ひとりひとりがそうなれば
社会もそうなるやろな
社会なんてもなぁ本当はないんよ
ひとりひとりが在るだけなんよ
そこにそろそろ氣付きましょ
社会から暮らしが変わるのではない
自分から変わる
自分が変われば周りも変わる
同じ意識になれば
その共振共鳴速度は早いっすよ
社会なんてすぐに変わるよ
ほんとだよ◎

以前ほどではないですが再開しますね
基本的にはfacebook に掲載したものを転記します
掲載頻度はぼちぼちだと思うので
できれば読者登録をしておいてもらえるといいと思います
どなたが読者登録されているかこちらからはわかりませんので
お氣軽に登録してください
--------------------------------------------------
◎ぐるっと巡って恩返し◎
昨日は運動エネルギーのことを書いたけど、今度は固有値の話
固有値は、固有振動数、周波数、波動など様々な呼び方があるけれど、どれも同じ振動現象
その振動が耳に聴こえればその振動は音と呼ばれ、目に見えれば光と呼ばれ
光のすぐ上の周波数帯には紫外線があり、すぐ下の周波数帯には赤外線がある
要はひとが後からつけた言葉で区別されているものの、物理現象としては同一線上にある
それらの周波数のことをfreqency と言うけれど、この英語には頻度という意味もある
一秒間にどれくらいの頻度で波が来るか、これが振動数でHz(ヘルツ)という単位で表す
f=1/2π√k/m
と言う式で周波数は解けるけれど
結局はバネ定数k と質量m の反比例の相関にある特性ってことやね
バネが強ければ
つまりk が大きければ周波数は上がり、弱ければ下がる
質量m が大きければ周波数はさがり、小さければ上がるという特性
ここで意識の周波数について解いてみると、バネ定数k は人の器の大きさ
器が大きいということは、たおやかであることであり、つまり人としてのバネが強いってことやね
地に足が着いて根が張るから、たおやかでいられるんよな
頑なでは折れるし
上の空じゃコケる
そんなわけで、意識周波数が高いひとの器は大きいってこと
次に質量m は、執着や囚われの多さに相当する
執着や囚われが大きいとm は大きくなり、結果として意識周波数は下がる
逆に執着や囚われが少ないと、意識周波数は上がる
軽やかになるってことさね
断捨離はここに関連している
断捨離は物を捨てることに本質はなく
物に執着しない意識を整えるためのひとつの訓練、プロセスに過ぎない
大切なのは、思考の癖の断捨離
俺の靈氣、龍氣伝授は、現実的であり人間的である点がひとつの特徴だと思う
この後も7名の伝授が決まっている
いい氣付きになるといいですな
今の俺の全てを伝えます
目に見えない世界のことを伝授するには
目に見える現実世界のことも含め伝えた方がわかりやすいし、しっくり来る
資料読むだけなら師範はいらん
スピリチュアルの世界を語る者の中には、まやかしも存在する
そんなんスピ系に限ったことではなく、どの世界にもあることやんな
政治と経済の社会には特に、そのまやかしが多いことに氣がついていないひとがまだたくさんおる(重篤な病)
政治経済社会の中で24年生き、しかもそこを動かす側にいたのでその辺はよくわかる
スピ系の中においてまやかしかそうでないかが分かれるところ
それは、現実として起こる不可思議がどれだけ伴っているかだと思う
意識が定まれば現実は即座に起こる
本当に即座に起こるんですよ
だからわかりやすい
そして、現実に起こったことは否定のしようがない
物理学や科学では説明できないことが山のように起こる
でも、事実は只そこに在る
その現実をどのように受け止め、理解し、伝えるか
そこは師範の師範たるところやね
これは全ての生業について共通することで
口先でやたらぺちゃくちゃ喋くるヤツは凡そ、中身はない
理(ことわり)を体験より知ったものは、必要なときに必要なことを、静かに語る
先住民のエルダーはまさに、そうなんやないかなと思う
日本の昔のお年寄りにも、そういう人たちがたくさんいたと思う
その学びは、自然の中を生き抜いた経験から生まれた
最近の若いもんは。。
なんて口にするいい歳のひとたちがおるけど、それは若者たちの問題ではない
信頼されない、いい歳のおっさんやおばさん、じいちゃんやばあちゃん
あんたがた自身の問題
俺も半世紀以上を生きていい歳になって来たしな
そろそろ役に立てることも出来そうな氣もして来たしな
そんなんでやっとります
暮らしの全てがお志事であり、同時に遊びでもあり創作でもある
やっとここまで来たよ
ビジネスマンから今の暮らしにシフトしてまだ3年やけど、そこから始まったんじゃないんよな
ここまでの51年の全てが今に繋がっとるわけで、なにひとつ無駄は無かった
でも、ひでぇことやってきた
ごめんなさい
そして
今からの自分が恩返しをしてゆく
傷つけたその人に直接的ではなくとも
ひとつひとつの意識在る行ないが
ぐるっと巡って恩返し
それでいいと思う
過去は過去
今は今
そして
全ては今ここに在る
未来は知らん、笑
今を明るく生きれば
未来は明るいやろ
多分な
ひとりひとりがそうなれば
社会もそうなるやろな
社会なんてもなぁ本当はないんよ
ひとりひとりが在るだけなんよ
そこにそろそろ氣付きましょ
社会から暮らしが変わるのではない
自分から変わる
自分が変われば周りも変わる
同じ意識になれば
その共振共鳴速度は早いっすよ
社会なんてすぐに変わるよ
ほんとだよ◎

Posted by 放浪太郎 at
16:01
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2015年06月06日
経験は忍耐と共に在る
ネット環境が少しよくなったので
以前ほどではないですが再開しますね
基本的にはfacebook に掲載したものを転記します
掲載頻度はぼちぼちだと思うので
できれば読者登録をしておいてもらえるといいと思います
どなたが読者登録されているかこちらからはわかりませんので
お氣軽に登録してください
--------------------------------------------------
経験は忍耐と共に在る
ヒーリングをしたり多くの人生相談を受ける中で先を知りたがる方が多いわけですが
話を聞いたくらいで、またヒーリングを受けたくらいで本質が変わるわけがありません
ただ、ひとつのキッカケ(経験)にはなります
靈氣、龍氣の伝授に至っては大きなきっかけにはなると思い
大切なお志事と位置付けています
ひとつのキッカケ、それは種まきのようなもの
陽の光を浴びさせ水を与えるのは、自分自身
誰も助けてはくれませんが、全てが助けてくれているとも言えます
自分の身を日なたに置くのか日陰に置くのか
水をちゃんと与えているか
その水はミネラル豊富な天然のものか
はたまた淀んで腐りかけたものか
全ては自分が選んでいます
そのような経験を積み重ねるのに大切なものが、忍耐
忍耐のない経験は時間だけが経過し、中身はスカスカ
忍耐というと重たすぎる感じがしますが、感覚的には大らかな忍耐です
ストイックに突き詰める忍耐もあれば、全てを受け止めてゆく忍耐もあります
受け止めた後、受け入れるのか受け流すのかは、自分が決めればいい
ただ、一旦受け止める器は大切なように思います
受け止める前にカキーンと打ち返したり、そそくさと身をかわしたりするならば
それは経験にならず、結果として学びは起こらなしでしょう
どっしり、ゆったりと構え、動くときは軽やかに
言葉は嘘をつきますが、行動は嘘をつきにくいものです
自分のど真ん中からの行動から起こる、経験と学び
そのひとつひとつの深さが歩んだ距離になります
単なる経験の数と学びは比例しません
運動エネルギーの物理公式は
E=1/2mv^2
m 質量と、v 速度と相関があります
三次元において速度(時の経過)は一定ですから
如何に質量を増すかですね
この質量が経験の深さ
かも知れません
エネルギーは意識そのものです
たおやかな意識の社会をつくるのは
ひとりひとりの意識の積み上げしかありません
脳が理解すると知識
知識が行動になると見識
見識が良い行いとなれば良識
良識の行動が腑に落ちれば胆識
胆識が積み重なると意識も高まる
そしてその意識が知識を身につける
このサイクルです
すぐに出来るわけがないですね
ひとつひとつ
楽しみながら
苦しみながら
味わってゆきましょね
なんで急にこんなこと書いたんやろな
今必要だった方がいたのかもね
(facebook に掲載したところ必要だった方が居たことがわかりました)

以前ほどではないですが再開しますね
基本的にはfacebook に掲載したものを転記します
掲載頻度はぼちぼちだと思うので
できれば読者登録をしておいてもらえるといいと思います
どなたが読者登録されているかこちらからはわかりませんので
お氣軽に登録してください
--------------------------------------------------
経験は忍耐と共に在る
ヒーリングをしたり多くの人生相談を受ける中で先を知りたがる方が多いわけですが
話を聞いたくらいで、またヒーリングを受けたくらいで本質が変わるわけがありません
ただ、ひとつのキッカケ(経験)にはなります
靈氣、龍氣の伝授に至っては大きなきっかけにはなると思い
大切なお志事と位置付けています
ひとつのキッカケ、それは種まきのようなもの
陽の光を浴びさせ水を与えるのは、自分自身
誰も助けてはくれませんが、全てが助けてくれているとも言えます
自分の身を日なたに置くのか日陰に置くのか
水をちゃんと与えているか
その水はミネラル豊富な天然のものか
はたまた淀んで腐りかけたものか
全ては自分が選んでいます
そのような経験を積み重ねるのに大切なものが、忍耐
忍耐のない経験は時間だけが経過し、中身はスカスカ
忍耐というと重たすぎる感じがしますが、感覚的には大らかな忍耐です
ストイックに突き詰める忍耐もあれば、全てを受け止めてゆく忍耐もあります
受け止めた後、受け入れるのか受け流すのかは、自分が決めればいい
ただ、一旦受け止める器は大切なように思います
受け止める前にカキーンと打ち返したり、そそくさと身をかわしたりするならば
それは経験にならず、結果として学びは起こらなしでしょう
どっしり、ゆったりと構え、動くときは軽やかに
言葉は嘘をつきますが、行動は嘘をつきにくいものです
自分のど真ん中からの行動から起こる、経験と学び
そのひとつひとつの深さが歩んだ距離になります
単なる経験の数と学びは比例しません
運動エネルギーの物理公式は
E=1/2mv^2
m 質量と、v 速度と相関があります
三次元において速度(時の経過)は一定ですから
如何に質量を増すかですね
この質量が経験の深さ
かも知れません
エネルギーは意識そのものです
たおやかな意識の社会をつくるのは
ひとりひとりの意識の積み上げしかありません
脳が理解すると知識
知識が行動になると見識
見識が良い行いとなれば良識
良識の行動が腑に落ちれば胆識
胆識が積み重なると意識も高まる
そしてその意識が知識を身につける
このサイクルです
すぐに出来るわけがないですね
ひとつひとつ
楽しみながら
苦しみながら
味わってゆきましょね
なんで急にこんなこと書いたんやろな
今必要だった方がいたのかもね
(facebook に掲載したところ必要だった方が居たことがわかりました)

Posted by 放浪太郎 at
15:54
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2015年04月03日
ご連絡
24年間勤めた会社員としての自分を手放し
この暮らしに入る頃に、当ブログを立ち上げました
その間、約4年間で25万件のアクセスがありました
つたない内容でしたが、その時の今の自分自身に向かい
書き続けたような氣がしています
旅の頻度も増えて来て、ブログを書けないことも最近ではしばしば
更に田舎故のネット環境の悪化などもあり、ブログを暫くおやすみすることといたします
ネット環境では、Facebook にて日々の様々な発信をしております
そちらはまだ続けて参りますので、もしよろしければそちらにてご覧頂ければ幸甚です
鈴木茂生にて検索してくだされば、出て参ります
メッセージを添え友だち申請を頂ければ、承認させて頂きますので
お氣軽にご連絡ください
また、Facebookは、、、という方は
このスレッドにコメントをくだされば、連絡方法などをお教えいたします
コメントは、私が承認しないとここに表示されませんので
私への個人宛メッセージのつもりで掲載頂いて結構です(公開いたしませんので)
長らくのご愛読に感謝いたします
ありがとうございました
今全てはここに在る
感謝、合掌
Posted by 放浪太郎 at
17:16
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2015年03月08日
八芒星
(昨日の続きより)
この世界を感じれば、周りで起こる出来事は
自分の意識の反射であることも、自然に腑に落ちて来ます
ところで、鞍馬の金堂の前の地面にある
多角形の象りはよく知られていますが
あの形は、三、六、八、十六と拡がっています
六芒星、八芒星との関わりや
籠目籠目の、鶴と亀が統べることを想わせてくれます
籠の中のトリは、いついつでやる?
籠という字は、竹(の籠)の中にある龍です
あ、そうだ
この象りと太占(フトマニ)の間にも関わりがありそうですね
その辺の話は、また何れ氣づきが起こりそうな氣がするのでその時にでも
また、この地は修験道の地でもありますが
天狗や鬼の伝説と共に、想うところがあります
これらは、現実にあった歴史が伝承された物語りだと思っています
その辺のところも、今回の旅でまた氣づいてゆくかも知れませんね
楽しみです
鞍馬金堂前にて撮影
日輪は肉眼では見えていませんでしたが
何か感じるものがあったので撮ってみました
後でそこに日輪があったことに氣がつきました
(明日へ続く)
3/4 北杜市へ
3/6 東京へ
3/8-9 南プスへ
3/10 来客
3/11 お泊まり来客
3/13-16 京都へ
3/17 北杜市へ
3/21-22 日本式霊氣療法伝授
3/22 LIVE @ナチュラリア(甲府)w/伊藤礼(シタール)
3/23 甲府へ
3/31 photo ws @ニコサンカフェ
4/4 ソラヲト企画LIVE
4/18-19 京都へ
4/26 フリバ5周年記念Party
5/10-16? レコーディング @長野
5/21くらいから 大菩薩の風展
5/30-31 遊民谷(群馬)
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19:00
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2015年03月07日
羅網
(昨日の続きから)
そして、そのようなひととして淀みなく大地に立った姿が
鞍馬で説かれる「大光明」そのものであると感じています
鞍馬寺の金堂には
羅網(ラモウ)と呼ばれる、天の屏風のようなものがあります
金の宝珠を金の鎖で繋いだような網の目で出来ていて
それが何面にも重なっているもので、これは
点と点が線を成し
線と線が面を成し
面と面が空を成す
そんな世界観
このような世界のことを、重重無尽と云いますが
要は、全ては係わり合っていることの悟りの世界です
Oneness とか、One Love とかと同じね
この世界を感じれば、周りで起こる出来事は
自分の意識の反射であることも、自然に腑に落ちて来ます

写真はネットより借用した一般的な羅網の画像(鞍馬金堂内は撮影禁止につき)
鞍馬金堂はもっと壮大な羅網で、太陽と月と地球を象りも飾られています
(明日へ続く)
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3/21-22 日本式霊氣療法伝授
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2015年03月06日
大光明
(昨日の続きから)
その象徴的な象りを、私は鞍馬寺に見ています
鞍馬山は、日本式霊氣療法発祥の地でもあります
今月、その鞍馬へ参ります
年に二回は訪れているペース
鞍馬山と貴船神社奥宮は、対のように感じます
陰陽の関係とも、火と水の関係とも云えるでしょう
そして鞍馬寺は、この三位一体で尊天さまがご守護されています
・毘沙門天、太陽、光
・千手観音、月、愛
・護法魔王尊、大地、力
私はこの象りに、先に述べた
天地を結ぶひとの位置と意味
つまり、神仏習合を感じています
そして、そのようなひととして淀みなく大地に立った姿が
鞍馬で説かれる「大光明」そのものであると感じています

(明日へ続く)
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2015年03月05日
人間の意味と位置
(昨日の続きから)
私が伝授している、日本式霊氣療法と龍氣ヒーリングは
この宇宙と、そもそも宇宙から生まれたヒトという存在と信頼することから始まります
宇宙の摂理とは何か?
その問いと、私はナニモノか?
という問いの先には
同じ答えがあるように思います
それが、宇宙への信頼となり
同時に、自分への信頼となり
同時に、ひとへの信頼となります
この摂理を知ったとき
人間の意味と位置が、見えました
それは、三次元という地球表層に生きる我々の時空は
二次元(地球内部)と四次元(地球の近くの宇宙)の狭間にある周波数帯に存在し
その両次元のエネルギー(意識)を繋ぐゲート(柱)の役割
どのようにして、そのゲートと成るか、それは
感謝(大地への向き、仏の道)と
祈り(天への向き、神の道)を
持って成すと思っています
なに故、日本は神仏習合であったのか
その答えが、ここにあると思っています
我々は、それを体感として感じています
これはヒーラーだけでなく、茶道、華道、武道、修験道のように
道を知る方々に共通する意識観だと思います
その象徴的なかたどりを、私は鞍馬寺に見ています
鞍馬山は、日本式霊氣療法発祥の地でもあります
(明日へ続く)

私が原画を所有する点描画、タイトルは「浄化」
ここには、人間の意味と位置が描かれて在りました
この絵との出逢いもまた、ご縁でした
感謝、合掌
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2015年03月04日
信頼
(昨日の続き)
そうなると、自分の中を意識が通り抜けているのではなく
そこに存在する意識の中を、自分が通り抜けていることに氣づきました
地球は一秒間に30km、太陽の周りを移動しています
所謂公転速度ですね
そして太陽系は1秒間に200km、天の川銀河の中心射手座Aホールの周りを移動していて
銀河を一周するのに、2億6千万年かかります
そして宇宙には天の川銀河のような大型の銀河が、3千5百億個あり
天の川銀河は、1秒間に600km移動しています
宇宙意識の中を壮大に旅している姿を想像すると、ワクワクしてします
そして我々の地球軌道は、大中小様々な螺旋の複合体として動き
更に我々に身体をつくる原子の運動までもが、宇宙の中で微細な螺旋を描きながら旅しているのです
私が伝授している日本式霊氣療法と、龍氣ヒーリングは
この宇宙と、そもそも宇宙から生まれたヒトという存在を信頼することから始まります
2011年、カンボジアにて撮影
明日に続く
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2015年03月03日
宇宙意識
(昨日の続き)
その流れを淀ませるものがあるとすればそれは
自分がつくりだした、囚われや執着に他なりません
自分を軸に宇宙を見れば、自分の中をそれらの意識が通り抜けてゆくという感覚になりますが
この経験を続けているうちに、そうではないことに氣がつきました
それは、時間への囚われでした
そもそも、何故時間が存在するのだろうということ
時間とは一体ナニモノなんだろうということを、長年問い続けていました
そもそも、宇宙と時空とは同意語です
時間と空間は、宇宙と深く関わっているからでしょう
意識とは宇宙そのものであり
エネルギーとはまさに意識のことであると、感じています
そうなると、自分の中を意識が通り抜けているのではなく
そこに存在する意識の中を、自分が通り抜けていることに氣づきました
明日に続く

去年の皆既月食、大和にて撮影
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2015年03月02日
自我
2/4の投稿「見えてくるもの」の続き
そうなってくると、何か自我とは全く違った世界で動いている何かを感じ始めます
それが、ちゃまを串刺しに貫くスピリット
それこそが、Great Spirit
Native American が云うところの、Something Great
日本的には、八百万の神と云っても良いと思います
神社神道の神から学ぶこともありますが、ちゃまの場合ど真ん中を射抜くのは
古神道の神々という存在
それは、ちゃまの中では宇宙意識そのものであり
神であり、何か大いなるものであり、そんな目には見えない存在(エネルギー)が
感謝と祈りを軸として、身体の中を突き抜けるのです
その壮大な意識は、身体の中を止めどなく駆け抜けてゆき
絶えることはありません
その流れを淀ませるものがあるとすれば、それは
自分がつくりだした、囚われや執着に他なりません
それを、自我と云います

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そうなってくると、何か自我とは全く違った世界で動いている何かを感じ始めます
それが、ちゃまを串刺しに貫くスピリット
それこそが、Great Spirit
Native American が云うところの、Something Great
日本的には、八百万の神と云っても良いと思います
神社神道の神から学ぶこともありますが、ちゃまの場合ど真ん中を射抜くのは
古神道の神々という存在
それは、ちゃまの中では宇宙意識そのものであり
神であり、何か大いなるものであり、そんな目には見えない存在(エネルギー)が
感謝と祈りを軸として、身体の中を突き抜けるのです
その壮大な意識は、身体の中を止めどなく駆け抜けてゆき
絶えることはありません
その流れを淀ませるものがあるとすれば、それは
自分がつくりだした、囚われや執着に他なりません
それを、自我と云います

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2015年03月01日
お久しぶりです
うちのネット環境があまり良くないことと
2月はほとんど旅をしていたこともあり
またブログが滞っていましたが
これよりボチボチと再開しまーす
3月に入り大和も急に春めいてきました
ひと月ほど凍結で出なかった水道もやっと溶けて出るようになりました
庭にずっと残っていた分厚い氷と雪も一氣に溶けました
写真は去年の雪
9日間雪に閉じ込められ
毎日8時間前後の雪掻きの日々でした



当時のブログ
http://horotaro.noramba.net/e260251.html
去年は3/1に旅立ち1年のうちの4ヶ月を旅で過ごしました
今年は2月に旅が始まりましたが
春めいてくる3月を大和で暮らせることが
なんだか嬉しいなぁ〜
佳きかな、佳きかな
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23:23
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2015年02月06日
長崎の夜
facebookより転記
今日は、あ、もう昨日だけれど
長崎ブリックホール館長の河野さんに、お逢いして来ました
先々より、アナウンスしていた
長崎で開催する平和祈念セレモニーに関しご相談する、貴重な機会を頂けました
このご縁は
広島の平和の火がある福岡県星野村の拓道さんから
長崎でクラシック音楽を指導されている村川先生をご紹介頂き
その村川先生から館長の河野さんをご紹介頂く流れが
11月の旅の中で整ったものでした
館長さんが、とても親身にアドバイスをしてくださったことを踏まえ
セレモニーの開催は今年ではなく、来年の夏にすることに決めました
来年のその日に向け何をどのように進めるか
具体的なイメージが自分の中でハッキリと見えて来ました
そこに向け、これからの1年半を送ることになると思います
何でも自分でやりたがる癖があるのだけれど
それはまぁ、何でもやってみるのが好きだからなんだけれど
今回のこの企画に関しては敢えて
多くの方々のお世話になりながらやらせて頂こうと思います
より深い信頼と同時に、さらなる自立を目指してゆきます
そして、その先に観ているものは調和と笑顔
これを機に、長年親しんで頂いたChama という名前とRainbow Shaman を止め
今更で氣恥ずかしいですが、本名である鈴木茂生で、残りの人生は歩もうと思います
普段の呼び名はちゃまのままで構いませんが心機一転、挑みたい心境です
よろしくお願いいたします
なんだか眠れない
長崎の夜です






2/2 山梨を旅立ち
2/5-6 長崎 平和祈念セレモニー打ち合わせ他
2/8-9 岡山 日本式霊氣療法ティーチャー伝授
2/13 大阪 平和の音楽会に出演
2/15?-18??? 長野伊那 龍氣ヒーリング伝授
2/20 LIVE 茨城県取手
2/21 LIVE 千葉県市川
2/22 LIVE 千葉県松戸
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Posted by 放浪太郎 at
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2015年02月05日
ほんとだよー
Facebook からの転記
19時過ぎ
無事長崎に着きました
毎度ここに帰って来ると
淋しさと安らぎが同時に起こります
ここで父と母と三人で暮らしたのは
大学を卒業するまでの24年間でしたが
ちゃまの根っこはやはり
ここ長崎で培われました
父と母に見守られながら
自然の中で大いに躍動した24年間でした
無謀なことかなりやりました
悪いこともやりました
ひとはぶん殴ってでも
自分を通せばいいと思っていました、笑
大怪我もたくさんしました
そんな中で自然に学んだのは
人間のちっぽけさと
自然の驚異的な力でした
その経験が故
自然には謙虚でいられました
ひとには横暴でしたけど、笑
教科書では学べない多くを
自然と冒険から学びました
24歳までに体を縫った数
50針を超えます、笑
大学の仲間からは
お前がサラリーマン半年続いたら奇跡だと言われていました
ひと月しないうちに誰かぶん殴って絶対クビになると言われていました
はい、確かに研修期間中に幾つか暴力的不祥事を起こしました、笑
そんなわたくしでしたが
ビジネスの世界では成功者となりましたし
でも、ま、それをあっさり捨てて
ここに来ました
それもこれも
ここ長崎あってのことだし
父と母あってのことだし
そして
みなさんとのご縁あってのこと
感謝に絶えません
ほんとだよー
嘘じゃないよー
笑

2/2 山梨を旅立ち
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2015年02月04日
見えて来るもの
昨日からの続き
その中には、命の危機としての場合もありますし
仕事を突然クビになるなど、現れ方は様々です
ちゃまの場合は、旅の途中で病気にかかり
10日間ほど寝込んでしまい、旅が強制終了したこともあります
しかしそれが、より深い新たなご縁となっている事実もまたあります
その時の単発の出来事に一喜一憂する、即物的意識ではなく
どうしてそのような事が起こるのだろうと、流れにフォーカスしていると
自ずと見えてくることがあります
そうすると
その時はあんなに辛かった出来事が、何のためのものだったのかが
だんだんと見えてきます
自分の学びとして、意味深いできごとだったことが
だんだんと見えてきます
そうなってくると、何か自我とは全く違った世界で動いている何かを感じ始めます
それが、ちゃまを串刺しに貫くスピリットです
2/2 山梨を旅立ち
2/5-6 長崎 平和祈念セレモニー打ち合わせ他
2/8-9 岡山 日本式霊氣療法ティーチャー伝授
2/13 大阪 平和の音楽会に出演
2/15?-18??? 長野伊那 龍氣ヒーリング伝授
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2015年02月03日
手放し
前回、2/1の続きから
そうして、その深層の最後の扉を現実の行動として起こすときには
何か非常に大きなインパクトが入ることが、多いように思います
数多くの、体験があります
それは、大きな手放しから始まることが多いようです
それは、自分の経験においても
周りの似た完成の方々の経験にも、共通していることです
それには、勇気が要ります
それは時として、大きな痛みを伴うからです
勇気はどこから湧いてくるのか
それは、自分の声から湧いてきます
もしくはその選択に、根拠の無い自信が湧きあがるときもあります
また自分も含めた体験談では、大きな決断のきっかけになるものとして
命の危機を経験したことが、そのきっかけになるケースが多くあります
例えば、東北の大震災の時、日本国民のたくさんのひと達が
その命の危機を、疑似体験しています
あの経験が引き金になり、暮らしをシフトしたひとが多くいますよね
それとはまた別に
自分では、それを選択した方がいいと知りながらも
左脳的解釈の元、別の選択を続けていると
その状況を、強制終了させられるような事が起こる場合もあります
その中には、命の危機として現れる場合もありますし
仕事を突然クビになるなど、現れ方は様々です
明日に続く
2/2 山梨を旅立ち
2/5-6 長崎 平和祈念セレモニー打ち合わせ他
2/8-9 岡山 日本式霊氣療法ティーチャー伝授
2/13 大阪 平和の音楽会に出演
2/15?-18??? 長野伊那 龍氣ヒーリング伝授
2/20 LIVE 茨城県取手
2/21 LIVE 千葉県市川
2/22 LIVE 千葉県松戸 続きを読む
Posted by 放浪太郎 at
23:23
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2015年02月02日
空海
Facebook 記事より転記
先日、映画
母べえを観た
そりゃもう
びちょびちょに泣いた、笑
映画が終わってからも
暫くヒクヒク泣いとった、笑
何かが深〜く突き刺さった
現実を生きるということ
己を生きるということ
社会ということ
戦争ということ
正義ということ
家族ということ
死ということ
多くの断面を漠然と眺め
深く感じた
父の最期は看取れなかった
母の最期は看取ることができた
当時の境遇からするとそれは奇跡
その両方を体験できたことは
深い学びとなった
たくさんの命とのやりとりを目の当たりにして
今のこの暮らしへシフトした
父の死
母の死
それから4ヶ月後に自らの命の危機
それから2ヶ月後の東北の震災
そんな流れやった
家族とか
地域とか
企業とか
宗教とか
国家とか
そんな囚われ以前に
ニンゲンとして生きるって
どーなのよってことやね
そして夕べ、映画
空海を見た
このタイミングでなに故
空海であったのか
旅をする中
500の神社で手を合わせ
己と向き合った
そんな中で深く感じたものは
神という存在ではなく、宇宙
そして
ニンゲンの意味と位置を知れた
神仏習合の尊さを
今改めて感じている
そして、今日
旅立ちます
南無大師遍照金剛
オンアビラウンケン
地、水、火、風、空

Posted by 放浪太郎 at
02:02
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2015年02月01日
自分に問う
前回1/28の続きから
囚われという鎧を身にまとい、重くて動けない上に
自らが発する光を、放射することもできない
そんな状態のようです
自分をちゃんと、観てあげられているかな
自分の声をちゃんと、聴いてあげられているかな
この自問自答は、ちゃまの癖になっています
聴こえて来た自分の声に、「ほんとう?」と訊き返す癖です
凡そ最初に聴こえて来るのは、自我の声
所謂、エゴです
真我、それは潜在意識に在り
または、魂の声と云ってもいいと思いますが
それを聴くための、簡単なコツがあります
それは、その聴こえて来た声に
・違和感はない?
・それでこころからホントウニ喜べる?
という、シンプルな確認です
ここでいう喜びとは、ワーワーギャーギャー騒ぐような表層の動きではなく
それは祈るときのような、穏やかな状態にある深いところから湧き起こるような
そんな、心持ちです
そのような心持ちにたどり着くまで、何度も自問自答してみます
焦らず、時間をゆっくりかけてね
これが、うまく出来るようになってくると
深層にある本当の自分を、楽に見つけてあげられるようになってきます
何度も自問自答しなくても
すぐに自分の声が聴こえるようになります
そしてその声が、一瞬に聴こえる
それが、直感です
ちゃまの直感は、そのようにして芽生えました
振り返ってみるとね
そうして、その深層の最後の扉を現実の行動として起こすときには
何か非常に大きなインパクトが入ることが、多いように思います
数多くの、体験があります
えーっと、急なんですけど
明日昼間、旅立つことにしました
ついさっき、聴こえちゃったんです
自分の声が
自分に正直になるのは
時々大変だったり、ご迷惑をおかけしたりしますが
その辺は、諦めてください、笑
大した問題じゃありません、笑
明日へ続く
2/2 山梨を旅立ち
2/5-6 長崎 平和祈念セレモニー打ち合わせ他
2/8-9 岡山 日本式霊氣療法ティーチャー伝授
2/13 大阪 平和の音楽会に出演
2/15?-18??? 長野伊那 龍氣ヒーリング伝授
2/20 LIVE 茨城県取手
2/21 LIVE 千葉県市川
2/22 LIVE 千葉県松戸
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Posted by 放浪太郎 at
15:32
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