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Posted by のらんば長崎運営事務局 at

2014年01月07日

父に想う




父は、昭和3年生まれ

16歳で予科練へ志願入隊し、零戦に乗っているとき長崎に原爆が投下され

一緒に予科練へ入隊していた父の兄のふたりが生き残り、長崎で帰りを待っていた家族は全員爆死しました




その後、中央大学を夜間で卒業しますが

食べるお金もなく、栄養失調になったとも聞きました




父はどういうひとだったかと云うと、昭和一桁生まれの九州男児という表現が一番でしょう

大変寡黙なひとでした

自分への厳しさと、ひとへの想い遣りのひとでした




ちゃまが生まれたころ独立し、5人の仲間で会社を設立

以降退任するまで、専務取締役として、仕事一筋のひとでした




5人で初めた設計事務所は、400人の会社になっていました

どんなに熱があっても、会社を休んだことはいちにちもありませんでした

言葉数も少なく、父との会話はひと月に数えるほど




そのような中ではありましたが、愚痴や泣き言を聞いたことは、一度もありません

そんな父の背中を見て育ったちゃまは、過激だった学生時代のまま入社

荒くれた魂のまま社会人になり、或るご縁あって仕事スイッチが入り

それからは別人のように勉強し、仕事一筋、24年間を生きました




その24年間はまさに、修行だったように思います

魂との葛藤の毎日でした




魂が生きゆく道と、仕事のために生きる自分との乖離に

心身が張り裂け、命を落としかけました




あの父のもとに生まれて来たのは、そういう経験をするためだったのだと思います

父の背中を見てきたからこそ、あそこまで仕事に打ち込むことが出来たのです




そしてある、今の暮らし

ここには、母と、祖父母との日々も大きく影響しています




ヒーリングを生業としてから、多くの方々の人生を体験させてもらっています

親との確執の多さを、目の当たりに知りました




ちゃまは、恵まれていました

今生には、感謝しかありません




自分として立つことが、ひとのためになれる暮らしとして

現実のものになりました




父に遊んでもらった記憶は、殆どありません

でも、父の愛は感じていました




そして父は、突然逝ってしまいました

検査入院だったのに、なぜ




しかし、悔いはなかったであろうと思えます

残されたものにとっては、とてもありがたいことです




母も、重度のリウマチで厳しい人生でした

しかし母も、悔いなく逝ったと思えます




ちゃまは、恵まれています

感謝だけが、在ります

ありがとう







感謝、合掌

Big Peace 大和より、One Love




1/7 Peace LIVE @freebar-d(対バンは、落語です)

1/8 ヒーリングセッション & 来客

1/13 長野(岡野弘幹さんLIVE)

1/16 たゆたいむ @ちゃまさんち

1/19 ★★★ New CD リリース ★★★

1/19 エハンさん&ソニアさんのセミナー @ピラミッドセンター

1/20 photo workshop 一眼レフ・特別編 @塩山

1/21-22 来客

1/26 羽黒山伏・一日体験 @高尾山

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Posted by 放浪太郎 at 07:07Comments(0)